ホスピタル

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ホスピタル

坂下深雪(みゆき)は、病院の目まぐるしく変わる、会計電光表示板に 時折、目を走らせては「まだなのかしら。早い所、済ませて家に帰りたいのに」と、他の患者同様、不安を(つの)らせていた。 家には80の父と柴犬のコロがいるだけなのだが、ヘルパー泣かせの父が、又、彼女らに無理難題吹っ掛けていそうで気が気でない。 とは言え、時たまパジャマにガウンという出で立ちで容態も思わしくなさそうに見える患者を見かけると、高血圧の薬を貰いに来ているだけの自分など「まだ、いい(ほう)」とした不謹慎な思いを抱いたりもする。 こうした、入院を余儀なくされた人々は、常に家族に迷惑をかけているという思いを持ち、四六時中、担当医師、看護師などに「すみません」を繰り返す。 さらに見舞い客には具合が悪くても起き上がり、御礼の言葉を述べなければならない。 これでは、家で寝ていた方がまだ、ましと思える。 こうして、周囲を見回してみると、やはり、高齢者や中高年の人達が目立つが、緊急を要し、会社を休んで来たと言った感じの若い人もチラホラ見受けられる。 子供連れで来ている母親は、本人と子供のどちらが患者なのかは不明だが、 そうした中でも彼女らは一様に携帯の操作に明け暮れ、自身の番号が表示されているのにも気づかない。 普通、大病院の待合室という特別な環境の中にいると、様々な音が壮大な雑音となって「騒々しい」と思うはずなのだが、自分に限っては、逆にそれらをBGMとするかのように、遠い昔に記憶をよみがえらせてしまうのが常だった。 おそらくそれは、病院で目にする多種多様な人々に、自分が人生で出会ってきた人々を重ね合わせて見てしまうせいなのかも知れない。 坂下深雪は、高度成長期の真っ只中、公務員の父と保育士の母の下、二人姉妹の次女として生まれた。 真面目一方の両親のDNAを受け継ぎ、他者と一線を画すような賢さはなくても、親が望んだ公立校に進む事が出来、周囲からは「親孝行な娘」として褒め称えられた。 中学で、成績上位者が徹夜勉強し、結果、体調を崩すという例を間近(まぢか)で見た事もあり、それを教訓に、決して無理をせず、地道にその日受けた授業の復習に徹した。 周囲からも「あの子は秀才とは言えなくても、いつも上位グループに入っている」と言われるようになり、そうなると、その期待を裏切らない為により一層、勉強にも身が入っていった。 よって、周りからはそこそこ勉強が出来る優等生として見られていたのだが、実際は、水面下で必死になって足をばたつかせている白鳥のような人間に過ぎず、そうした涙ぐましい努力抜きに出来た科目は美術だった。 高二になった時点で進学雑誌などから情報を得、さらに予備校にもいち早く通い始めた結果、 志望していた美大に現役合格を果たす。しかし、喜んだのも束の間、そこは芸術を極めたいと思ってやってきた猛者達が、自身の才能を開花させ、切磋琢磨する場所だった。 それまでの地道な努力では到底、彼らと同じ土俵に立てない事を知った深雪は、暇さえあればデッサンに時間を割いた。 その内「デッサン」というあだ名をつけられるが、才能満ち溢れる彼らにこれ以上歴然とした差をつけられない為にも、黙々と鉛筆を走らせ続けた。 当時は、女子学生の数が少ない事もあり、マジか!と思える程、もてた。深雪は、そうしたよりどりみどりの環境ではあっても、同じサークルの1学年上の男を相手に選び、結果、その人物を人生の伴侶とした。 世間的には決して可愛いとされる女ではなくとも、女子学生が少ないことで砂漠におけるオアシスのような作用が働き、入部して直ぐに交際を申し込まれた。 夫は、学年が違うこともあり、果たして成績が良いのかも謎だったが、本人は在学中から映像ディレクターを目指しており、卒業後は大手広告代理店に職を得た。 社会人となった夫は、深雪に「やっている事は美大の時と変わらないよ。却って大学の卒業制作の方が大変かもしれないな」と言い、会社に入ってからも、そのマイペースさを保ち続けた。 深雪は、深雪で出版関係にいた姉の(つて)で、エディトリアルデザイナーを志す。 親から小言を聞かずに済むという事で、一人暮らしをしていた姉は、生活環境が変わった途端、どんどんやつれていった。 そうした経緯もあり、深雪は、母親の干渉のもと、自宅に居続けた。 深雪がエディトリアルデザイナーとしての職について、5年が過ぎた時、交際中の夫からプロポーズを受ける。 周囲からは玉の輿などと揶揄(やゆ)されるものの、彼の所属する業界がこの先どうなるのかも不確かで、そういう意味からも常に不安感は(ぬぐ)えなかった。 本の装丁を手掛ける仕事は、地味ながらも、その完成までの時間が短い。 だからといって、手っ取り早く完成させれば良いというものでもなく、作者の気持ちになって作成する必要がある。 