寂しさのゆくえ

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 冬は、夕日が一番美しい季節だ。  温度を無くした真っ赤な太陽の残光が、乾いた空気の中にしみ出している。  ひとりぼっちの美代が、一番苦手な刻限である。  入社一年目の美代には、残業をするほどの業務の割り当ては無い。定時近くになれば、新たな伝票も回ってこない。請求書の発送も、入金の確認も、今日やらねばならない仕事はすべて終わってしまう。  美代は家に帰りたくなくて、恨めしげに時計の針を眺める。午後四時二十分。寒い自室に帰ったら、暖房器具を使わねばならない。社会人になりたてで経済的な余裕が無い美代には、数十円か数百円の電気代の差額が惜しかった。一時間でも長く会社に滞在して電気代を節約しようというズルい考えがあるから、美代は冬の夕日を見ると、何か雑用は無いかとそわそわし出すのだ。  人生はおおむね順調。仕事も多少の理不尽はあれど、総合的に考えれば可も無く不可も無く。  現役で大学に合格し、周りと歩調を合わせて就職活動を行い、内定が出た企業で働き始めた。入社後数年は全国に転勤があることを承知して入った組織だ。美代は今、職場の人以外に知り合いがいない、海なし県にいる。  大学生の時も一人暮らしをしていたから、家事や炊事には全く問題が無い。毎日風呂も洗っているし、洗濯物や食器の洗い物もためない。朝も決まった時間に起床できるし、昼食の弁当の準備もできる。メイクも歯磨きも欠かさない。  当たり前のことが当たり前にできる、怒られることも無ければ褒められることも無い、普通の新人。  そんな美代の生活に圧倒的に不足しているもの、それは人の関わりであった。毎日話をする職場の先輩たちは、一番年齢が近い人でも三十代の既婚者だ。年の差はあれど、単身で地方にやってきた美代に対して、職場の従業員たちは親切に接してくれている。一人暮らしの美代に、差し入れの菓子をひとつ多くくれたり、おすすめの漫画を貸してくれたり、綺麗でまだ着れる洋服を譲ってくれたり、大人たちなりに美代のことを気遣ってくれている。  私は恵まれている。この企業の人たちはいい人ばかりだから、せめて三年、できれば五年、ここで頑張りたい。  美代自身もそう思っていた。それでも言いようのない心の空洞は埋まらないのである。  学生時代、最終学年では、ゼミの垣根を越えて学部全体に友達が増えた。毎日のように飲み会の誘いがあった。サークルの友人と、ゼミの同志たちと、世話になった他ゼミの先生を囲んで、少人数なり大人数なり、おごるときもあれば、パトロンがつく時もある。くだらない馬鹿話も、下劣な猥談も、真面目な研究の話も、深刻な人生相談も、たくさんのことを語らった。飲み会を断る理由は、大抵バイトだ。美代は決して酒に強い訳では無かったが、持ち前の明るさと社交性でいろいろな集まりに顔を出し、友人知人恩人たちと楽しく過ごしていた。  そんな美代の生活は、就職を機に一新した。自分で決めた道に後悔はしたくない。内定が出た企業のうち、自分のやりたいことに一番近い会社に入社した。みなが褒めてくれた。多くの人が応援してくれた。 【有名企業就職おめでとう】 【安定した職場で、次は結婚相手探しだね】 【大学で学んだことを活かした道に進んですごい】 【毎日弁当つくるの偉すぎる】  これらの美代にむけられたエールに肉声は無い。すべてSNSを通じて送られてきたコメントなのだ。  今日も美代は仕方なく定時でタイムカードを切り、学生時代から愛用している大判ストールを首にしっかりと巻いて、日の暮れきった街灯が少ない道を、懐中電灯を片手にとぼとぼと歩いて帰宅する。  簡単な夕飯と洗濯、入浴が済んでしまえば、あとは長すぎる一人の時間である。  美代は今日も複数のSNSのアプリを開いては閉じ、オンラインになっているアカウントの更新をチェックする。ベッドの中に寝転び、枕に頭と手首をあずけ、スマートフォンの小さな画面を凝視する。  ある同級生はゲーム配信動画で生計を立て、またある先輩は卒業早々に結婚して充実したキラキラ生活をアップしている。大学に特別講義に来てくれた大物研究者は、海外に渡って日本語以外の言語で書かれた記事を更新している。  美代は冷静に、私生活をネット上に切り売りしている人たちの投稿に目を通す。友人全員が、見世物のような生活をしているわけでは無い。多くは美代と同じように、奨学金を返済したり、新生活を機に購入した自動車ローンを支払ったりしながら、地に足をつけた粛々とした日々を送っているに違いない。  夜になると、テキストのみのコミュニケーションに長けた多くのアカウントがオンラインになる。髪を染めたとか、スピード違反の罰金を振り込んできたとか、その日その人に起きたすべての出来事が、発信のネタになる。 午前二時。いい加減就寝しないと、明日の勤務に支障が出る。就寝前のスマートフォンの操作は睡眠に悪影響があるのは百も承知であるが、SNS徘徊が習慣になってる美代はこの悪癖をやめることができないでいた。 【私は大丈夫】 【みんなとつながっている。離れてはいるけど、心配してくれる人がたくさんいるから、まだ頑張れる】  美代は自分に言い聞かせるように、そんな言葉を匿名の鍵アカウントで投稿する。誰にも届かないネットの海に、前向きなのか後ろ向きなのか分かりにくい、曖昧なポエムを放り投げて、短い眠りにつくのである。
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