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09.みじめな気分に陥るくらいなら
その夜はひどく激しい雨の降る夜だった。そんな夜、佳史はレインキャッチャーに立ち寄った。雨が激しくて、まっすぐ部屋に戻る気も起きなかった。雨に濡れながら帰って、けっきょくなにも書けないままの自分の姿を想像すると、ひどくみじめに思えたから。
さすがにレインキャッチャーの店内も閑散としていた。まばらな客は雨の音を背景にコーヒーを味わっていた。マスターもアルバイトの晴人くんも時間を持てあましているみたいだった。
「あの、マスター。前から聞いてみたかったことがあるんですが」
カウンター席の佳史はマスターに切り出した。誰かと話したかった。今夜も小説が書けずにみじめな気分に陥るくらいなら。
「なんでしょう?」
マスターは佳史へ顔を向ける。
「やっぱりカフェを開くのが夢だったんですか?」
佳史がそう切り出すと、マスターは少し考えて口を開いた。
「そうですねえ、このカフェを開いたのは夢というよりも、ある意味ではなりゆきみたいなものだったんですよ」
マスターの意外な言葉に、そばで二人のやりとりを聞いていた晴人くんも少し驚くような表情を浮かべた。
「なりゆき、ですか」
佳史の言葉にマスターは深くうなずいた。
「もともとここには喫茶店があったんです。いわゆる純喫茶ですね。けど、数年前にその店が閉店することになりまして。長年やってきた店だったんです。それこそ四十年以上に渡って。だから、そのまま閉店させてしまうのももったいないなと思いまして」
初めて聞く話だったが、佳史の記憶もぼんやりと蘇る。
「そういえば、ぼくが学生だった頃、ここに喫茶店がありましたね。思い出しました。いかにもって感じの昭和の純喫茶が」
「そうです。そのお店です、もともとここにあった喫茶店は」
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