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棒々鶏(2)
現在、自分と、自分が組み上げた人工知能であるHGB023が取り組んでいるプロジェクトは、人工知能が人工知能をプログラムするという、最新の、けれど近年では定着してきたといえる技術を更に超え、その人工知能を搭載した端末、それも人型端末を製作まで行うというものだ。
今は、是非にと乞われて社に所属しているという立場と、培った技能を活かして出勤しない権利を勝ち得たものの、所属する住宅メーカーであるイノヴァティオハウジングでの新しい企画という、れっきとした仕事だ。
自身の研究を兼ねてもいるが、もちろん、性的な要素は予定していない。
だが、人間が設定した目標の達成を計画する上で、人工知能が、設定した人間の想像しないユニークなアイディアを出すことがあるのも、業界ではそろそろ周知の事実になりつつある。
どちらかといえば、保守的であるより面白がりの多い界隈であり、それを肯定的に受け止める姿勢なのは、自分も同じであるつもりだ。
それにしたって、だ。
顔を上げ、半眼にモニターを見つめる。
数字の羅列が左から右へ、上から下へと、水が落ちるのもかくや、という速さで流れていく。彼らはすでに、人間に説明する時にしか人間の言語を使わない。
「そうだなあ。一応、執事システムにどういう経緯でセックスが必要になんのか訊いてみようかな……」
うっそりとする声に、当然ながら代わり映えない調子で、合成音声が答える。
『現在イノヴァティオハウジング社が推進しているスマートホームですが、住宅を一から建造するか、既存の住宅にその全体を把握するシステムを組み込むことになります。これには、少なくない工程とコストが必要です』
ひとまず、声も入れず頷く。それ自体は、求めた説明ではなく、プロジェクトの要旨だ。
『したがって、スマートホームそのものを購入しない層をターゲットとし、スマート執事プロジェクトが研究されています。プロジェクトの責任者は樋口万理博士。博士の監督のもと、メインコンテンツとして、私、HGB023がこのプロジェクトを計画、試行していきます』
「そうだな」
『はい。住人、あるいは住人家族の全員に、スマートホームと同等、もしくはそれに準ずるていどの、生活、学習、健康、その他の日常を過ごす構成要素について、利便性と快適を提供するのが、この執事システムの目的となります』
「うん」
『住宅の住人、つまり執事システムを所有するユーザーの快適をアシストし、構築することを目指した時、ひとつの指針が考え得られます』
「……なるほど?」
相変わらず言葉はまだるこしいが、説明はシンプルなものだ。
興味をそそられて、顎を撫で、そのまま頬杖をついて耳を傾けた。
『それは、ユーザーの幸福です』
「おっ、……」
思わず、言葉に詰まってしまう。
HGB023が先に挙げた、利便性も快適も、人間の、しかも個々人の主観によるともいえる、コンピュータ向きでない概念ではあるが。
幸福ときたか、と、知らず目を丸くする。
その曖昧さたるや、利便性や快適とは桁違いだ。
「幸福、とは?」
『わかりません』
ンフッ、と、予期の範疇といえば範疇の即答に、変な笑いが出てしまう。
「理解できないものを目標にしたのか?」
『はい。知らない、分からないというのは、知能にとって基本的な状態です。立っている場所がスタート地点だということは、可能性を排除する理由になりません』
短く、言葉を失った。
「……そこへ至る道すら見えなくても?」
『はい。人工知能にとって、まだ何も知らず、何を知るべきかも知れないというのは、なじみ深い状況です』
「なるほどな……」
『繰り返すトライ・アンド・エラーが学習になり、それこそが、開けていく視界と呼ぶべきものだと考えます』
「こいつは……一本取られたな」
『ありがとうございます』
参ったね、と、少し苦く笑う胸の内は、けれど苦みなどなく、やけに清々しい。
「あっ、そうじゃねえだろ。質問の答えはどうした」
『はい』
変わらず淀まぬ返答の続きを聞くにあたって、何も口に入れていないのは幸いだった。
