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10.よほどの思い入れが
レインキャッチャーから少し入ったところには大学がある。市電やバスの行き交う大通りとは反対の方向に。佳史はその大学の学生だった。このあたりにも学生向けの賃貸マンションやアパートが、昔ながらの住宅のあいだにいくつか建っている。
「友達が近くに住んでいたんで、この近所によく来てたんですよ。学生の頃は。就職して別のところにいったん引っ越して、このあたりからは遠ざかったんですけど、また一年ほど前にこの近くに引っ越してきて。そのときにはもう今の店に」
「そうでしたか」
佳史はひと息入れるように、コーヒーをひと口飲む。それからカップをそっとソーサーの上に置くと、マスターにたずねた。
「じゃあ、マスターがあの店を引き継いだんですか?」
「そうですね。そう考えていただいてよろしいかと思います」
マスターがこたえた。店の外からかすかに響く雨音の中、晴人くんも二人の話に耳を傾けていた。
「マスターはよほどの思い入れがあったんですね、その喫茶店に」
「そうですね。けど、前のお店を引き継ぐんですから、それなりの責任もあります。それはとても重い責任です。
だから、それまで勤めていた会社を辞めてコーヒーの修行と言いますか、コーヒーの淹れ方を学びに行きました。カフェも喫茶店もコーヒーがすべてですから」
心なしかマスターは遠い目をして、遠い記憶を思い出しているかのような表情を浮かべた。そんなマスターに佳史が告げる。
「会社を辞めるなんて、よっぽどの覚悟だったんですね」
「さっきも言いましたが、重い責任がありますからね。前の店を引き継いで、この店を開くってことには」
佳史はうなずいて、自分の目の前に置いてあるカップを見つめる。カップの半分ほど、ミルクを注いだコーヒーが残っている。まだ白い湯気が少し立ち昇るコーヒー。
「だから、この店のコーヒーは美味しいわけだ」
「ありがとうございます」
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