作家、編集者、デザイナーが揃って納得できるものを考えるのは、深雪にとって、毎回「産みの苦しみ」とも言えるものだったが、完成した本を手にするとそれまでの苦労も一気に吹き飛ぶほど嬉しかった。 そうした中、子供を授かる。 すごろくに例えれば、一気に「上がり」まで進んだ深雪ではあったが、心の中では人生こんなにツキすぎてていいのだろうか?とした不安が頭をもたげていた。 事実、そうした順風満帆の航行(こうこう)がずっと続く訳もなく、結婚16年目に、夫が急逝(きゅうせい)する。 付き合いで「酒」は毎日という生活だった夫は、仕事疲れから逃れる為の「喫煙」とも縁が切れる事はなかった。 夫亡き後、親の勧めもあり、深雪は、家族三人で住んでいたマンションを引き払い、高二の息子と実家に戻った。 そして「せめて息子の大学卒業までは頑張らなければ」という思いで、再就職の面接に出掛け続けた。 面接に行った先から不採用となり、どん底の気分を味わっていた深雪の下に、漸く一社から「採用」との連絡が来る。 そこは、徒歩圏内の、とあるスーパーだった。 20年、やってきたエディトリアルデザインの世界は「無」から何かを形づくる事で成り立っていた。 反面、スーパーでの仕事は、日々、ルーティンワークで、誰がやろうがその業務に(いちじる)しい差異はない。 そうした先入観を持って入った会社は、やはり女性が圧倒的に多く、自己主張の強い彼女らの中に放り込まれた深雪は、人間関係の厳しさと不条理に幾度となく悩まされた。 中で働く女達の多くはレジ打ちで、仕事中は皆一丸となって働いているように見えるものの、実際は派閥(はばつ)のようなものがあり、店長の知らない所でぎくしゃくした関係が構築されていた。 例えば、互いに一歩も引かないタイプの四〇代の女二人は、品出しがなっていない、客の扱いが雑などと互いをこき下ろし、従業員の間では犬猿の仲としてまかり(とお)っていた。 しかし、二人のうち片方の女が夫の転勤で、職場を去る時には「今までの事は全て水に流しましょう」とばかりに、二人でしかと抱き合い別れを惜しんだ。 見ている方としては「最後に決闘でもしてくれるかな?」と期待していただけに、何となく肩すかしを食らったような気もするのだが、後腐れがあっては(たま)らないという事なのだろう。 深雪の息子は、父親の逝去(せいきょ)に左右される事もなく、難関大学を受験し、見事、合格した。 祖父母も孫の快挙を手放しで喜び、深雪が合格祝いと称して家族4人の旅行を計画するも、間際に母親が肺気腫で入院し、そのまま病院で最期を迎える事となる。 連れ合いを亡くし、実質一人になってしまった深雪の父は、これまで話し相手だった妻がいなくなってしまったせいか、すっかり老いの色を濃くしてしまった。 痒い所に手が届くタイプの妻に比べれば、ヘルパーはやる事なすこと、全てちぐはぐで、つい、暴言の一つも出てしまう。 その都度「お父さん、いい加減にしてよね」と言いたい気持ちをこらえ、職場でも、父が暴走していない事を祈る深雪ではあったが、反面、自らはこうした高齢者になってはならないとした戒めを抱き毎日を送っていた。 そんな中、深雪はこの会計時、よく見かける女性に目が()まる。 「あっ、あの人、又、いる。余程、縁があるのね」 栗原巻子は一人の主婦が暇を持て余して、自分の事を見ているなどとは夢にも思っていなかった。 実際、幼少期から「可愛いわね」「お人形さんみたい」と言われる折り紙つきの美少女だった為、今更、あれこれ言われた所で「何だろう?」と気にする事はなかった。 今ではこんなおばさんだけど、小さい頃は目鼻立ちが整った美形の子供で通っていて、母は経営する洋装店の傍ら、田舎では買うことが出来ない子供服をミシンで縫い、着せてくれたものだった。そして、東京で買ってきた既製服を着せられた子供より、母手製の服を着た自分の方が数段可愛く、より流行の先端を行っている気がした。 北関東の小さな町の出身だった巻子の母は、洋裁を学ぶため18で上京した。洋裁学校の友人達は実家からの通学の為、殆ど生活費がかからない。 しかし、そうではなかった巻子の母は、手っ取り早く稼げるというのもあり、夜の仕事につく。 日中の洋裁学校のクラスメートとは違い、夜の職場の同僚達は、一度会ったら忘れられない、強烈な個性の持ち主が多かった。 フランスのB.Bのようにコケティッシュな色気を振りまく者、ツイッギーのような中性的な魅力で惑わす者、伝統に(のっと)り女らしさと奥ゆかしさで勝負する者と、それぞれのキャラクターが確立し、誰一人、似通(にかよ)るという事もなかった。 さらに、女達のまとうドレスを間近(まぢか)で見て、触れられたのも、巻子の母にとって服飾関連で、大きなプラスとなった。 勤めて半年後、巻子の母は、客の1人で既婚者の男と(ねんご)ろになり、巻子を身ごもる。 