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「久々に呼んでもらえたって結構気合いを入れて出てきたのに、曜子さんったらきょとんとしてるんだもの。大丈夫かって心配になっちゃったわ」
「だって出てくるだけで何もしてこないから。あの子達と比べたらちっとも怖くなかったよ」
「それどころか嫌なことがある度に私を呼び出して話し相手になった。からかってた子達もいよいよ気味悪がっていじめをやめたのよね」
「そうそう。花子さんのお陰で私は楽になったの」
気づけば毎昼休みにトイレへ行って花子さんを呼び出してた。当時は和式トイレだったから、花子さんは手洗い場に腰掛けてた。私が何をしてるのか知ってる子達は別の階のトイレを使うようになったみたいだけど、事情を知らない子は普通に来てたから、誰かが来たら手前から三番目の個室に二人で隠れた。そういうドキドキが楽しくて、私達は自然と仲良しになった。
「私と会う前、散々酷い目に遭わされて、曜子さんはよくトイレで泣いてたよね」
「うん」
「死にたいってこぼしてた」
「うん……」
「……もう死にたいなんて考えなくなった?」
「そうだね。気がついたら大人になるまで生きてたよ。中学で友達が出来て、志望大学に入って好きな勉強をしてる。教師になる夢も叶いそうだし」
「そう、順調なのね。よかったわ、本当に」
「花子さんのお陰だよ。花子さんが私の悲しみを癒してくれた。生きようと思わせてくれた。卒業したらなかなか学校に入れなくて遅くなっちゃったけど、今日はお礼を言いに来たの。ありがとう、花子さん。私と友達になってくれて」
「友達、か……。そうだね。私達は友達だったよ。少なくとも十年前は……」
花子さんは真っ白な便座から降りると、美容院の化粧台みたいに明るい手洗い場の鏡まで進み出て、手ぐしで髪をとかし始めた。カーテンを開けるように長い髪が脇へよけられて、花子さんの顔があらわになる。
こぼれ落ちそうなほど大きな、黒い目。小さな鼻にぷっくりとした輪郭、肌は真っ白でよく出来た和人形のような顔立ちをしていた。けれどその頬には痛々しい痣がいくつもあった。これは花子さんが生きてた時に負った傷らしい。その昔、一人で厠に行ったところを強姦に襲われて、殴る蹴るを繰り返されるうちに花子さんは死んだ。あまりに寂しくて苦しい最期の怨念が花子さんを縛り付けて、百年以上もこの世を漂うことになったらしい。
「今って何時?」
「八時は過ぎてるよ」
「そう、すっかり夜ってわけね。でもちっとも暗くない。怖くない」
「そうね。花子さんも普通の子供に見える」
「それはさすがに言いすぎよ。だって、こんな顔なんだから……」
花子さんは鏡に映る痣を恨めしそうに睨みつけた。
「確かに酷い痣だと思う。でも、怖くない」
「曜子さんならそう言うと思った。曜子さんはどんな私でも目をそらさずに見てくれる」
痣から目を背けるように、鏡から離れる。花子さんは考え込むように黙っていたけど、何かを吹っ切るように頭を振って、私に打ち明けた。
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