傍ら(かたわら)

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 アールのついた木のカウンターの隅に腰掛けながら、淀(よどむ)は取れきれない疲れを背負ったまま、運び出されていく荷物を眺めていた。小さな店内は、殆どの物が持っていかれて、このカウンターだけが残っていた。溜息や、空(くう)を見つめることが飽きないのだろうかと思うぐらい、彼は何百回、何千回も、同じ仕草を続けた。 「あの、この支払い、して頂かないと困るんですが・・。」 「何時までに返済をしてもらえますか?。」 「随分、無計画だったようですなあ・・。」 心ない言葉が容赦なく淀に浴びせられたが、彼らもまた仕事でやっていることと、淀は仕方無く受け止めながら、精一杯の作り笑顔で、 「はい、出来るだけ何とかしますから・・。」 と、返せるアテも無いのに、そういうしか無かった。  三年前のことである。 「なあ、オレ、脱サラして、お店やろうと思うんだ。」 仕事から帰ってきて、夕食を取りながら、淀は突然妻にいい出した。 「え?。何、それ。」 真面目一筋で、仕事と家庭のことに忠実な夫像、父親像しか見ていなかった妻には、正に青天の霹靂だった。妻は食事を中断して、夫を見つめた。 「あまりにも突然で・・。順を追って話してくれる?。」 流石の妻も、淀に説明を求めた。 「うん・・。仕事が別に嫌とか、そういうことでは無いんだ。そりゃ、上司とか同僚達との関係が上手くいってるって程でも無いけど、特にストレスを感じるとかって程でも無い。ただ・・、」 「ただ?。」 淀は妻の顔を真っ直ぐに見た。 「人間の人生って、一度きりじゃないか。だったら、生きてるうちに、自分の夢を実現してみてもいいんじゃ無いのかなって。そう思って。」 そう語る淀の目は輝いていたが、対する妻の表情は当然、冴えなかった。食欲も失せてしまったのか、彼女は口を真一文字に結んだまま、黙り込んでしまった。そして、 「んー・・。」 と、鼻で息を吐きながら、唸った。そして、暫しの沈黙の後、 「で、何をやりたいの?。」 妻はたずねた。 「お店!。」 淀は妻の問いに即答した。余程やりたかったのだろう、そして、具体的なビジョンを持っているのだろうと、妻はそう思った。 「で、どんなお店?。」 すると、返ってきた言葉は意外なものだった。 「お店。何かの。」 「はあ?。」 飲食だとか、小物屋とか、花屋とか、少なくとも、そういう好きなものを挙げるだろうと妻は思ったが、淀の想像は、抽象的極まりないものだった。 「兎に角、自分の店を持ってみたいんだ。そして、お客さんと対話しながら、何か商売をしてみたいんだ。」 聞けば聞くほど、妻の眉間に皺が刻まれた。呆れかえった妻は、逆に食欲が戻ったのか、再び食事を続けた。正直、聞くだけ無駄と感じたのだった。 「どう?。」 淀は妻に同意を求めた。しかし、 「お金は?。子供の進学費用は?。此処のローンは?。」 そういうことで、淀がこの話を諦めるだろうと、そう考えた。そんな風に、ビジョンも無いまま今の仕事を辞めて、夢に向かって突き進むことが如何に大変かということを、淀は全く理解していない。妻にはそんな風にしか映らなかった。ところが、 「店を軌道に乗せて、そういう支払いもしていく!。」 やはり淀の目からは、輝きは失われなかった。ほとほと困ったというより、妻には長年連れ添った亭主が、こんな人間だったかと、根本的な疑問さえ湧いてきた。このまま彼を懐柔させるべく、現実を見つめるように言葉をかけ続けるのが、今の生活を壊さない唯一の方法である。妻は芋の煮っ転がしをを口に運びながら、とどめの一言を模索していた。しかし、意外にも妻は、 「わかったわ。」 そういうと、再び食事を続けた。 「え?、いいの?。」 「そういったでしょ。」 呆気ない妻の承諾に、淀は思わず小さくガッツポーズをした。そして、 「よーし。