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1.逃げた花婿
海面にそそり立つ高層ビルに鬼髑髏のエンブレムが飾られている。トーキョー海賊を束ねる将軍・鬼船竜雲の居城、鬼船城だ。
そこには無数の筏をつないだ「陸地」が形成されている。潮の干満で海面が上下するため、およそ二階分の高さまで網が張られ、干潮時にはその網を上り、そこからビルに出入りする。ソーラー発電システムがありなくては、多くの客を招いて今まさに結婚式が行われようとしていた。
「新郎新婦の入場です」
結婚行進曲の生演奏が始まり、バージンロードのカーテンが開いた。
「あれ?」
集まった人々がざわついた。
「おや?」
そこは、純白のドレスに身を包む可憐な花嫁がひとり……。
そう、ひとりだけ、立っていた。
指揮者の手が止まり、楽団の演奏がフェードアウトしていく。
小柄でキュートな花嫁の顔が、その日焼けにも関わらず真っ赤に染まっていく。
ブルブルと手が震え、それが全身へと伝わり、ついに花嫁は爆発した。
「カンバーっ、逃げやがったなーっ!」
怒りの叫びに白波が立った。
*
政治的・経済的・地理的な崩壊によって消滅した旧日本国の大半は、有力都市国家の統治下にあった。ただひとつ、地盤沈下で拡大した旧東京湾一帯は、地図上はただの海として描かれ、どこの都市国家にも所属しない「トーキョー・ゾーン」と呼ばれた。そして、そこに住む無国籍の人々は周辺地域を荒らす「トーキョー海賊」として恐れられる。
これは、日本国の再興に活躍したトーキョー海賊の女将軍、鬼船宇宙母の人生を描く、壮大な物語である。
今、トーキョー・ゾーンの海に白波を立たせて激怒する花嫁は、「トビウオのレン」こと鬼船蓮。怒りの原因となった花婿予定者は、その夫たるべき「ヘタレのカンバ」こと、鬼船神馬だ。
「この結婚式にご参列くださった皆様!」
羽織袴に鬼髑髏の紋付きを羽織る老人、トーキョー海賊の頭領、鬼船竜雲将軍がレンの前に立つ。
「ご覧のとおり、我が孫、鬼船カンバは花嫁の前から逃げおった。まさにヘタレのカンバじゃ。この期に及んでは、我ら鬼船一党の後継者は孫の神馬ではなく、その嫁のレンとしたい。ご一同、賛同いただけるか?」
集まった者たちから歓声が沸き起こる。ヘタレの神馬に比べ、トビウオのレンの人気は抜群だ。若い海賊たちはレンの親衛隊を組織しているほどだった。
「やったぞ! 俺たちのレンが将軍になる!」
親衛隊長の一本槍の銀次が拳を突き上げた。
「そうね、これで、鬼船党は安心だね!」
親衛隊の紅一点、カモメのお独楽も小躍りする。
「もう、ヘタレは帰ってこんでええなあ」
クジラのゴン太が巨体を揺すると筏が揺れた。
そんな中、フジツボのマサだけは、がっくりとうなだれていた。
(若……なんでこんなことを……)
どんなに敵の攻撃が激しくとも、突撃する船の先端に立ち、進路を指揮する猛者は、ずっと神馬の守り役だった。
(あっしの育て方が悪かったのか……それとも、若の素質があんまりなのか……)
フジツボのマサは、昨夜の出来事を思い出す。
満月に波がゆらめく幻想的な夜、筏に繋がれた一艘の小型ボートに二人の若者が乗っていた。翌日に結婚式を備えた神馬とレンだ。都市部では体にフィットするボディ・スーツが主流だが、海賊たちの普段着はTシャツや短パン姿だ。マサは、三艘離れた別のボートで筵を被り隠れていた。何事にも自信のないカンバが、何かあったら助けて欲しいとマサに頼んだのだ。
「何かあったらって、いったい何があるっていうんです?」
「ほら、レンって、カッとすると何するかわからないじゃん?」
「そりゃあ、確かにそういうところはあるけど、さすがに若に対しては何もせんでしょう」
「そうかなあ……」
「そうですよ。いったいどういうわけなのか、レンときたら、幼い頃から若ひと筋でしたからねえ」
「まあ……そうなんだけどね……」
