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時空を超えて
的場セレモニーの小日向は、宮田総合病院から、月、数回入る葬祭依頼が今月はやけに多いと感じながらも、人の生死は判で押したように行われる訳じゃなしと苦笑した。
今夜も、漸く床につけたと安心しきった頃に電話で緊急の呼び出しが入った。
しかし、的場セレモニーに婿養子で入った小日向からすれば、義父の築いた店の評判を落とす訳にも行かず、さらに社員を行かせる位なら自分が行った方が確実だと考えていた。
呼び出しが入った宮田総合病院は、先代が開拓した得意先で、場所が目と鼻の先と言う事もあり、患者死亡の際には真っ先に依頼を受けていた。
電話を切って衣服に着替えていると、別室で、休んでいた妻がやって来て
「本当にあなたって人は仕事人間なんだから。
夜間の電話も全部、一人で受けてるじゃないですか。
若い社員と交代制にするとか、他にいくらでも方法があるでしょうに」
と愚痴をこぼす。
「それはそうだけど、あいつらは熟睡したら最後、起きないだろう。
それなら、俺が受けた方がいい」
「確かに若い人達に任せるのは不安でしょうけど、それで、自分が倒れたりしたら本も子もないんですから」
言いたい事を言った妻はすっきりしたようで、くるっと背を向けると同時に、自室に戻っていった。
小日向は宮田総合病院に到着すると、予め預かっているキーを使い裏口から入る。
病院内を熟知している小日向は、迷う事なくエレベーターのある場所まで進むと、操作ボタンの横に貼られた「今日に限り、ご遺体は6階のリネン室に安置してあります」と書かれた紙に気づいた。
6階で降り、廊下を歩いていくと、すぐに「リネン室」と表示が出ている部屋を見つける。
「ここだな」
小日向は何故か「一回、落ち着こう」という気になり、少し間をおいてからドアノブに手をかける。
その瞬間、ドアノブがぐるりと回転し、少し開いたドアの隙間に身体ごと吸い込まれていく感覚を覚えた。
少年の頃、SF好きだった小日向は
「もしかして、時空を超えた?」
と推測するも、抗えない巨大な力にあれよあれよと身体が運ばれていき、一気に知らない世界へと、突入した。
一瞬で辺り一面の景色が変わると、どうやら、そこは外であることがわかり、舗装されていない道路からは砂ぼこりが立っていた。
小日向は「一体、いつの時代なんだ!」と不安になるも、道行く人の服装から季節は夏で、数十年前の日本である事を突き止めた。
小日向が立っている場所は駅前の広場で、周囲には高層どころか低いビルもなく「加藤鮮魚店」「荒井金物店」「鈴木米穀店」といった歴史を感じさせる店が軒を連ねていた。
小日向は「まずいな」と思いながらも、ひとまず、駅舎の中に入り、待合室のベンチに腰を下ろした。そして、携帯の存在に気づき電波を確認してみるも、通信自体出来なくなっていた。
周囲の目に触れぬよう、携帯を仕舞うと、隣に「お待たせ」と言いながら、見知らぬ女が座った。
何故か咄嗟に「いや、俺も今、来たところだよ」とした言葉が出てしまった小日向は、このまま、女の知り合いで行く事にする。
「ねぇ、お腹空いてない?