そうとなったら・・、」 と、淀は食事もそこそこに、何か図面のようなものを持ち出してきた。 「店の構えとか内装は、一応、構想があるんだ・・。」 と、淀はいつの間にか用意した想像図を妻に見せた。其処には敷地面積や、店内のレイアウト、そして飲食と決まった訳でも無いのに、カウンターが描かれていた。 「出口付近のカウンターには、アールがついててね・・。」 妻の返事を聞くまでは、いつもの平凡な夫だったが、図面を取りだしてからの淀は正に別人だった。それは、妻が思っていたよりも熱の籠もった、そして、聞けば聞くほど具体的なものに感じられた。 「へー。動線もちゃんと考えてあるのかあ・・。」 客の出入りが滞らないように、淀は手計算で数字を弾き出していた。そればかりか、それらを作るのに必要なおおよその費用や、今ある自己資金および、足らない分を借り入れる際の返済プランも、概算ではあったが、ちゃんと計算していた。 「ま、勤め先で経理は長かったからね。その辺りは抜かりないよ。」 淀は妻を安心させるべく、そう語った。そして、一通り話を聞いて、妻は我に返った。  これだけ堅実な思考が出来て、何より冒険を望まなかった夫が、何故急にこんなことをいい出したのか。そして何より、何故、これという名詞を出さないまま、兎角、店をやってしまおうとするのか。どうせ言葉に詰まって、頓挫するのがオチだと思っていた妻の思惑は、妙な形で外れつつあった。ウキウキ気分で夕食を済ませると、夫は早速、店の構想をさらに練り始めた。今までも明るい夫ではあったが、今は若い頃に出会った何倍も、バイタリティーが溢れている、そんな様子だった。いや、こんな淀の姿を、今までに見たことがあっただろうかとさえ思えた。テンションの上がりすぎた淀は、床に入ると、そのまま眠りに落ちた。一方、妻は、 「うーん、こりゃ、困ったぞ・・。」 と、布団の中で腕組みをしながら天井を見つめつつ、ゆっくりと眠りに落ちた。  翌日からの淀の行動は極めて早かった。勤め先には早々に退職願を出した。 「え?、何で?。」 と、上司もビックリする有り様だったが、そんなことなど、淀にはお構いなしだった。 「はい。店をやろうと思いまして。」 「店?。何の?。」 「あ、それはまだ決めてません。」 「・・・・・。」 上司も淀の妻同様、絶句するより他無かった。そして、彼の退職の噂は同僚達にも広まったが、ニコニコ顔で残務処理をする淀に、どう声をかけていいのか、全く解らない様子だった。そして、仕事の合間に時間を見つけては、金融機関にも足を運んで、足りない資金の貸し付けについての相談を綿密に行っていた。 「なるほど。そういうお店を開業する訳ですね。」 「はい。審査の程、宜しくお願いします。」 何の行書かをいわないままでは、流石に貸し付けなど無理と解っていた淀は、適当な業種を書類に書き込んで、その業種にかかるであろう開業費を調べて書き込んでいた。そして、家に帰ると、淀はいつものように、その日の出来事を妻に話した。 「えー!、もう、そんなことまでやってんの?。」 「うん。」 タイミングを見計らって、淀に諦めさせようとしていた妻の計画が、彼のパワーに押されて、逆に遠のいてしまいつつあった。と、 「ところで、金融機関に借り入れの申請にいったっていってたわよね?。」 「うん。いった。」 「業種は何ていったの?。」 流石に妻も、それはいわなければ審査は通らないことぐらいは解っていた。 「うん、まあ、仮にだけどね・・。」 そういいながら、淀は申請書の写しを鞄から取りだした。 「ちょっと見せて!。」 妻はそれを引ったくるようにすると、書類に目を通した。 「・・・何。カフェ?。」 「うん。まあ、そうでも書かないと・・。カウンターの手前はアールがついてて、」 「それはいいから。」 妻は淀の話を遮ると、目を皿のようにしながら書類を見つめた。そして、 「あのさ、カフェじゃ駄目なの?。」 と、至って真剣な表情で淀にたずねた。