えび餃子、翡翠餃子(8)

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えび餃子、翡翠餃子(8)

「心理学の先生にも声掛けてただろ、俺がイグニスに文化人類学の話したときって。文化と心理と、あとなんだ、歴史とか? 構造が同じなら同じになりそうに思えるんだけど」  塩気を求める口に、ほうれん草を練り込んだ翡翠餃子を放り込みながら、どう思う? と、イグニスに振る。 「はい」  3Dモデルをいじり回すのをやめ、こちらと絢人の中間あたりに身を向けてイグニスが座り直した。 「人工知能が人間になることはありません。人工知能は単純なプログラムであり、人間の持つ複雑な精神構造をプログラムすることはできません」  ええーと絢人が声を上げた。不満の声の割に笑顔で、会話を楽しむことが重点なのだと判る。 「複雑化って細分化と、あと多次元化とかだろ。コンピュータの容量が増えればできそうじゃん」 「人工知能の性能、あるいは疑似感情プログラムを細分化、あるいは多次元化することができても、人間のような感情にはなりません。人間には、感情や思考を内在する意識がありますが、人工知能は意識を持つことはできません」 「……意識ってプログラムできねえの?」 「今のところ、その方法は分かっていません」  そうなんだ? と、今度は絢人の視線がこちらに向いた。  そうだな、と簡単に頷き。 「実はもっと単純な話だな。人間と同じ内的構造を再現できるほど、人間は自分たちのことをまだ知らない」  ああ~と、絢人が大きく頷いた。 「それと、仮に、いつか人間の全てが解明されて、テクノロジーがそれを人工知能に再現できたとしても、それは人間とは呼ばないだろうな」 「えっ、……なんで」  騙されまいとでもするよう、疑り深い目を向けられ、笑ってしまう。 「それは、人間と同じ構造を持ったロボット、とか人造人間と呼ばれる」 「定義じゃん!」 「定義だよ」  声を上げる絢人に、口許をおおって笑いを堪え。 「ええ~……なんか納得いかねえような、けどその通りのような……」  顎をこすりながら首をひねっている絢人に、肩だけすくめておく。 「そっかあ。四海(よつみ)おばさんなら何て言うかなあ。おばさんが言ってたこととはちょっと違うけど……」  唐突に出てきた名前に、目の覚めるような思いがする。 「樋口四海博士ですか? 万理の母上で工学博士の、」 「その話はしたくない」  ピタ、と、イグニスの声が止まった。  水色の点滅がこちらに向くのに、ただ首を横に振り。 「そうなんだ。悪ィ」  悪びれる未満の、けれど真面目に頷く絢人に、いやとだけ短く答えた。 「ところでじゃあ、イグニスのチンコは、イグニスの疑似感情プログラムに刺激を与えるためについてんの?」  しらけさせたな、と切り出すより早い絢人の話題転換に、吹き出しそうになる。 「いいえ、ユーザーとの交流のためです」 「……チンコを使った交流って、ごめん、とりあえずいっこしか思いつかない……」 「連れションとか?」  ひとまずしてみる提案に、唇が片側に歪んでしまう。 「……チンチンチャンバラ……?」 「なんだそれ」  唸るような絢人の声に、間に合わず吹き出した。 「チンチンチャンバラとは、どういうものですか?」  知的好奇心の速度は羞恥心より速い。 「チンチンパーカセッション、えっ、こう、お互いに勃起したチンコを向けて」 「やめろイグニス。冗談だ」  テンポが速く、だが微妙に噛み合っていないイグニスと絢人に、笑いを収め損ねてしまう。 「わかりました。チンチンパーカセッションとは、どういうものですか?」 「チンチンでパーカッションを演奏するセッション」 「やめ、」  絢人の即答が勝り、制止しそこね。 「音楽の演奏法なんですね」 「今考えた」 「そうなんですね。では、絢人のオリジナルの演奏アイディアということですね」 「ちょ、待ッ」 「すんげー痛そうだから、ちょっとよく考えた方がいいかも」 「はい、そうですね。