03.王子は忘れる

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03.王子は忘れる

暫くの間、誰も何も言わなかった。 不思議な沈黙がその場を支配して、ただただ空気に圧を掛けていた。周囲が向ける驚きの視線を物ともせずに、ノアは澄ました顔で王妃を見つめている。 「……どういうこと?」 マリソンはノアに問い掛けるが、その声すらも彼の心には届いていないようで顔色は変わらない。助けを求めるように振り返った王妃に、説明役を買って出たのはウィルソンだった。 「説明させてください、王妃殿下」 「ウィルソン!意味が分からないわ、ノアは何を…」 「彼は一時的な記憶障害に陥っています」 「……記憶障害?」 私はサッと血の気が引いていく感覚を覚えた。 「はい。ノアは今リゼッタに関する記憶を失っているようでして…その他の基本的なことは理解しているようですが」 「どうして!ノアは彼女と婚約しているのよ!?」 「心中お察しいたしますが、今一番辛いのはおそらく…」 ハッとしたようなマリソンと気の毒な顔をしたウィリアムが同時に私の方に目を向ける。私は自分がどんな顔をするべきか分からなかった。 まず、そもそもの話、ノアが記憶喪失になっている現状が頭の中で理解できなかった。それがどういう状態かは分かるけれども、実際に彼の他人行儀な視線を受けて、私はどう対応すべきか決めかねていたのだ。 「リゼッタ…ああ、何というかことかしら!貴女が一番悲しいでしょうに、ごめんなさい……」 目元に涙を溜める王妃を見て、心が痛くなった。 本当であれば、私が泣きだすべきところだろう。でも、どうしても素直に信じられない。昨日の夜、なんなら、今朝方部屋を出るまで一緒に居たノアは至って普通だった。いつものように今日の予定を伝えた後、キスをして彼の元を離れた。 あんなに愛を与えてくれた赤い瞳は、もう私を見ない。 ノアは葬式のような雰囲気で顔を見合わす私たちには目もくれず、彼の傍らで一生懸命に話をしているカーラに耳を傾けていた。 ズンと胸の中に鉛の重しがあるみたいだ。 「とにかく、様子を見ましょう。一時的なのできっと何かがきっかけとなって思い出す筈です」 「……貴方がそう言うなら信じるわ」 「リゼッタ、ノアを支えてやってくれ」 ウィリアムの言葉に小さく頷いた。 正直、自分がどんな表情をしているのか分からない。 帰り支度を始めるマリソンやウィリアムの側で、私はつい最近、ヴィラと話していたことを思い出していた。彼女は溺愛は永遠ではないと言っていたのだ。ノアの濃い愛が冷めて塩対応に変わった時、こっちのペースが狂わされると。 でも、愛情が時間の経過と共にだんだんと擦り減るのではなくて、一気にゼロもしくはマイナスに落ちてしまった場合に私はどうすれば良いのだろう。溢れんばかりに受け取っていたノアの愛は、その片鱗すらもう見えなくなっていた。
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