今はきっと……

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今はきっと……

「麦倉麻純さん」 ヒロに名を呼ばれ、胸の熱さと、きゅっとした痛みが心地よい。 「怒っているだろう? 急に姿を消して…… 」 また項垂れて、どう詫びればいいのか、みたいな顔をしている。 「怒ってなんかいない、さっきも言った通り、残念だっただけだ」 “残念だった” どころじゃない、腑抜けの廃人みたいになっていたんだ、それでも、やっぱりそう言うだろう。 「…… 忘れられなかった、ムギを…… でも、必死に忘れようとして頑張ったんだがな、俺…… 」 さらに項垂れて涙を堪えている。 「美術館でムギと偶然会ったとき、どうしていいのか本当に分からなくて、体は震えてくるし…… 去っていく君を追って行こうかと、少し走り出したんだ…… 」 あのどしゃ降りの雨音の中では、ヒロの足音なんか聞こえるはずもなかった。 「…… ん、なら、電話、くれればよかったのに…… 」 あの時、俺はヒロに電話をした、着信番号は残っていただろう。 「…… 怖かった…… 情けないだろう? ムギを忘れられなかったくせに、いざ目の前にしたら怖かった。きっと冷たくされると思って…… 意気地がなかった…… 」 それは俺も同じだ。 関係が壊れてしまうのがずっと怖くて、ヒロに想いを伝えられなかった。 「もう人を好きにならないって決めた俺の決心を、簡単に崩してしまったムギで…… また、俺は捨てられるんだろうって分かっていても、それでも…… それでも君にはまた逢いたくて、逢いたくてたまらなった」 「なぁ、俺はヒロが好きだ、今でも」 ヒロの左頬に右手を当てて、ようやく初めて気持ちを伝えた。 そうだ、忘れてなんかいないし、過去のことでも良い思い出でもない、俺は今でもヒロが好きだ。 それに、俺が人に「好きだ」と伝えるのは、記憶にある限り初めてのことだと思った。 司紗を好きになる前、彼女が出来ても全部向こうからで、「好き」だと言ったことはない。 きっと、好きと言えるほどの想いはなかったからだ。 「………… ムギ…… 」 頬に当てられた俺の手を握って、大粒の涙をポロリとこぼした。 「ごめんなさい、ムギ」 「謝るなよ」 「でも、ごめんなさい…… 」 え? っと、待て…… 。 ごめんなさいって、ここまできて、もしかして断られてる? 俺。 冷静になって考えて眉間に皺が寄った。 「ごめんなさいって…… って、なんで謝ってるんだ? 」 ドキドキした。 『姿を消したことを謝りにきた、今は恋人がいる』 とか言われたら、せっかく立ち直った心が思い切りへし折られる。 今度こそ立ち直れない。 「ムギの心を弄んでしまったようになった。申し訳ない」 弄ばれてた、とか思ってないけどな、俺…… ちょっと目が泳いだ。 俺がヒロを好きだってことは、見抜かれてたんだろうな。 ま、そりゃそうだよな、あんだけ態度に出ちゃってたし…… でもなんか、ちょっと俺、かっこ悪くね? いや、ヒロだって絶対に俺を好きだったよな、なんて思って眉がひしゃげた。 まぁ、そんなかっこつけてる場合でも、意地も見栄も張ってるときじゃない。 俺はヒロが好きでたまらないんだ、なんでも許す、じゃないとまた、ヒロが俺のそばから離れてしまう。 だから…… 、 「ヒロ、大好きだ、愛してる。これからもずっと俺たち、ずっと一緒にいよう。俺は絶対にヒロのそばに、ずっといるから」 絶対だ、絶対にヒロを離さないし、俺はヒロから離れない。 俺の言葉に頷きながら、再び大きな涙をぽろりとこぼすヒロ。 「…… ムギを思うと、ひどく切なかった」 そう言って、こぼれんばかりの涙が溜まった瞳で、わずかに赤らんだ頬の顔を上げ、あどけない、あの満面の笑みを俺に見せてくれる。 ああ、俺はもっとヒロを 好きになってしまうんだろうな。 そんな事が容易く想像できてしまって、 今はきっと、 俺の方がもっと切ない。 ── fin ── 次頁「あとがきとお知らせ」があります。 どうかお付き合いくださいませ!
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