危険ですし、その演奏法は、ヒューマノイドロボットの性器にも損傷を与える可能性があります」 「(さや)があるといいかもしれないな……」 「性器の鞘ですか? 包皮(ほうひ)でしょうか。――ペニスケースを指す場合も考えられます」 「待て待て待て待てお前ら」 「はい」 「あぶねー、もうちょっとツッコミが遅かったらネタ切れだったわ」  あほかお前ら、と酔いも手伝って名残る笑いに、肩を震わせながら髪を掻いた。 「イグニスには俺と寝る選択肢があるんだそうだ」 「マジで!?」 「はい。選択肢のひとつであり、もちろん、人工知能との性交の場合も合意の上で行われるべきですが」  絵に描いたような丸い目と口でイグニスを見ている絢人に、笑う眉が下がる。 「あー、いや、でも、バンに抱かれんのはコミュニケーションの学習としてはなかなか有意義かもな……」 「なんだそりゃ」 「いえ、僕が」 「イグニス、ストップ」 「はい」 「情報開示のライン生成」 「はい。話題の深度に制限をもうけます」 「えっ」  まるでアニメーションのように、絢人の目が、こちらとイグニスを行ったり来たりして見つめる。  目を合わさず素知らぬふりで酒を飲み。 「バンがボトムってこと!?」 「申し訳ありません。この話題については、開示制限があるため、お話しできません」 「制限設定早いけど遅いっちゃ遅いよ!?」  指摘する絢人と顔色も変えないイグニスに笑いながら、残り少ない餃子をつまんだ。 「まあやんないけどな」 「やんねーの?」 「やんねえの。知ってるだろ」 「だってさ。イグニスがボトムの方がまだ可能性あるんじゃねーの」  絢人から、完全に面白がっている目をチラと向けられたイグニスの、瞳孔がいくつか水色に点滅した。 「これは可能性の話ですが」 「おっ」 「万理は人工知能技術の専門家です。人間からのアクションに対して、どのような理論と演算で人工知能がリアクションをしているのか、よく知っています。ですから、この場合では、人工知能はより能動的である方が望んだ効果を得られる可能性が高いと考えます」  おかしなもので、動きを止めて考えている絢人の目が、点滅しない方が不思議に思えてきた。 「理論と演算。ああそうか。“こう返すべき”とか“こう反応する場面”だから、そうしてる。みたいなことか」  はい、と頷くイグニスに、絢人がニヤッと大きく口角を上げる。 「ばっかお前、そんなの人間だって大して変わんねーよ」  吹き出しそうになったが、吹き出すだけの力が込められず、項垂れた。 「おま……。聞きたくなかった……」  はっはっは、と、爆ぜるような絢人の笑い声に、いやまあそういうもんだろうけどな、と大きく肩を波打たせて息を落とした。 「だから絶対どっちもやってみるべきだって。ずっと言ってんじゃん」 「ボトム興味ねえんだよ。ひたすらトップばっかやっててえの、俺は」 「まあー、こればっかりはな。やりたくないのにやるもんでもないしなー」  仕方なさそうに笑う絢人に、そうだろ、と肩をすくめ。 「絢人は、ボトム役の方が好きですか?」  ん? と、イグニスに向ける絢人の目は、柔らかくたわんでいる。もうすでに、その先を語っているかのように。 「そうだな。どっちもやるけど、どっちかっていうとボトムの方が合うかな。俺のことなら抱いてもいいよ、イグニス」  予想に反して、イグニスの瞳孔は一度も(とも)らなかった。 「ありがとうございます。ですが、性交することが目的ではありませんので」 「ッカー!!」  眉間を揉みながらもだえる絢人に、お前はおっさんかと呆れた溜息をついた。 「バン、おッ前、このイケメン好青年がここまで言ってんのに! 男がすたると思わねーのか!」 「思わねえよ」  飲み過ぎだ、と、おかわりが次げないよう、酒は空にしてしまって。  酔っ払いに風呂をすすめるわけにもいかず、まだ少し、どうのこうのと賑やかな時間を過ごして。  いつの間にか、自分もソファで寝落ちてしまっていた。
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