あたし、朝から何も食べてなくてもう死にそう」
女はそう言い、扇子で顎のあたりに風を送る。
「そうだな。腹は減ってないけど、お茶位なら…」
女は小日向の言葉を最後まで聞かず、一人、嬉々として道を歩き始めた。
「俺は一体、どこの誰と間違われているんだ?」
そう思うも、カフェの女給のような、はすっぱな口を利く女に
「取り敢えず身をゆだねてみるか」という気になり、女の後を行く。
女は「ビアレストラン、ライオン」と看板に出ている店の前で立ち止まると、小日向の意向も聞かず、ドアを開けて中に入る。
二人は、空いているボックス席に腰を落ち着けると、ボーイがメニューと共に持ってきた水を飲み一息ついた。
「実は俺、今日、持ち合わせがなくてさ」
意を決して打ち明けた小日向に
「全く、どうしちゃったのよ。
一時期、あんなに羽振りが良かったのに。いいよ、おごってあげる。
今、ちょっとばかし懐が暖かいんでね」
と言い、屈託のない笑顔を見せた。
「申し訳ない」
小日向は謝りながら、自分はこの先どうなってしまうのか…と、言いようのない絶望感に苛まれた。
その内、二人の注文した品物が運ばれてくる。
コーヒーを注文した小日向は、口元にカップを近づけ、熱い液体をほんの少し口に含む。
「この味、間違いなくコーヒーだ。やはり、夢なんかじゃない」
絶叫したくなるような心境に陥るも、目の前で、エビフライ定食に舌鼓をうつ女の幸せそうな表情を見て
「あきらめるのはまだ早い」
と、何とか踏みとどまった。
食後、マガジンラックから新聞を取ってきた女は、向かい側で紙面を大きく開き記事に目を走らせている。
小日向は無意識に、新聞に記載された日付を見て、今がいつなのかを知った。
「昭和16年8月3日とある。後、4ヶ月で日米開戦じゃないか!」
1941年 12月8日、日本がアメリカに仕掛けた暴挙を無きものにする事が出来れば、1945年 4月の米軍による沖縄上陸、及び8月の二度に渡る原爆投下はなかった。
日本の主要軍需工場がある地域と、東京を狙って行われたB29による破壊的な空襲も、遠ざけられたはずだった。
-千円の経済力しかない国が、百万円の経済力を持つ国相手に戦える訳がない-
と真実を述べた大将もいたとされるが、不幸なことにごく少数の陸軍上層部によって、おぞましき殺戮の扉がこじ開けられてしまう。
12月8日、いつものように、朝「いってくるね、ハニー」とハグをして、ハワイの軍事施設に出勤していった夫が、夜、日本の奇襲攻撃によって息絶え、遺体となって帰ってくる。
妻である彼女の悲しみは到底、計り知れない。
こうして先制攻撃を仕掛けた日本ではあるが、優勢でいられたのは、わずか、半年足らずだった。
ミッドウェー海戦から何をやっても裏目に出た日本は、ジリ貧となって、国を失いかけていく。
「どうしたの?顔色悪いわよ」
女が心配そうに、こちらを見ている。
小日向は正直に打ち明けようと思い、運転免許証をテーブルに置き、相手側に差し出した。
「何よ、これ。
ははぁ、わかった。あんた、いつの間にかソ連のスパイになったんだね。
で、何、私にも何か探れってこと?」
「スパイなら文無しのはずないだろう。
俺は未来の日本から時空を超えて80年前の日本に紛れ込んでしまったんだよ」
女は、考えるのも面倒といった感じで
「あんたの言ってること、チンプンカンプンだけど、どうやらスパイではないみたいだね。
それと、さっきお金ないって言ってたでしょ?