数字の割り出し方や、返済方法等、素人の妻が見ても、それなりの無理の無い数字が書き込まれていた。しかし、やはり問題の核心は、夫が何屋をやりたいのかを決めていない点だった。 「あの、一ついっていい?。」 「何?。」 妻は淀が日頃からカフェに関する要素を滲ませたことなど一度も無いことを知っていた。当然、開業するからといって、それなりの研修や修行などするつもりも無いだろうことを見抜いていた。仕事と家庭の一辺倒で、趣味のしゅの字も持ち合わせていない淀。彼女はそのことを熟知していた。 「アナタ、自分で業種を決めれる?。お店の。」 「・・・う。それは・・。」 「よね。アナタ、決められたことはキッチリこなすけど、こういうことは、自分では決められない。そうよね?。」 「う、うん・・。それは多分・・。」 「じゃあ、カフェになさい!。アナタが懸命に此処まで立てた計画でしょ?。だったら、それはアナタの夢よ。グズグズしないで、やるならパッと始めましょ!。」 「え?。」 妻はいつの間にか、淀に夢を諦めさせるよう働きかける、自身の姿が馬鹿らしくなってきた。そして何故か、今の生活スタイルに引き戻すよりも、どうなるか解らない自営の世界に飛び出して、夫の傍らで店を手伝う自身の姿を思い描いていた。 「やるっきゃない!。」 淀の乙女チックに輝く眼とは対照的に、妻の眼には炎が滾っていた。成功するのを、淡い期待を持って夢見るのが男の悪い癖。妻はそんな風に直感していた。ならば、そういうヤワな夫を奮い立たせるべく、切り盛りするのが自分の役目と、妻はそう直感しながら、いつの間にか淀の前で仁王立ちになっていた。そう思い立つが早いか、妻は壁掛け時計を見ると、 「うん・・、まだやってるかな?。」 そういいながら、着の身着のまま、表に飛び出していった。そして、 「ただいまー。よーし、やるぞっ!。」 と、妻は買い物袋の中から、買って来た幾つものコーヒー豆の袋を取りだした。そして、家にあった古いコーヒーミルを取り出すと、 「時間が惜しい。特訓よ!。」 と、淀をキッと睨んだ。  淀とは違って、妻はママ友と時折、カフェにいってはコーヒーとスィーツを堪能していた。そんなに専門的な知識を得る訳でも無く、ただただそうやって、ゆっくりとした時間を過ごすのが好きだった。そしていつの間にか、一通りのコーヒーの味ぐらいは分かるようになっていた。一時に全部は覚えられないであろうからと、妻は二つの袋を開けて、それをミルで挽くと、コーヒーメーカーにセットしてドリップした。そして、出来上がったものをカップに入れて、 「はい。嗅いでから飲んでみて。」 と、二つのカップを淀の前に差し出した。淀は徐にカップを取ると、それぞれのカップを嗅いだ後、口に含んでみた。 「うーん、どっちもコーヒーだ。」 「そりゃそうよ!。」 妻は愕然としながらも、その日から、二人の特訓が始まった。毎晩、二種類ずつのコーヒーを飲み比べし、焙煎やドリップの仕方なども検索しながら、美味しいコーヒーの注ぎ方まで二人で学んだ。そして、借り入れの申請が通ったのと同時に、退職の日もおとずれた。同僚達がささやかな送別会をといってはくれたが、 「いや、恥ずかしいからいいよ。」 と、淀はその申し出を断った。そして、家からそう遠く無い所にある、表通りから少し御困った場所に向かった。其処には既に借りていた店舗物件があり、淀は経費を抑えるべく、自身で内装作業を始めた。食器類や棚の設置などは、仕事中の淀に代わって、妻がコツコツと行っていた。食器類や調理機器、そしてキッチンも設置が終わっていた。 「この分だと、二、三日後には仮オープンが出来るわね。」 「うん。そうだね。」 淀が勝手にいい出した夢だったが、いつの間にか、二人の共同作業によって、夢は二人のものになろうとしていた。そして、作業が一段落したとき、 「さて、今日もコーヒーの試飲ね。」 「ああ。」 妻がそういうと、淀はアールのついたカウンターを手で撫でながら座った。と、其処へ、 「カランカラン。」 