巻子の祖父母はお腹を大きくして、故郷に帰ってきた娘に言葉を失ったものの、初孫を迎えられる喜びの方が勝ち、洋装店開業で忙しくしている娘に代わり、家事、育児の面で全面的なバックアップをする。 こうした中、成長し、母からの愛情に多少、物足りなさを感じる巻子ではあったが、その代役を祖父母がしっかりと務めてくれ、中学、高校時代も比較的恵まれた学生生活を送る事が出来た。 自らが他人よりも顔立ちが整っていると自覚したのは、中学に上がった頃だった。同性からの羨望(せんぼう)の眼差しプラス異性からの()るような視線にさらされ、自分は他者とは違うという意識を持った。 巻子は高校に入学すると、その美貌から演劇部に入る事をすすめられ、特に考える事もせず、入部した。 しかし、役者にとって命とも言える「表現力」が今一つだった為、次第にいい役から外されていく。 反面、ストーリーを考えるのは、得意だった為、クラブのために戯曲(ぎきょく)をいくつか書き上げた。 こうした経緯で、大学も演劇の盛んな所を選びそこに入学した。 高校時代の演劇部は「純粋に演劇をやりたいという者達の集まり」だったが 大学の場合は、アナウンサー志望、タレント志望、漫才師志望、と言うように 何かで一旗上げようと考えている野心家の集合体だった。 戯曲を書きたくて入部したのは、巻子位で、ここでも巻子の書いた物が採用された。 巻子は、この部で将来の夫となる男と出会う。 彼は政治家志望で、演劇部に入ったのも政治活動をする上で役に立つと考えての事だと話した。 実際、舞台ばえする彼は、公演では主役の座に就くことが多かった。 巻子の書いた戯曲で、彼が主役を務めるというパターンが定着していくと、共に、過ごす時間も多くなり、その過程で愛も(はぐく)まれていった。 強い絆で結ばれた二人は、卒業と同時に入籍を果たす。 巻子の夫は、大手損保に入社し、その要領の良さで上からの覚えもめでたかったのだが、国政(こくせい)にかかわりたいという願望を叶える為、数年で退社し、中堅国会議員の秘書の座に収まる。 この頃より、夫は、(きば)を抜かれた獣のように大人しくなってしまい、国会議員の手足となって身を()にして働く、ただの使いっ走りのような男に成り下がってしまう。 巻子が大学一年時に書いた戯曲に痛く感激してくれた男はどこかに消え失せ、どう立ち回れば上に引き立ててもらえるか?だけを考えるつまらない男になってしまったのだった。 その延長線上には違法行為というものもあり、彼は使途不明金を動かした張本人としてマスコミ、当局から追い打ちをかけられる羽目になる。 夫は巻子にも「マスコミから、嗅ぎつけられないよう身を隠せ」と指示し 巻子は一人、1週間単位で宿泊先を変える作戦を遂行する。 それでもマスコミの嗅覚というものはすさまじく、ある日、どこからか情報が漏れ、潜伏先のホテルに記者達が押し寄せてきてしまう。 こうした窮屈な生活に疲弊(ひへい)していた巻子は、夫に相談することなしに、マスコミに事実をあからさまにする。結果、連日ニュースで取り上げられ、誰一人として知らない者はいない位、有名になったのだが、夫からは離婚を突き付けられる。 独りになり、これからの人生どうやって切り開いていこうかと思案している巻子の前に、ある実業家の男が現れ、彼に相談している内に親密な仲となり再婚する。 男は海外から食品を輸入し販売する仕事で成功をおさめた人物で、自分の右腕となってもらえるよう行く先々に巻子を帯同し、仕事の成り立ちを伝授した。 その甲斐もあり、巻子は、数年で、夫の事業の全てに精通する。 そんな矢先、夫は、出かけて行ったゴルフコンペで、側頭部に打球を受け、帰らぬ人となる。 夫亡き後、友人達の間では「奥さんには、あいつの代わりは無理だろう」とした声がささやかれていた。 しかし、巻子は、その予測を裏切るようにどんな仕事でもそつなくやり、商談をまとめていった。 最初の結婚ですばらしい相手とめぐり逢ったと思ったのも束の間、相手は単なる小判鮫のような男だった。だが彼との結婚生活で、男に100%依存して生きるのはギャンブルに等しいと学べたのは大きな収穫だった。 思えばいろいろな危機がその都度自分に降りかかってきた。 だが人をあてにせず、自身の力でそれらを乗り越えてきたのも事実だった。 知り合いの有閑マダムの中には、やれコンサートだ、海外旅行だと躍起(やっき)になっている者もいる。 しかし、自分には社員の生活がかかっており、そうした事にかまけている暇があれば「日経(にっけい)を隅から隅まで読み、紙面から何らかの情報を得なければならない」と思っていた。 巻子は「こんな田舎者の女が良くここまで成り上がれたな」と思うと同時に、今後も足元を(すく)われないよう気を付けなければ…と自らに言い聞かせた。
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