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そして再会
しばらくは、魂が抜けたみたいな生活をしていた。
涼さんのバーに行く気にさえもなれなくて、ずっと家に篭りっぱなし、絵を描く気も全く起きない。
新たな仕事の依頼を受けることもできなくて、ボーッとしたまま一日を過ごす毎日。
こんなんじゃ駄目だろ……
リビングの床に寝転がり、青い空を見上げて少し気持ちが動く。
青い空は南の島を思い起こさせた。
旅行にでも行くか……
そんな気持ちなんてさらさら起きるはずもないのに、無理矢理に自分を奮い立たせた。
旅の支度を始めると少し、ほんの少し活気付いたような心。
いや、嘘、そんなわけはない、でもそうでもして自分で思い込んで動かないと、本当に駄目になりそうだった。
個展をまた開こう。
本当なら年に一度開く位が妥当、短くても半年以上は準備期間がいる。いくら小さなカフェ店で開いているとはいえ、前回の個展から三ヶ月ほどしか経っていない。
無茶は承知、それでも何かをしないと元の俺には戻れないと思った。
鏡を見ると酷い顔、無精髭が伸びて髪もボサボサ、綺麗なヒロには到底似つかわしくない自分の姿に、目も当てられなかった。
…… また、思い出しちゃったじゃねぇかよ。
ヒロを思い出すとズキズキと痛む胸。
あのどしゃ降りの中、ヒロが屋根の下で手を上げたのは、俺を手招きしようとしてたんじゃないかって、いまだにそんなことを思い、ひどく未練たらしい。
電話をしたんだ、ヒロにその気があるのなら、折り返しヒロから電話が来てもおかしくない。
ヒロには、その気は全くないんだろう。
髭も剃り、髪も整え、久し振りにちゃんとした格好で外を歩いた。
「ああ、別にいいよ、うちは全然構わない」
いつもお願いしている友人のカフェ店に、個展のための場所を貸して欲しいとお願いをしに行った。ここは美大生の頃から仲間たちと展示会なんかでお世話になっている店。
母親がやっていた喫茶店をリノベーションして、友人が継いでいる。
あえて素っ気ない、シンプルな内装の店内にしているという友人、絵を飾るくらいが丁度いいと言ってくれる。
「今回は随分と早いな、まだ半年経ってないんじゃない? 」
「ああ、再来月くらいには開きたいんだけど、大丈夫かな? 」
「へぇ、随分と意気込んでるね、いいことだ。再来月ね、了解」
意気込んでなんていない、そんなことを言われて苦笑いをした。
次の個展で出そうと思っていた絵が数点ある、今回は大きな絵は出さないことにして、小さな絵だけを出そうと思う、あと数点描きあげよう、そう思うとだいぶ気持ちが紛れて助かった。
南の島への旅行は、かなりの気分転換になってくれた。
真っ青な空と透き通った海、降るような星空に描きたいものがどんどんと浮かんでくる。
何を隠そう、この南の島はセフレだった司紗と、そのパートナーが移住した場所。
まだ古くなっていない傷口に、塩を塗るようなもんじゃないかって思った。いや、塩でも胡椒でもカラシでも豆板醤でもタバスコでもなんでも塗ってやろう。
痛めつけるだけ痛めつけてやる、そしてどん底まで落ちてやろう、そうすればあとは這い上がるだけだ。
そして、あれだけ好きだった司紗に会っても、全く平気な自分に少しの自信が持てた。
ヒロを失ってまだ立ち直れない俺が、仲睦まじい司紗とパートナーの様子を見て、潰れるどころか、微笑ましすぎて癒された。
よし、俺はやれる、立ち直れる。
東京へ、それこそ意気込んで帰った。
ヒロとのことはいい思い出になってくれる、そう思うと絵を描く手が止まらないでくれた。
✴︎✴︎✴︎
「今回は海の絵が多いな」
カフェ店の友人が腰に手を当てて、カウンターの中から俺の絵を見て微笑んでいる。
「…… もう秋なのに、ちょっと季節がずれちゃったな」
「いいじゃない、いい絵だよ、あの星空の絵なんかいい。店に飾るのに一点買おうかな」
「いいよ、無理すんなよ」
そんなふうに笑って会話をした。
「麻純の絵を楽しみにして、コーヒー飲みに来る人もいるんだぜ」
「本当か? 」
お世辞でも嬉しかった。
その時、風鈴のような優しい音をドアチャイムが鳴らして、来客を知らせる。
「いらっしゃいませ〜」
客に笑顔を向ける友人の、視線の先を追った俺は息を呑んだ。
「………… ヒロ…… 」
ボソッと “ヒロ” とつぶやく俺に、
「知り合い? 」
そう問われた友人の声は、遠くに聞こえた。
体中が固まって、俺は動けない。
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