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綺麗な男
「飲み過ぎですよ、麦さん、今夜はこれくらいで…… 」
「いや…… そうでも、ない、よ……… 」
回り始めている頭を、どうにか少しでも正気に戻そうとして、少しろれつも回らなくなってきた舌で、それでも落ち着きを装い、バーテンダーの涼さんに返す言葉を探した。
ダークブラウンの木目調のカウンター、暗めの照明が落ち着いた雰囲気を醸し出している。L字型のカウンター席は、ひとりでくる客をたくさん案内できる。二人用のテーブル席、多くても三人しか座れない様な店内の作りがそうしているのか、静かに飲みに来る客が多いこの店が、俺は以前から気に入っていた。
バーテンダーの涼さんはかっこいい、すこぶるイケメン…… 司紗ほどじゃないけど、なんて思う自分はまだ忘れきれていない。
司紗は高校の同級生。
高校を卒業する頃から六年半、セフレ関係だった。
アイツにずっと想う人がいるのは分かっていた、アイツに忘れられない人がいるのも分かって、俺は自分の想いを隠し続けて、アイツとずっと関係を続けてきた。
それでよかった。
俺は、司紗を好きだったから。
司紗に相手ができると、俺も女を作った。
バイセクシュアルと司紗には言ったけれど、男を好きになったのはオマエだけだ。オマエを好きになるまで普通に女と付き合ってたし、セックスは女とばかりだった。
相手と別れると俺に連絡が来た。
俺はずっと遊びで女を抱いていたから、いつだってすぐに司紗のもとへ戻った。
それでよかった。
俺は、司紗が好きだったから。
司紗がずっと忘れられなかったヤツと一緒にいる様子を見て、今まで見たこともない幸せそうな司紗の顔に、もうお手上げで、なにをどうしたって司紗が俺のところに二度と戻ってくるわけないって強く感じた。
と言うか、そもそも…… もともと、俺のところに戻ってくるとか、そんな関係なんかじゃなかったけどな、俺たち。
ふっ、と息を吐くように笑いながら首を振ると、
「ここのところ、ずっとそんなですね」
涼さんが小さく溜め息を漏らした。
ふと視線を右横に流すと、四席あけた椅子に座る綺麗な女…… いや、男か…… 酔っ払ってるからか、焦点が合わなくて眼を凝らすと、泣いているように見えた。
あんまりジッと見てもいけないと思い、視線を戻したけれど気になった。
もう一度ちらりと見ると、視線を感じたのか、そいつが俺を見て目が合う。
咄嗟に逸らして、頭を掻いた。
一気に酔いも覚めてしまった気がして、
「バーボン、ダブルで」
涼さんにオーダーすると、小さく首を振られる。
「もう、やめた方がいいですよ」
「…… 大丈夫だよ」
今度は俺が視線を感じて横を見ると、そいつが俺を見ている。
恐ろしく綺麗な顔をしていて、無意識に見入ってしまった。
さっき泣いていたのは見間違いか、微かな笑みを俺に見せた。
どうしていいのか分からなくて、何故だか会釈をした俺。
司紗を忘れきれなくて、毎日のように涼さんがいるバーへと足を運ぶと、数日後にまたあの綺麗な男がいることに気付く。
俺はいつもの席に座ると、三席あいてヤツがいる。
「あの人、前から来てた? 」
涼さんに小声で、それとなく綺麗な男のことを訊くと、
「いえ、少し前からですね」
泣いているように見えたのが、初めて来店した日のようだった。
また目が合って、軽く会釈…… なんか、調子狂うな。
また数日後、またヤツは現れて二席あけて座る。
その次は一席…… 。
今度は隣りに座られるのかな、さすがにそれはな、なんて狼狽えてんだかドキドキしてんだか分かんない自分が可笑しくて笑いを堪えた。
「あれ? なんかいいことでもあったんですか?」
笑いを堪えているところを涼さんに見られたようで、「いやいや」と笑いながら手を横に振ると、
「麦さんの笑顔、久し振りに見ましたね…… 」
なんて嬉しそうに言われて、俺も笑顔になっていた自分に気付く。
右側の空気が艶かしくていけない。
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