報酬出すから、あたしの用心棒やってくれない?」
と媚びを売る。
「請け負ってもいいが、君、どこからか追われている身なのかい?」
女は「私の素性は前に話したから知ってるよね」と前置きし、事の成り行きを語り始めた。
女は日中、カフェの女給をやり、そこで声をかけてきた金満家と付き合う事で生計を立てていたのだが、そうした関係の一人から、一時期、金を預かってほしいと頼まれたのだと言う。
そして、その数日後、男に会うと「暫く身を隠さなくてはいけないので、金は
自由にしていい」と言われ、現在に至っているという事だった。
「金は今の住まいにおいてあるんだけど、どうにも落ち着かなくて。
何か、いい方法ないもんかね」
「よし、わかった。
取り敢えず君のアパートに行こう」
二人は、駅前からバスを使い、女のアパート近くの停留所で下車する。
そちこちに木造住宅が並び、路地裏で子供達が缶蹴りなどの遊びに興じている姿が目に飛び込んでくる。
-かつての東京もこんな片田舎みたいな風景が広がっていたんだなぁ-
女と肩を並べて歩いていた小日向は、そうした光景を目にし、ノスタルジックな気持ちで胸がいっぱいになる。
「さっ、ついた。ここだよ」
女の声で我に返った小日向は、下宿のような造りの建物の奥の部屋に通される。
殺風景な室内には家具らしきものはなく、四畳半には唯一ちゃぶ台が置かれているだけだった。
「なんか、飲む?」
「いや。それより洗面所を使わしてくれるか?」
「そこから出て、二階の突き当り。共同なんだ」
用を足して部屋に戻った小日向は、バスで移動中、閃いた考えを女に話した。
「あんたの話によると、今日中に新しい住まいを見つけて、そこに金を移すってことだね?」
「うん。今からバスで二つ先位の場所に行って引っ越し先を見つけて契約する。
近くに交番がある所なら尚いいが。幸い、君の所帯道具は少ないようだから二往復もすれば、片付くだろう」
女は今一つ乗り気ではない表情を見せるも、小日向は
「善は急げだ。時間が勿体無い。不動産屋に行こう」
と発破をかけ、家を出た。
二人は、計画した場所でバスを下り、近くの不動産屋に入ると、そこには先客の姿もなく、業者の男は
-ようこそ、お越しくださいました-
と、もみ手で二人を招き入れた。
「どうぞ、こちらへ」
男は二人を奥の部屋に通すと、安っぽい三点セットの長椅子に掛けさせ、早速要件を聞く。
「うーん。交番が近い所ねぇ。ちょっと無いなぁ。ここはどうでしょう?
向かいに工場の寮があって、人の出入りが激しい所だから、防犯には一役買うと思われます」
小日向は女の方を向き「どう思う?」と聞く。
女は早く決めてしまいたいかのように「いいんじゃない」と一言呟いた。
続いて契約書を作成し、金を払うと、不動産屋の男は二人を伴い新居へと移動する。
「なかなか、小ざっぱりとしたいい部屋でしょ?
昨日、家内が入って掃除したばっかりですからね」
と言った言葉に偽りはなく、思いの外、畳の状態も良かった。
二人は、女の元の部屋に戻り、家財道具を何回かに分けて新居へと運び出す。
そうした中、小日向は自身のシャツが下着と共に汗を吸ってぐっしょりとなっているのに気づく。
それは隣の女も同じで
「あら、大変。何回か行き来したから汗びっしょりじゃない。
ご飯の前にまず風呂だね。さっきの不動産屋に教わった銭湯に行こうよ」
と提案する。
「悪いなぁ。何から何まで面倒かけて」
「何言ってんのよ。
こっちは御礼のつもりでやってんだ。気にしない、気にしない」
数時間、共に過ごしてみると、訛りもないし気っ風もいい。
「東京の下町あたりの出身なのかもしれない」と、小日向は考えた。
不動産屋に教わった銭湯はすぐに見つかり、中に入ると、ちょうどいい時間帯という事もあり、結構混んでいた。
女は番台に座る老婆に
「はい。その人とあたし、二人分。それとタオルとシャボンも下さいな」
と言い、てかてかした番台のヘリの部分に二人分の代金を置く。
老婆の手前もあるのか、女は「じゃ、出る時には声、掛けるね」
と紋切り型の口調で言うと、そそくさと脱衣場に消えた。
男湯のガラス戸を開けると、男達はこちらには目もくれず、各々、自身のやるべき事に没頭していた。
組織のトップだろうが、駐在所の巡査だろうが、皆、裸で湯に浸かっている時には無防備、且つ平等だ。