「何があっても、どーんと受け止めればいいんです」
「ほら、そこなんだよ。どーんと受け止められなかったら、どうなると思う? だからお願い、何かあったら、オレを助けて!」
と、カンバはマサを拝んだ。そして、ボートの中で、結婚式を控えた二人の男女が向かい合う。
「ねえ、カンバ」
トーキョー海賊随一のナイフの達人とは思えぬ甘えた声だ。
「実はね、結婚初夜にどんなふうにするのか、雪婆に教わったんだ」
雪婆とは、トーキョー海賊近隣八村のひとつ、橋村の長・毛針のお雪こと木村雪のことだ。かつて、その美貌で男を引き寄せ、毛針のように引っかけて逃さなかった逸話のある女海賊は八十歳を超えても元気いっぱいで、娘たちに様々な作法を教えている。
「へえ……よかったね……」
「でね、それでちゃんとできるかどうか、初夜の前に試しておきたいんだ」
「試して……」
「そう。明日があたしたちの初夜でしょ? そのときに失敗しないために練習できるのは、もう今夜しか残っていないから」
「そうだね……」
カンバの顔が引きつっていくのが手にとるようだとマサは思った。
「だからカンバ、脱いでくれる?」
「えっ……」
「手伝ってあげるから」
カンバは裸にされた。
「ふーん、今はこんななのね」
カンバの股間を見たのだろうとマサは想像した。
「じゃ、あたしも脱ぐね」
思わず、マサは筵を持ち上げた。月光に、レンの見事な肢体が浮かび上がる。
(キレイだ……)
気がついたときには、マサの股間は痛いほどに屹立していた。
「あれ? 変だなあ……」
「え?」
「あたしが脱げば、ここが大きくなるって教わったんだけど……」
「そうなんだ……」
「じゃあ、これを見て――」
レンは腰を落とし、カンバの鼻先で両脚を開いた。マサは鼻血が出そうだ。
「おっかしいなあ……ちょっと、触るね」
「あっ……」
「ダメだなあ……じゃあ、これならどう?」
ちゅぱちゅぱと舐める音が聞こえてくる。
「……レン……今夜はこれくらいにしておこうよ」
「だって、明日が本番なのに……」
「ごめん、続きは明日ってことで」
カンバはボートを飛び出し、裸のまま筏のデッキを走り去った。
(昨夜、できなかったことを苦にして逃げ出したんだ……)
まだ怒りの収まらない花嫁の前で、花婿抜きの結婚披露パーティーが始まった。
「マサ爺!」
マサを見つけたレンが駆け寄ってくる。
「カンバはどこに行っちゃったの?」
目がうるうるとしている。誰よりも機敏で強いこの女海賊が、なんで誰よりも愚鈍で弱虫なヘタレのカンバをここまで好きになってしまったのか、トーキョー海賊七不思議の一番目に数えられている。
「とんと見当がつきません。わかれば、あっしがすっ飛んで連れて帰ってきますよ」
「でもね……」
レンは力なく座り込んだ。
「カンバは、あたしから逃げたんじゃないと思うの」
(いや、あんた以外に逃げる相手はいない……)
「だからね、無理に連れ帰るのは可愛そうかなって思う」
感情の波が激しいのがレンの特長だ。
「レン!」
親衛隊の銀次たちがやって来た。
「心配するな。披露宴が終わったら、俺たちがカンバを探しに行くよ」
「そうよ。とっ捕まえて、縛り上げて連れてくるから、あとは好きにしなさい」
「ホント? ありがとう!」
(おっとっとっと……連れ帰るのは可愛そうなんじゃなかったっけ?)
「肉が焼けたぞーっ!」
かつて房総半島と呼ばれた一帯は、地盤沈下の影響でチャイバ・アイランドという島になり、ニューヨーク・リバティ・シティを首都とするアメリカ・アライアンス・チェーン、通称AACに統治されている。肉は、チャイバ・アイランドの中心都市、チャイバ・タウンの軍用食肉倉庫から奪ってきたものだ。
「あーあ、カンバにも食べさせてあげたいなあ」
どこまでも純真で一途なレンなのだった。 (つづく)
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