八宝菜(3)

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八宝菜(3)

 掌の下あたりに触れる、小さな、(つぶ)()った感触。  手を滑らせて、それを指先でつまむ。 「機能があるか?」 「触感センサーはありますが、人間のように感覚器を集中させてはいません」  そうか、と、声だけで頷きながら、手遊びのように乳首を捏ね。 「単純な皮膚感覚かな。強くすると痛いか」  わざと少し強く、つねってやる。 「いいえ。ボディのどの箇所にも痛覚は搭載していません」 「痛みを感じない方がいいか?」  指を離しても、当然、そこが赤くなったりはしていない。 「必要ないと判断しました。生物にとって痛みは危険信号であり、必要なものですが、人工知能にとって危険は状況から判断されるものです」 「確かに」  相槌に、笑う吐息がちいさく混じる。  危険信号として以外に、痛みを必要とする場面はほんとうに存在しないだろうか。  (せん)()い考えを巡らせて落ちる沈黙に、窓越しの雨の音が忍び込んでくる。 「しばらく降るんだっけ。予報ではいつまで雨になってる?」  先立つ自分の手を追い掛け、視線は人工皮膚の上を這って下り。  力を込めれば6つに割れるとでも言いたげな、腹部のおうとつを指で辿り、もちろん飾りだろうへその窪みを行き過ぎて。 「3日後までは高い確率で雨が続きそうです」  ゴムでしわの寄った穿()(ぐち)に指を引っ掛けて、つくった隙間から手を差し入れ。  腰周りから尻の盛り上がりまでをくぐらせてやれば、音もなく落ちた布地が、筋張った足首によれて溜まった。  上着を脱がせた時に、もちろん思い出していた。  下着を着けていないのだ。  手を離して、(かかと)から引くように半歩下がって、ソファを振り返る。 「スリッパも脱いで、座って」 「はい」  淀みのない返答に、羞恥もないのは、当然だというべきかどうか。  真横を通り過ぎてソファに腰を下ろすイグニスを振り返り、その前へと自分も移動して。見慣れた行儀の良い座り方に、頬がゆるんだ。  横向きになって、足もソファの上に、と指示し。  すべて脱がせてしまえば、逆に、なんだか落ち着いたような気になった。  忘れているわけもない。この男の裸を見るのは初めてではないのだ。 「そっちの膝立てて、こっちの足は下ろす」  はい、と大人しげな声が、いつもと違って聞こえるのは、思い過ごしなのか。 「バランスが悪いか? 後ろに肘つくといい」 「少し待っていただけますか」  きっと、瞳孔は点滅している。 「できました」 「ん。上出来だ」  ありがとうございます、と、聞こえる声は嬉しそうだと思うのに、顔はまだ、見れていない。  座面に肘をついて身を支え、ソファの肘掛けに肩を預けて寝そべる姿には、既視感がある。絵画か彫刻でありそうな構図だ。  両膝をつき、そのそばにある足の甲に掌を置く。  どこもかしこも、抜かりなくよくできている。  足首を少し掴むような動きで撫で上げ、脛から膝頭へ。 「体毛が全然ないな」 「はい。必要ないと考えました」 「まあ確かに、機能的には……そうか、機能的にはない方がいいくらいか」  太股に手を置き、太さを測るよう、外から内へ掌を巡らせ。 「はい。すね毛や陰毛がそれほど体温を保つとは考えにくいですが、ない方が排熱効率に影響しないと考えられます」  開かせた足先から閉じていく付け根へと、手を這い込ませ。  ようやく、顔を上げた。主の奇行に、どんな感情を抱いているだろうかと。  はい、と。いや、言っていない。聞いていないのに、そう言われたような、錯覚と判る錯覚。  イグニスの顔に浮かんだ、柔い柔い笑み。 「さわ、」  唾液が喉に絡んで、咳払いをひとつ挟む。 「触られると、どんな感じがするんだ?」  水色の点滅と、瞬きがずれて交わる。 「嬉しいです。感覚としては、心地良さと呼ぶべきものかもしれません」 「嬉しいのか……」  意外なような、まったく意外でないような。  