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01.クールダウンにはちょうどいい
「このあいだの箱の忘れ物、持ち主は見つかったんですか?」
レインキャッチャーのカウンター席で、佳史はマスターにたずねた。忘れ物を知らせるフライヤーがなくなっていることに気づいて。
伝票から顔を上げたマスターはうなずく。
「はい。堀川さんに靴屋さんのことを教えていただいたので、すぐに連絡を取ってみました。そしたら、忘れ物をした方がお店に問い合わせしたようで、すぐにこちらに受け取りに来ましたよ。堀川さんのおかげですね。ありがとうございました」
佳史はライムグリーン色をした包装紙に包まれた箱を思い出す。よく見ると、細かな迷路みたいな模様が描かれた包装紙。
「そうですか。それはよかった」
「はい。自分へのプレゼントだったそうです」
マスターはそう言って、佳史の注文したコーヒーを淹れはじめる。
「それでさっきの話の続きなんだけどさ……」
佳史はカウンター席の隣に座る祥吾に顔を向ける。
「小説なんて書くのはやめたんだよ」
マスターの手つきを見つめる祥吾が吐き捨てるように言った。
平日の夜のカフェ・レインキャッチャー。半分ほど埋まる席で、客たちはそれぞれの時間を楽しんでいる。
「あれだけ一生懸命に書いてただろ? 今さらやめることもなくないか? 何かあったのか?」
佳史が聞き返すと、祥吾は深いため息をついた。
「わかったんだよ。オレには小説を書く才能なんてないってね」
佳史はなんと言っていいのかわからない。沈黙がやってくる。
「お待たせしました。『今夜のおすすめコーヒー』です」
アルバイト店員の晴人くんがコーヒーを差し出した。
「ここのコーヒーはうまいんだよ」
コーヒーにミルクだけを注ぐ佳史の言葉に、祥吾はブラックのまま口をつける。
「うん。たしかに。いい店知ってるんだな」
「たまに仕事帰りに寄るんだよ。クールダウンにはちょうどいい」
それからふとやってきた沈黙の中で、二人はコーヒーを飲む。
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