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「なんでもありません。用事があって春月様を探していたのです」
春月は適当にしらばっくれることにした。霞は息をのんでそれを見守る。
流石のちりぺっぺも、この時は空気を読んでじっとしていた。
「そうですか、春月様ですか。私もしばらく見ていないですねぇ」
朧は感情の読めない平坦な声色でそう言う。相変わらず、朧は何を考えているかわからない。
春月はもう慣れていたが、霞は朧のことが少し苦手だった。
霞の怯えが伝わったのか、ちりぺっぺはわずかに震えている。
「どうしたのですか?そんなに震えて、私が何をしたと言うのです?」
朧は少し笑っているようだ。何となく声色からそれは伝わってきた。
「何かおかしいですか?」
春月は尋ねる。それでも朧はちりぺっぺをじっと見るのをやめない。
それを恐ろしいと感じたのか、ちりぺっぺはより一層震えはじめた。
春月はちりぺっぺを庇うように腕を広げる。
「その制服、とてもお似合いですよ」
そう言い残して朧は春月が散らかした服やら荷物やらを一つ一つ丁寧に見てから、台所へ抜けていった。
春月とちりぺっぺ、そして霞はその後ろ姿を見送る。
「あれは、なんだったんだ……!?」
朧はいったい何が言いたかったのだろう。霞の疑問は解けることがない。
春月はそれからしばらくの間、寝室で蔵の残骸が運ばれる様子を眺めていた。
「やっぱり私も手伝ったほうがいいよね」
春月は、ぼんやりとしながら隠れて蔵の様子を伺う。外は、相変わらず蔵の撤去で忙しいようだ。
段ボールに入った小さなお茶のペットボトルを、朧が皆に配っているのが見える。
「あの蔵ってお前が壊したんだろ?」
朔のその言葉を聞いた春月は、少し不機嫌な顔になった。
おそらく自分が悪いという自覚があるのだろう。
春月にとって自分が壊した蔵を他の誰かが片付けているのを見ているのは、少し恥ずかしくもあったからだ。
「元はと言えば霞のせいでもあるからね」
ちりぺっぺは相変わらず明るい顔をしているが、霞としては少し渋い気持ちだった。
そもそも自分があんなことをしなければ体を奪われることもなく、犬にもならずに済んだ。
全ては自分の自業自得。身から出た錆だ。そんなことはわかっている。
「なんであんなことしたの?」
「……言いたくない」
霞はそれきり口をつぐむ。春月はちりぺっぺの顔を見た。
霞の気分が沈んでいるせいか、つられてちりぺっぺも少し悲しそうな顔になっている。
そうだ。いつまでも隠れているわけにはいかないんだ。
春月は悲しそうなちりぺっぺを見て気づいた。
このまま自分が隠れ続けるということは、ちりぺっぺ達にもそれを強いるということ。
「おいで、ちりぺっぺ」
覚悟を決めて、春月は庭に飛び出た。
蔵を壊したのは、確かに禁術の証拠を隠蔽する目的もあった。
しかしそれは建前にすぎず、本当は死んだ自分を見たくなかったのだ。春月は自分の気持ちにはっきりと気づいた。
(やっぱり私は、まだ生きたかったのか……)
あの時、一度屋敷から離れたのもきっとそのためなのだろう。春月は自分の体で生きたかった。
死ぬのなんてまっぴらごめんだった。
だから、どうしても死んだ自分を見るのが怖かったのだ。
けれど、春月はそんな気持ちとはこれで決別することにした。
「私も蔵の撤去手伝います」
春月には今も守らなくてはならないものがいる。
それはちりぺっぺであり、朧であり、朔であり、そして霞でもある。
自分に誰かを守る力がまだあるのなら、そのために生きたい。春月は自分の現実と向かい合うことに決めた。
「霞様……そうですね。お願いします」
いつの間にか戻ってきていた朧はなぜか少し涙目だった。
スコップで小さな瓦礫をバケツに入れて運び、そしてトラックに乗せる。
単純な作業だったが、春月は一心不乱に頑張った。その顔にはもう迷いなんてない。
ちりぺっぺと霞は、春月の後ろ姿を少し離れて見守っている。
程なくして、蔵の中から倒れた春月の体が見つかった。
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