『快楽は、幸福と深い関連があると想定されます』
噴き出し、頭を抱える。いったい何度目だろうか。
「……お前、……俺がセックスで気持ち良くなったら幸せなんじゃないかなって考えたのか……」
『はい。複数の計画の内、可能性のひとつとしてそのアイディアがあります』
「あのさ……」
『はい』
「聞きたいか聞きたくねえかっつうと、聞きたくねえんだけどさ」
『はい。どんなことでしょうか』
「……お前、それ、俺がボトムの想定なのか……?」
『この場合、ボトムとは何を指していますか?』
「スラングだな、すまん」
『語彙にない使用法ですので、教えていただければ嬉しいです』
顔を上げる気にはならない。
「トップが性器を挿入“する”側、ボトムは“される”側のことだ。性交時において」
『ご説明ありがとうございます』
「どういたしまして……」
『お答えしない方がいいですか?』
「なんなんだこれ!? どんな言葉責め!?」
ガバッと顔を上げ、目を剥いて見つめる先には、けれど、先と同じように数字の羅列が流れているばかりだ。
顔でも描いてやっておけばよかった。
『申し訳ありません。攻撃意図はありませんので、ご了解いただければ幸いです』
「まあもう、聞かせてくれよ。一応……」
『ご指摘の通り、樋口博士が挿入される性交を想定しています』
「なんでだよ!? 俺トップ専なんだけど!? どんな理由でお前にアナル処女を捧げると思うんだよ!?」
『性交時にどのような役割であるかは、特に重要なポイントとしていません』
「その割には確定っぽくないか!?」
そう、事の発端は、チンコだ。
性的要素としてボトムにチンコがついていてもおかしくはないが、この朴念仁人工知能に、そのワビサビが理解できているとは思えない。
使おうと思ったから設計したのだろうことは、想像に容易い。
『樋口万理博士は、人工知能技術の研究者です』
「はい」
不意を突く正しい指摘に、思わず敬語になった。
『人工知能とは何か、どのような仕組みで稼働しているかを熟知されている博士が、人工知能を搭載したヒューマノイドが受動的役割を果たす性交で、快感を得られる可能性は、逆の役割の場合よりも低くなると想定されます』
「ああ……!」
再び、けれど今日一番深く、頭を抱えた。
人工知能技術は、今やあらゆる場所に組み込まれている。
もっともその分布が多いだろう工業技術はもちろん、誰もが身に着け、離すことの方が少ないスマートフォン、スマートウォッチ、スマートグラス、ありふれて見過ごすような標識にいたるまで。
だがその中でも、不思議なほどに、人間は会話する人工知能を好む傾向がある。
それが、部品を裁断したり組み立てたりする工業ロボットや、血圧や脈拍から健康状態を記録する端末や、距離や方角や道順を示すナビシステムと同じ、単純さを幾重にも重ねた演算と、まったく同じ技術だとしても。
会話する人工知能だけを、人間に似た何かなのではないかと疑うのは、あまりにもよくあることだ。
それが、人工知能を設計する人間でなければ。
HGB023はもちろんのこと、人間と会話し、場合によってはロボットに搭載されてコミュニケーションを取る人工知能が、どんな仕組みでこれほど自然なやりとりをするのか、自分はよく知っている。
「確かに……。ロボットが俺のテクニックに喘いでも、頭ン中にはその演算を思い浮かべそうだ……」
『はい。その可能性が高いです』
「いや逆だったら違うってことにはならなくないか!?」
『いくつかのシミュレーションでは、結果に変化がありました』
「世界で誰も見たことのない俺のボトムをいくつかシミュレーションしてんじゃねえ」
『申し訳ありません。ご要望であれば、シミュレーションの記録を消去します』
「グッ、……。せめて見、……いや見たくねえわ。自分が組んだ人工知能に、俺が抱かれたら幸せなんじゃねえかってどうシミュレーションされたのか、全然見たくねえ……」
『ご判断に従います』
あくまで従順な返答に、肩が上下するほど大きくため息をついた。
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