ドアの開く音と共に、 「親父、店やるんなら、ホームページぐらい作れよな。」 そういいながら、息子がラップトップを持って来て、カウンターの上に置いた。そして、 「取り敢えず、適当に表から画像撮っといたから、あとは内装が出来たら、メニューとか貼って、アップするだけだから。」 と、少しぶっきら棒ないい方ながらも、照れくさそうにそういった。淀も妻も、息子には要らぬ心配をかけまいと思っていたが、二人の毎晩の会話は、息子には筒抜けだった。 「・・おう。有り難うな。」 淀はワザと息子と目線を合わさないようにしながら、こっそりと涙を拭った。そして、妻も母親の顔になり、カップを三つ用意して、コーヒーを入れた。 「さ、召し上がれ。」 三人はカップを仰ぎながら、ゆったりとした時間を過ごした。  細かな詰めの作業も終えて、メニューと金額の設定も終えると、二人はくたくたになった。 「さて、後は明日のオープンを迎えるだけだな。」 「ええ。」 二人は何処となく、疲労感とやり遂げた感で、晴れやかな表情になっていた。そして、 「お。金額が出たみたいだね。じゃあ、ちょっと其処空けて。撮影してアップするからさ。」 内装作業を度々手伝いに来ていた息子が来て、柔らかなライトに照らされた店内を撮影し始めた。そして、妻が軽食を作り、淀がコーヒーを入れると、三人で簡単な食事を取った。 「うん。美味い。」 ナポリタンを食べながら、息子が唸った。 「良かった。よーし、明日から頑張ろう。」 「うん。」 妻の言葉に、淀は頷いた。  翌日は、オープンセールということもあって、朝から客がどんどんやって来た。 「いらっしゃいませ。」 不慣れながらも、二人は接客と調理に大わらわだった。息子も出来た料理の撮影をしながらアップするつもりだったが、急遽、店員として駆り出された。 「わー、綺礼なお店。」 「いい雰囲気だね。」 「あ、コーヒー、美味しい。」 客の反応は上々だった。三人は自分達の食事を取る暇すら無いほどだった。途中で、食材が切れそうになると、息子が急いで買い足しに走った。そして、気がつけば、いつの間にか夕暮れ時になっていた。 「ふーっ。参ったなあ・・。」 淀は空いてるカウンター席に腰掛けると、一息つこうとした。すると、 「駄目だよ、親父。外から見えるから。」 と、息子が叱咤した。淀は申し訳なさそうに席を立つと、カウンターの中に戻って、洗い物や調理器具の掃除を始めた。そして、ようやく閉店時刻になると、淀はシャッターを下ろし、店内は三人だけになった。 「はい。もういいよ。座って。」 息子の許しが出て、淀はようやくゆっくりと座ることが出来た。すると、 「はーっ、疲れた・・。」 と、妻がカウンター無いから出て来て、そのまま端っこの席で突っ伏した。息子は二人を見かねて、 「じゃ、オレ、何か作るよ。」 そういいながら、二人に代わってカウンター内で調理を始めた。そして、見よう見まねで作ったピラフとコーヒーで、三人のお腹はようやく満たされた。  オープンセールの低価格に加えて、目新しさから、暫くは淀の店も客で賑わったが、暫くするとその賑わいも落ち着き、のんびりとした時間が増えるようになった。そして、人手も然程要らなくなり、息子も学業に専念する様になった。 「暇ね。」 「そうだね。」 妻は少し心配そうにいったが、淀の表情は終始にこやかだった。彼にとっては、自分の店を持つべく励むこと、そして、その店に自身が身を置くことこそが夢の実現だったからだった。しかし、妻は、客足の伸び悩みが続けば、店の維持が難しくなることを予想していた。夢は実現することよりも、それを続けることの方が余程難しいと、何かの本を読んで知っていたからだった。そして、数ヶ月が経とうとしたとき、妻は知り合いのコンサルタントの女性に、店の現状について相談してみた。 「え?、そんなので、やってるの?。」 「ええ。駄目かな?。」 「アナタ、開業した飲食の倒産率って、知ってる?。」 