-だが、この平和な日常が、軍の中枢によって、刻一刻と蝕まれていっている事を、この人達は知る由もない-
中には「最近、日本と列強諸国との間に軋轢が生じているな」と感じている人もいただろう。
しかし、この時点では皆「平和というものは努力無しに手に入れられるもの」と考えていた。
それ故、国が下した決定事項に異論を唱える事もなく、三百万人もの命が怒濤の勢いで失われていったのだ。
湯船につかり、沈思黙考していた小日向に、女湯側から「あんた、そろそろ出るよ」という声が届く。
そんな折、すぐ近くにいた男が小日向の代役を買って出るように
「おぅ、わかった」
と天井に向かって叫んだ。
「あんたさ、こういう時には間髪入れずに返事しなきゃ。
ひっくり返って死んじまったと思われるよ」
と、男は言い、-いい大人が、しょうがないね-とした顔で小日向を見る。
小日向は取り敢えず「恐れ入ります」と言い、湯から出た。
中で大方の水滴を拭き取り、脱衣所に出ると、番台の老婆が小日向に向かって手招きをしているのに気づく。
「はい、何でしょう?」
「これ、お連れさんが、お兄さんに渡してくれって」
手渡された袋の中には下着一式が入っており、それを身につけた小日向は、古い下着をゴミ箱に捨てた。汗を含んでくたくたになったそれらを捨てると、今日、自分自身にふりかかった出来事も全て過去に葬り去ってしまったような気になる。
小日向は女の下に行かねばと思い、半ば自身を奮い立たせるようにして、外に出た。
柳の木の下に佇んでいた女は、一瞬、不意を突かれたように戸惑いを見せるも、すぐに気を取り直し、笑顔を向ける。
その美しく、他者を疑う事を知らない顔は、これから先、彼女に降りかかる災難など塵にも感じさせない清々しいものだった。
小日向は、いつの間にか大粒の涙を流し、泣いている自分に気づく。
「おい、泣いたりしたら、おかしいぞ!」
しかし「それがどうした」と言うように後から、々、涙がこぼれ落ちた。
そうした中、辺り一面の景色がぼやけていき、周囲の音も遮断される。そして、緞帳が落とされるごとく一瞬の内に意識を失った。
「はっ」目覚めると宮田総合病院のリネン室内の寝台の上だった。
ガチャっとドアノブが回る音と共に、看護師が入って来る。
「大丈夫ですか?何時間か前に部屋の中で倒れていて、担架を使って、もう一人のナースとベッドに移したんですけど、特に問題もなかったようなので休んでもらっていたんです」
意識はしっかりしているが、身体全体に過去の世界で動き回ったツケが、少なからず残っているようだった。
しかし、仕事を中断する訳にはいかないと思い
「いや、もう大丈夫です。
睡眠不足だったみたいで。直ちにお仕事の方、続行致します」
と断り、寝台から降りた。
故障と見られていた霊安室のエアコンも通常通り、使えるようになったというので、遺体をリネン室から霊安室へ移動させる。
清浄綿で亡き骸を清め、遺族の希望する装束に着衣を替える。
ここまで、一気に終え「後は遺族に通夜、葬儀の説明をすれば終了だな」
と思うと同時に、頭の隅に追いやっていた一連の出来事を一人、回想してみる。
激動の時代に突入する前の日本で、行き当たりばったり、共に一つの事を協力して成し遂げた女。
二人で暑い中動き回ったのにも拘わらず、汗一つ垂らさず、爽やかなフリージアを思わせる女。
「会いたい…」
だが彼女は、とっくに天に召されているはず。
そうとわかっていても、最後に見た笑顔が強烈に瞼に焼き付き、記憶から抹消する事が出来ない。
情け深い人々が互いに身を寄せ合って生きていた時代。
それを根こそぎ引き抜くようにして、人々を地獄へと導いた戦争。
多くの善良な人々が、血と涙にまみれながら、ぼろ雑巾のように朽ち果てていった。
それを、自分達現代に生きる者は、折に触れて考えていかねばならない。
小日向は、一人、ベンチに掛け、膝の上で握り拳を作りながら、いつの頃からか命の重さを忘れて、快楽の追及にムダ金を投じている同胞に
「お前らそれでいいと思ってるのかよ」
と咬みつかずにはいられない気持ちになった。
が、それにはまず自分自身を正していかねば…と考え、どっと押し寄せた疲労感に逆らうように重い腰を上げた。
【了】
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