65.エピローグ

1/1
187人が本棚に入れています
本棚に追加
/68ページ

65.エピローグ

オリーブの塩漬けに生ハムの盛り合わせ。クリームチーズはクラッカーに乗せてメープルシロップを掛けても美味しそう。テーブルの隅にあるのはキャロットケーキ? 「はぁ~もう最高!シルヴィアさん、天才!」 私が口を開く前に両手に皿を持ったヴィラが恍惚とした表情で絶賛の言葉を伝えた。シルヴィア・バートンの店は今日は貸切営業で、小さな店内には私とノア、ヴィラとウィリアムの四人が揃っていた。 口を動かす度に顔一杯で幸せを表現するヴィラを見つめるウィリアムは、以前よりも人間らしい目をしていて私まで嬉しくなる。冷徹だと思っていた彼から、こんな優しい姿を引き出せるなんて、太陽のような彼女は流石だ。 「最近、お店の調子はどうですか?」 「ん~まあ、いつも通りよ。そういえば、よく来ていたルチアーノが最近めっきり顔を出さなくてね」 「ルチアーノ?」 「ほら、初日に貴女にセクハラしていた…」 「ああ!あの酔っ払いの…!」 謎のバニーもどきコスプレをしたバイト初日に私のお尻を撫でて来た、目の座った中年の男を思い出す。あの時助けてくれたことをきっかけに、エレンと知り合ったのだ。 「今はお忙しいのかもしれませんね」 「だと良いわね。何人か来なくなったお客さんが居て少し寂しいけど、まあ新規の客もチラホラ居るし、こういう場所だから人の入れ替わりがあるのは仕方ないかしら」 シルヴィアの話に相槌を打ちながら、隣に立つノアをそっと見上げると、ヴィラとウィリアムのやり取りを茶化して楽しそうに笑っていた。 二ヶ月は掛かると言われていたノアの腕の傷は、結局のところ一ヶ月と少しで塞がったようで、重たいものは無理でも、グラスぐらいは普通に持てるようになった。 「ところで、貴方たちはいつ結婚するの?」 シルヴィアの直球な質問に私は咽せる。 ノアに背中を軽く叩かれながら、何と返そうかと返答に困っていたら、彼が先に口を開いた。 「僕としては明日にでも式を挙げたいのですが…」 「ノア!」 「こういう焦らし期間も好きなので、いつでも別に、彼女の心の準備が出来たタイミングで良いです」 「………っ」 プシュプシュと頭から湯気が立ちそうだ。 こちらを見てニヤニヤするヴィラが目に入る。 婚約から結婚に至るまでの日数について特に定めはないものの、私自身、いったいいつ自分たちが正式な夫婦になるのかは謎だった。 ノアはその後、彼にしては真面目に王族としての務めを果たしているようで、国民からの信頼も徐々に回復していると聞く。結婚となれば、おそらくまた会見のようなものを開き、お披露目する機会があると思うので、私は考えただけで胃が縮んだ。 「その時は是非また此処で二次会でもしてね。貴方たちの新しい門出を祝いたいから」 「それは楽しそうですね。リゼッタはどう?」 「……はい」 平静を装って返事をしても、どうやらノアにはすべてバレているようだった。机の下で握られる手から緊張が伝わらないように私は細心の注意を払う。 「そうそう、お客さんに貰ったものだけど美味しいワインがあるのよ。葡萄の栽培が盛んな国から取り寄せたらしいわ」 言いながらシルヴィアはカウンターの奥へと引っ込んで行った。何かを探すような騒がしい音がした後、グラスを5つ盆に乗せて、ワインのボトルを片手に持った状態で戻って来る。 ヒヤヒヤしていたら、案の定シルヴィアはテーブルへ到着する前にバランスを崩して転んだ。右手からすっぱ抜けたワインのボトルが宙を舞う。私たちが見守る中、弧を描くように回転するボトルはノアの頭上に落ちて来た。 「………!」 思わず目を瞑る。 破片が頭に刺さって血だらけで笑うノアの姿が一瞬だけ頭をよぎってブンブンと頭を振った。 「ノア~そこは当たりに行くところよ」 責めるようなヴィラの声に恐る恐る目を開く。 私の隣でノアはニコニコしたまま立っていた。その左手には彼の頭に衝突する予定だったボトルが握られている。 「もう少し右にズレていたら危なかったね。俺の上で割れたらリゼッタも濡れてしまうし、取れて良かった」 「ごめんなさい!リゼッタを酷い目に遭わせた貴方のこと瓶で殴ろうとは思ってたけど、まさかこんな風に気持ちが行動に出ちゃうだなんて…」 「良いんですよ、シルヴィアさん!この男は不死身で何回でも生き返って来ますから」 調子良く笑うヴィラにつられたように、珍しくウィリアムも微笑んでいた。私はほっとしながら胸を撫で下ろす。 赤い液体が並々とグラスに注がれて、目を閉じると芳醇な葡萄の香りが心を満たした。これまでのこと、これからのこと、考えなければいけない課題は山積みだ。だけれど今は、この楽しい時間に身を沈めたいと思う。 「私の王子様とアルカディアの未来に」 ノアの顔を覗き込むと、穏やかな笑みが返って来た。 小さな軽い音を立てて二つのグラスは触れ合う。 この強国の行く末を、私は彼の隣で見守っていきたい。 End.
/68ページ

最初のコメントを投稿しよう!