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「やはり生きていたか…。キクめ、山寺に隠すとは…」
何処か苛立ちを含んで藩主が呟く。
その声に狛吉は敵意を持って睨んだ。
「ふむ。生意気そうではあるが、武信よりかはマシだろう…」
豊かな髭を撫でつつ、藩主は目配せで男衆に合図を送る。
男衆は途端に狛吉に掴み掛かり、持ち寄った縄で縛り上げた。
「放せ!何なんだよ!」
「ほら行きますぞ!殿が直々に迎えに参られたのです!お屋敷に帰りましょう!」
あからさまな苛立ちを声に乗せ、男の一人は狛吉を肩に背負い上げる。
その様に照は決死の覚悟で、狛吉を担ぐ男に飛び掛かった。
「狛吉を返せ!」
力の限りを尽くし、弟を取り返さんと掴み掛かる。
しかし、男は容赦なく彼女を蹴り飛ばし、他の男衆は見せしめとばかりに刀を抜いた。
「なっ⁉照に何を⁉」
白刃を向けて躙り寄る男に狛吉は青褪めた。
「身寄りのない小娘一人死んだところで、誰も困りはしないからな…!」
ニヤリと男が嗤い、白刃が煌めく。
「照っ‼」
狛吉の悲鳴が轟き、照はぎゅっと目を瞑る。
その瞬間だった。
振り下ろされた白刃が甲高い音を鳴らす。
瞼を見開いた照の眼前、そこに立ちはだかった雄々しい背は、錫杖を手にいとも容易く男の腕から刀を薙ぎ払った。
「「瑞雲様!」」
安堵を含み、狛吉と照は涙目で叫んだ。
同時に聞こえた軽快な足音に振り返った男達は、怒り狂う妖狐の姿に絶句。
駆け戻った雪華は牙を剥いて狛吉を担ぎ上げる男の頭に強烈な蹴りを食らわせ、宙に投げ出された狛吉は駆け寄った瑞雲に抱き止められた。
「下がっていなさい!」
狛吉の縄を解きながら瑞雲は指示し、すぐさま二人は互いを支え合いながらお堂の中へと退避。
両者が睨み合う中、遅れて町から戻った子供達も竹槍や農耕具を手に迎え討った。
「随分と手慣れている…」
臨戦態勢の男衆に守られながら、藩主は子供等の動きに目を瞠った。
「お主、もしや藍原藩主の懐刀、柊木吉次郎殿の兄、祥之助殿ではあるまいか?」
そんな問い掛けに男衆は耳を疑い、瑞雲は微かに溜息を零した。
「如何にも。尤もその名は昔に捨てた名ですがな…」
錫杖を地に立て、瑞雲は姿勢を正した。
藩主の問いに是と答えた彼に途端に男衆は慄き、降参とばかりに刀を鞘へと納めた。
「よもやよもや、国一番の剣豪がこのような山奥で孤児の世話を焼いているとは…」
髭を撫でつつ藩主はどうしたものかと眉間に皺を寄せた。
「恵庵殿…?」
試しにと傍らで何やら恐れ慄く僧侶に訊ねる。
「生憎ですが私でも敵いませんっ…、この者、如来様の護りを得ています…!」
案の定、僧侶は無理だと即答した。
その目に映る瑞雲の姿には、決してこの者に悪意を持って触れてはならぬと示すが如く、常人には見えぬ強烈な護りが纏い付いていた。
「恐れながらそこの御仁、観猛藩主の榎本狛左衛門公とお見受けする。ここは土地神の住まう寺故、これ以上に騒ぎ立てては山一帯に災いを齎すことになりましょう。そうならば川伝いに観猛の野も荒れ、土地の人々は苦しむことになります。どうか引き下がっては頂けぬか?」
慇懃ながらに警告を持って瑞雲は諭した。
塒を踏み荒らされた事に雪華は苛立ち、毛を逆立てて唸り声を上げていた。
「…成程。神の祟りとあっては仕方ない…」
そう呟いた御仁は徐ろに脇差しを引き抜き、降り積もる雪の上に置いた。
「狛吉に伝えよ。お主の母はお前が会いに来ることを願っていると…」
それだけ言い残し、御仁は呆気無く踵を返し、戸惑いながらも男衆と僧侶もその後に続いて寺を後にした。
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