入れ替わりの術式

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「なんだこの犬、情緒不安定か?」 ちりぺっぺから人間の声が聞こえる。その声は霞のものとよく似ていた。 「霞……?」 春月が呼び掛けるとその声は押し黙る。その時、春月は確信した。 ちりぺっぺは霞と融合して一匹の妖となったのだと。 おそらくちりぺっぺの墓が蔵の近くにあったため、巻き添えになったのだろう。 しかしちりぺっぺが大好きな春月にとって、そんなことは関係なかった。 理由はなんであれ、ちりぺっぺともう一度会えた。それこそが正義である。 「やめろ!!犬!!理性を持て!!」 霞が何かを言う。 しかし興奮したちりぺっぺにその声はもちろん届かない。 ちりぺっぺは見た目が霞でも中身は春月であることは分かっていた。 久しぶりのご主人にうれしさが爆発してしまったのか、よだれが止まらない。 そして大きな目がこれでもかと見開かれ、しっぽは扇風機。小さな4つの足は小刻みに踊る。 全身で嬉しさを表現することに夢中になった、ちりぺっぺの動きは誰にも止められない。 「なんで……こんなことに」 ちりぺっぺから酷く落ち込んだ声が聞こえる。春月はちりぺっぺを撫でて落ち着かせながら声をかけた。 「大丈夫?元気なさそうだけど」 「これを見てなぜ大丈夫だと思った?」 霞は大丈夫ではないそうだ。それを聞いて、春月は不思議そうな顔をした。 「やめろ!!俺の顔でそんな間抜けな顔をするんじゃない!!」 ちりぺっぺは相変わらずベロを出して目をキラキラさせている。 表情と発言がすっかりちぐはぐだ。これから自分は犬として生きなければならない。 霞はその事実を未だに受け入れられなかった。 体の主導権が犬であるちりぺっぺにあるということはもっと受け入れられなかった。 「そろそろお昼ごはんにしようか」 ごはんという言葉を聞くとちりぺっぺは再び興奮しはじめる。 「もう、やめてくれ」 霞は疲れていた。妖には物理的な疲労というものは存在しないが、精神的に疲れていた。 屋敷の中に戻ると、春月は冷蔵庫から昨日買った食料を取り出した。 コロッケとパン、ササミ入りのサラダなどを座卓に並べる。 ちりぺっぺはそれを小さな体でじっと見守っていた。 「ちりぺっぺにはササミをあげようねぇ」 春月はサラダの容器の蓋にササミをのせ、ちりぺっぺの前に置いた。 ちりぺっぺは春月がよしと言うのを今か今かと待ちわびているようだ。よだれが絨毯にたれる。 「よし」 その言葉を聞いて、ちりぺっぺは嬉しそうに勢いよくササミにかぶりついた。 「犬食いしてる……」 「そりゃちりぺっぺは犬なんだから」 霞は犬が餌を食べている動画をよく見ていた。 それでもまさか、自分が犬になって犬食いすることになるなんて思っていない。 あまりに想像を越えた事態に、霞は呆然とする。 そして食べたササミがあまりにも無味でパサパサだったことにも衝撃を受けた。
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