初めての「追っかけ」

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初めての「追っかけ」

 親父は家庭を顧みず、大して飲めもせんのに毎晩同じ奴らと飲み歩いて、当時住んでいたマンションの主婦連中から付けられた渾名が「午前様」。  当時中学生やったわたしは、 「何の捻りもない渾名付けやがって。暇か。」 と心ん中で吐いた。  母は、三人姉妹の長女のわたしにはとことん厳しかった。  世間的に正しいかどうかちゅうよりは、あくまで母基準にハマるか否かで、わたしがその枠からはみ出そうもんなら、容赦なく手や足が出た。  わたしが世間に出て恥ずかしくない人間になるためにという娘思いがちょっとズレた方向に行っただけなら、大人になれば少しは母の気持ちも分かるが、当時の母の年齢をとっくに越えている今わたしが亡き母に思うのは、親父が父親としての役目を放棄している代わりに、自分が育児を一手に担い、家事も全てこなす「良妻賢母」であると、周りに認められたかったんやなかったか、と。  自分が家庭の事情で大学を卒業できひんかったからと、長女のわたしに過度に期待した。  あのな。せやったら、もっとまともな遺伝子持った男と結婚しとかな。  両親は見合いで、愛のない結婚やったらしい。  そんなこと聞かされた子の身にもなってくれ。  愚妹は聞いたか知らんが、末妹は恐らくこのことは知らない。  母は、過度にわたしに干渉してきた。  5歳頃から野球観戦が好きで、それ自体は咎めることはなかったものの、わたしがセンバツに出場した地元の高校のエースに興味を持ち始めた頃から、地方大会の応援に行こうとすると、露骨に嫌な顔をし始めた。  中学2年のある日、同じ様に高校野球が好きな同級生と、そのエースが出場する試合を観に行くことにした。  うちのルールでは、誰と、何処に、何をしに行き、何時頃に帰宅するかを伝えることになっていた。  疚しいことはないと思い、そのまま伝えた。  母は苦々しい表情をしながらも、わたしを行かせた。  試合はその高校が勝ち、わたしはそのエースを含めた選手の写真を何枚か撮り、満足して帰った。  数日後、学校から帰宅すると、母が鬼の形相で待っとった。 「あんた、『追っかけ』してたらしいね。」 「へ。」  その高校のレギュラー選手の一人が同じマンションに住んでいたので、その隣人ら数名が応援に行っていて、偶然わたしを見掛けたらしい。  母は誰とは言わんかったが、恐らく親父に「午前様」としょうもない渾名を付けた奴が、わたしが「追っかけ」をしていたと大袈裟に話したんやろうとわたしは推測したし、恐らくそう断定できる。  あれを「追っかけ」て言うのか。  たかが2,3試合観に行っただけやのに。  写真数枚撮っただけやのに。  あれから、そのエースの出場する試合を観に行くことはなかった。  夏の予選は、決勝戦で敗れた。  その後、そのエースは社会人を経てプロ入りし、トレードされたり戦力外を経験したりして、引退後はスカウトになった。今もスカウトとして活躍しているはずである。  当時住んでいたマンションの住人らとは、一切連絡を取っていない。  わたしは認めたくはないが、それが母の言う、わたしの生まれて初めての「追っかけ」やった。
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