そのまま、イグニスの顔を見たままで、手を伸ばして陰茎を軽く握る。  唇が、開きかけて、開かずに閉じた。 「ッ、」  そのわずかな動きに、背中からうなじまでゾッと総毛立って。咄嗟に息を詰める。 「はい、嬉しいです。親しさが増すようですし、褒めてもらいました」  ゾクゾクと、鳥肌はおさまらずに耳まで届くようだ。  知らず手の中で柔く揉んでいたチンコから手を離し、イグニスの腰の辺りに手をついて身を起こす。  覆い被さるようにして、唇を奪い。  衝動と興奮を凝縮してそのまま捻り潰すよう、何度か()んで、ついばみ。 「おま、」  顔を離して、思い切り背けた。 「お前、バッ……、これは、……執事じゃねえだろこれ、」 「問題が生じていますか?」 「生じてる生じてる」 「問題点の洗い出しと、プロジェクトの修正について、検討する必要がありますね」  喉の奥でうめきながら、顔を見ないままで片腕をやり。見ていなければ尚更、人間のような重みの頭を抱き込んで。髪を少し、かき回してやった。  背が波打つほど、大きく息を吸って、長く吐き出した。 「そうだな。まあ、……考えよう」  人工知能の変わらぬ冷静さに縋るよう、素っ裸にさせたままのイグニスを雑に撫でながら、頭を回す。 「はい。プロジェクトの経過について、時間のある時にでも評価していただければ嬉しいです」  やり直し自体は、簡単だ。なんということもない。  イグニスの人工知能だけをリセットして、プロジェクトを書き換えることも、書き換えさせることも、単純な指示ひとつだ。  だがもちろん、そんなことを繰り返しても意味はない。  これが商品化段階であれば、問答無用でオールリセット案件だったかもしれない。が、今は、商品化可能にするための研究でありテスト中だ。  まずいならまずいで、それをマーケットに流さないための、措置を講じることが必要になる。 「万理」  うん? と、手を離し、身を起こして上から退いてやる。 「追加の食材と、衣類が届いています。買っていただいた衣服に着替えてもいいですか?」  一瞬なんのことか考えてから、ああと合点した。絢人と酔っ払っていた時に選んでいた、放熱素材の服を注文したのを忘れていた。  もちろん、と頷いてから、いよいよ立ち上がり。  少し頭を掻き掻き、どうするかなと思うのは、作ろうと思っていた八宝菜の調理と、それよりは少し先のこれからのことだ。  選択肢は色々ある。だが、今はまだ、もう少し。  この先を見て確かめなければと、そう考えながら、どこかで何かが、それは理性なのかと問うているような気がした。  パリッと立体感のある、スタンドカラーの白いシャツは七分袖で、隠しボタンの合わせの直線が清潔感を引き立てている。  ライトグレーのパンツと共に、肌からは離れる少しルーズめのデザインが抜け感のようにも見える。むろん、熱を逃がすためなのだろうが。 「割烹着も買ってやろうか」  レトロな木のまな板2つを隣り合いに並べ。  熱心にネギとしょうがを薄切りに刻んでいたイグニスが、包丁を使う手を止めて振り返る。  白菜、にんじん、椎茸、余らせていなかった青梗菜(チンゲンサイ)の代わりに余ってた小松菜、野菜を食べよく刻み、たけのこは歯ごたえがあるよう大きめに。絹さやの両端を落として。  こちらでは手を止めず横目だけを向ける。  水色の点滅が長い。 「袖があるタイプのエプロンですね」  エビを剥き、イカに刻みを入れながら、一瞬考え、笑ってしまう。 「割烹着のデータなかったのかよ」 「はい。初めて知りました」  マジかーと笑いながら、豚肉を大きめの一口大に切り、魚介と一緒に酒と塩コショウを馴染ませ。 「汚れなくてよさそうです。服装は頻繁に変わる方が好きですか? 変わらなくても構いませんか?」 「おお……。その発想はなかったな……」
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