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どうして俺は
生徒全員が館内に入ると、ヒロは時計や用紙を見ながら、何かを確認しているように見えた。
社会科見学の引率教師として、そこにいるんだろうことが分かる。
同じく引率の教師なのか、ヒロに声を掛けると何度か頭を下げ、生徒たちに続いて館内へと入って行く背中を見送っている。
爽やかに、館内へと向かう同僚に手を振るヒロ。
あの男が、身体を重ねるたびに毎度、妖艶で男娼のような技を披露してくれていたヒロなのか、目の前の光景が信じられなかった。
いつだったか、盗み見たヒロの携帯番号は『H』とスマホに残っている。
遠くに、ゴロゴロと重たい地響きのような雷の音が聞こえ始めた。
そういえば、「夕方に激しい雷雨の恐れあり」と、気象予報士が言ってたなと、出掛けに見たテレビを思い出す。
意を決して『H』の名で登録した番号にタップする。
プルルルル……
何度目かのコールで、ヒロはスラックスの後ろポケットからスマホを取り出した。
やっぱり、ヒロだ。
俺は口から心臓が飛び出るんじゃないか、いや、胸を突き破るんじゃないかと思えるほどの激しい鼓動に、息が苦しくなりながら呼出音を聞いていた。
知らない番号からの着信だからか、ヒロは眉を顰め、首を傾げながらも、
「…… もしもし」
電話に出た。
少し離れたところから聞こえるヒロの声と、近づいてきた雷の音が受話口の向こうとシンクロした。
ヒロにも受話口から雷鳴が聞こえたのか、スマホを耳にあてたまま周りを見回し、俺を見つけると動きが完全に止まっていた。
俺もヒロをじっと見つめたまま、動かない、いや、動けない。
どのくらいの時間見つめ合っていただろう、少しだったかもしれないし、長い時間だったかもしれない。
始めに動いたのはヒロで、俯いて一度目を伏せ次に顔を上げると、消え入りそうな笑顔を俺に向けた。
ポツッ、ポツッっと雨が落ちてきたかと思うと、あっという間に大粒のどしゃ降りの雨になり、ヒロが急いで建物の屋根の下へと走っていく姿に、立ち竦んだまま視線だけが流れる。
まだその場で動けないでいる俺を見て、手招きをしようとしたのか、肩まで上げた手のひらを思い直したかのように握りしめると、力無く下ろすヒロがぼんやりと見える。
激しく降る雨は、ヒロの姿を霞ませた。
激しい雨が、俺の涙を流してくれて助かった。
泣いている姿なんて不様すぎる。
びしょ濡れのまま体の向きを変え、とぼとぼと歩き始めた俺。
ヒロとの距離が離れて行く。
絵画展、見たかったなぁ……
また明日にでも来ようか、なんて、再びこの場所に来れるほどの図太い神経は持ち合わせていない。
声を掛ければよかったかな…… いや、会わなくなって三ヶ月は経っているんだ、声を掛けられても困るよな、察しろよ、って思われるよな……
どうして俺は…… こんな恋ばかりするんだろうな。
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