知り合いはいきなり直球を投げてきた。妻は友人や家族に声をかけたりと、それなりの営業活動もしていたが、淀は真面目に店には立っていたが、機転の利く営業的な動きをすることもなく、時折、カウンターのアールを撫でているだけだった。そんな様子を優しい眼差しで見つめながらも、夫の夢を続けさせてあげたいと思った妻は、知り合いコンサルタントの女性を店に呼んだ。 「アナタ、ちょっといい?。」 妻は彼女を淀に紹介した。通常なら、相談に乗ったり、何らかのアドバイスを得るだけでも有料なのを、彼女は全てただでやってくれた。そして、 「どう?、この案。」 妻は真剣に淀を見つめた。しかし、 「うん・・・。」 と、淀は虚ろな返事をするだけだった。新たなメニューの開発、コストカットの工夫、競合する他店との差別化やオリジナリティーへの挑戦。本来なら、店を盛り上げていくためには最低限必要なことばかりだったが、淀は顔を曇らせながら、それらの提案を断った。 「アナタ、どうして?。」 と、妻も思わず詰め寄った。すると、コンサルの彼女が妻の腕をそっと引っ張りながら、外へ連れ出した。 「恐らくだけど・・、」 彼女はいい難そうにしながらも、 「ご主人、開業までに、燃え尽きちゃってるかも・・。」 と、眉間に皺を寄せながらそういった。 「どういうこと?。」 「うん。アタシ、この仕事してるから、そういうのに出くわすことがあるんだけど・・、」 と、彼女は不慣れな業種に飛び込んで失敗してしまう例を、仕事のやり方やスキルについてでは無く、その人のキャラに合わない場合、往々にして心がやられてしまうことがあると説明した。 「・・・そうかあ。じゃあ、アタシが代わりに気を張って、」 妻がそういうと、彼女は妻の腕を掴んで、静かに首を横に振った。 「そうじゃ無い。今は頑張らせたり、そういう様子を見せちゃ駄目。そっと静かに見守ってあげなきゃ・・。」 彼女の言葉に、最初はそんなに深刻なことでは無いだろうと高を括ってはいたが、彼女の予想通り、淀の様子は、次第に沈んでいった。急に判断力が鈍り、顔からは表情が失せ、夜は寝付けないといった状態が続いた。 「店が重荷なんだ・・。」 彼女はそう思い、淀に休むように再三いったが、淀は聞こうとはしなかった。そして、いつものように、暇な店内にいっては、カウンターのアールを手で撫でていた。そして数ヶ月後、いよいよ店も立ちゆかなくなり、妻の疲労もピークに達したとき、 「アナタ、ごめん。このまま店を続ける訳には・・。」 妻は涙を堪えて、淀にそう伝えた。すると、 「済まなかったな。ごめんよ。オレって本当に、浅はかだったなあ・・。」 そういいながら、妻の肩に手を置くと、淀はスッと立ち上がって、店の外に出ていった。妻は店を閉めるべく、片付け作業をしようとカウンターの中に入ったが、ふと胸騒ぎがした。そして、 「カランカラン。」 と店を出ると、近くの踏切まで走っていった。案の定、警報が鳴り、下りた遮断機を潜る一人の男性が目に止まった。 「アナターッ!。」 右手からは急行が踏切に差し掛かっていた。そして、軌道内に侵入しようとする淀を、妻はすんでのところで、抱きついて食い止めた。 「もういい。もう大丈夫だから。ね。」 妻はボロボロ泣きながら、踏切の外で淀と抱き合った。そして、騒ぎに集まった人垣をかき分けて、二人は店へと戻っていった。 「ねえ。夢って、始まりもあれば、終わりもある。その終わりを、一緒に見ましょ。ね。」 妻は優しく声をかけると、淀を店の中へ誘った。彼はカウンター席に座ると、アールを撫でた。そして、その手の横に、妻はコーヒーを差し出した。 「また何時か、夢の続きが見られるかも。その時まで、このアールのカウンターだけは、置いときましょう。」 妻がそういうと、無表情だった淀の頬を、一筋の涙が伝った。 「うん。有り難う。」
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