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刺客
翌朝、足の腫れが治まった佐一は瑞雲に付き添われて寺を去った。
静けさに包まれる境内にて、粉雪纏う凍てつく風に吹かれながら狛吉は一人抱える怒りを畑を耕す鍬へとぶつけた。
本来なら今日、彼は初めて山を降りられる筈だった。
この寺では月に一度、人に化けた雪華と共に子供達が麓の村で買い出しに出向き、町での暮らし方などを学ぶ。銭が余れば菓子なども買ってもらえる貴重な日だった。
寺に来てから十年間、これまで一度も機会に恵まれず山を出たことが無かった彼にとっては記念すべき日になる筈だったが昨晩の話を聞いた瑞雲と雪華の意向で取り止めとなってしまった。
「まだ拗ねてるの?」
そんな声に剥れながら振り返れば、呆れ顔の照が居た。
「だって…」
鍬を置いて狛吉は不貞腐れた。
「まあ、狛吉は山を降りたこと無いんだもんね…」
薪割り用の丸太に腰掛け、照は溜息混じりに呟く。
照も幼くして寺にやって来て、人里に降りたのは数える程度である。
「照は良かったの?」
再び鍬を振り出しながら狛吉はぶっきらぼうに訊ねた。
「だって瑞雲様も出払ってるし、一人じゃ淋しいでしょ?」
姉御振りながら照は微笑む。
確かに今日は普段なら留守を預かってくれる瑞雲が居らず、照が残らなかったら一人ぼっちだった。
「…ありがとう」
不意に手を止め、囁くように礼を言った。
面と向かっては恥ずかしくて言えなかった。
「そういう所は可愛いんだからぁ!」
しかしながら、しっかり聞こえていた照は彼の照れ隠しなんて露知らず。
飛びつくように抱きしめられた狛吉は、大慌てて鍬を手放し、刃物が危ないと喚き散らした。
「まさか実在するとは…」
そんな声にハッと目を向ける。
身形の良い御仁と僧侶、そして用心棒と思われる五人の男衆が、対の燈籠を潜って境内に足を踏み入れていた。
「流石は恵庵殿。都一番の術者とあって、あっさり結界を破りましたな」
「恐れ入ります」
物珍しそうに寺を見回しつつ、御仁は僧侶を褒め称える。
「何者だ!名を名乗れ!」
畑にあった斧を手に、照は血気盛んに男衆の前に立ちはだかった。
遅れて駆け付けた狛吉も鍬を手に援護に回った。
「貴様等、頭が高いぞ!このお方は観猛藩主、榎木本狛左衛門公であらせられる!控えよ!」
刀身を引き抜きながら用心棒の一人が声を荒げる。
「観猛藩主…⁉」
そう声を漏らした照は、昨晩の佐一の話を思い出して戦慄した。
「狛吉、走って!」
「えっ?」
「早く逃げろっての!こいつ等、狛吉を攫いに来たんだ!」
「ど、どう言うこと⁉」
理由が分からず問答していたその刹那だった。
影が忍び寄り、照は咄嗟に斧を構えるも素早い刀身に振り払われ、呆気なく雪積もる野に薙ぎ倒された。
「照!」
切っ先を向けられる姉の姿に、狛吉は駆け寄らんと踏み込むも手練れの男衆に取り囲まれ、身動きを封じられた。
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