棒々鶏(5)

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棒々鶏(5)

「あッ!!」 「はい。なにか問題がありましたか?」  そうか……と、額を押さえ。H型003の顔を、額を伏せたままで思い浮かべる。  赤味の強いブラウンの髪、灰色の瞳。それが似合う、日本人としては彫りの深い目鼻立ち。同じではないが、これは、子供の頃からよく知っている顔に似ているのだ。  違和感の正体の既視感の理由に気づき、そこから導かれる推論に、言いがたいものを感じて小さくうめいた。 「お前……ライリー・フレイザーって知ってるか……」 「はい。20年代の終盤から30年代にかけて、英国で活動していたミュージシャンが、ライリー・フレイザーという名前です」 「顔の造形の……参考にしたな……」 「はい。博士のプライベートフォルダ、および検索と閲覧の履歴から、好感を持たれる顔を分析、予測し生成しています」 「……まあつまり……そういうことだよな……」 「はい。お気に召さないようでしたら、変更を計画しますか?」  少し考えてから、いや、とため息まじりに答えて顔を上げる。  改めて見れば、違う顔ではある。違う顔ではあるが、よく考えれば似ている、という造形が上手く出来ている。むしろ褒めるべきところだろう。  褒めるべきだが、まず、恥ずかしい。  好みのものを“こういうの好きでしょ?”と差し出される羞恥心に、まだ少し額を擦りながら、改めてH型003を眺めた。  だが、ユーザーが気に入る外見をデザインするために、プライベートなフォルダやコンピュータの履歴を使うという、ごくありふれた手段を許可したのは自分だ。  参ったね、と大きく息を抜いて、いたたまれなさをひとまず押しやった。 「服を着ないとな」  目が、ついつい、股の間にブラ下がっているものを見てしまう。 「着用する服の作成を計画しますか? ただ、現在まで、衣服類は作成したことがありません。被服の技術は特殊なものが多いですから、作成機から作成するとコストが高いかもしれません」  ごもっとも、と頷き。 「とりあえず俺の服しかないな。……サイズは、多分大丈夫だろ」  立ち上がりながら、改めて人型端末を上から下まで眺め。  こうして、すぐ近くに立ってみれば、自分と同じくらいの体格のようだ。  身長は180センチ前後、標準的な体型。自分よりも筋肉がついて均整の取れた身体に見えるが、服のサイズなら間に合う範疇ではないだろうか。  行こう、と促して、さっきは駆け出てきた寝室へと、彼と歩いて戻ることにした。  歩行の練習ついでと考え、寝室にあるクローゼットの前まで人型端末も同行させる。 「さて。好きなスタイルとか、着てみたい服があるか?」 「好みはありません」  まあそうだろうな、と頷きながらクローゼットを開いて、じゃあどうするかなと吊された衣服を掻き分け。 「ですが、できれば通気性がよく、より簡素なものがいいかもしれません」  へえ? と、思いがけない注文に振り返り、あっと、声は上げないまでも口を開いて人型端末の顔を見た。 「熱か」 「はい。ボディの表面近くで冷却液を循環させて放熱しています。この機能を考慮すれば、熱を溜めないものの方が効率的です」 「そうか……」  なるほどなあ、と、頷きを重ねて考え考え、じゃあこれしかないなと黒のジャージの上下を手渡した。 「着れるか?」 「試行します」 「座って着る方が簡単かも」  顎をしゃくってベッドを示せば、二度、瞳孔が水色に点滅してから、ベッドを振り返る。  そういえば人間が服を着るのは保温のためでもあったな、と、考えていたのが、サラッと流れていってしまう。  服を両手で持ったまま、振り返り、向きを変え、ベッドに腰を下ろして、と、ぎこちなく“試行”している様子を見守りながら、閉じたクローゼットのドアに背をもたれた。 「目が光るのはローディング中のアレか」 「はい」  広げかけていたジャージを膝に置いてこちらに顔を向けるのに、喋りながらやってみろ、と課題を与え。 「面白いな」 「人間らしくはないですが。待機時間が発生してしまうタイミングで、停止していないことを知らせる機能です」 「ああ!」  合点(がてん)はひらめきに近く、意味が分かって思わず笑ってしまう。 「電源を切られないようにな」  上着を膝に置いて、ボトムスを広げようとして上着を落とし、上着を拾ってベッドの上に置き直しているのを、見る。 「はい。待機時間が発生する機器には、可能な限り搭載した方がいいとされています」 「確かに」  止まったのかと思って強制終了した、というのは、よく聞く話で、自分が絶対やらないとも言い切れない。  それに、と、少し顎を撫でながら、無事にジャージのボトムスを穿き終えてクルクルと上着を回している人型端末を眺めた。  予想していたよりも遥かに、人間のように見える。  たとえば壁にある3つの点や、円から伸びる線と、その枝分かれなど。近い形のものを人間のように見るという習性は有名だが、体験してみると案外それは、深く強い感覚だ。  すでに少なくない数が存在し、一般流通も遠くないと言われる人型端末に、自分は人間だと偽らせないことは、今のところ界隈でも暗黙の了解くらいにはなっている。  時々、なんだか見慣れた独特のテンポで瞳孔が点滅するたび、人型端末の持ち主は彼がロボットだと思い出すだろう。  目的外のようだが、多分、思いがけない良い機能になる予感がした。 「着ることができました」  つらつらと考えている内に、行儀良く両手を膝に乗せてこちらを向く人型端末に声を掛けられ、背を起こした。 「はいよ。――立ってみ。うん、正しい。合格」 「ありがとうございます」  むろん、ジャージは衣服の中でも着用の簡単なものだが。  思いがけず、礼の言葉に伴った笑顔は嬉しそうで、瞬く。  疑似感情回路を積んでいるのが、このプロジェクトの目玉のひとつではあるが、かなり自然に表現されているようだ。 「熱はどうだ?」 「はい。排熱効率がわずかに低下しました」 「そうか。服を着ないデザインのがいいかなあ」 「そうですね。顔と手先、足先以外は機械的なデザインにすれば、衣服が必要なく、効率的かもしれません。もしくは、空中投影(ホログラフィ)機能を付加する方法も考えられます」  なるほど、と、感心して頷く。 「投射器をいくつかつけて、服を着てるように見える映像を重ねるか。……悪くはないな。身体の動きにシンクロして揺れる映像にでもすれば、かなりそれらしく見えそうだ」 「はい。まだ完全反射技術は完成されていませんが、ボディが下地になりますので、衣服のように見えるレベルであれば、実現可能かもしれません」  そうだな、と、今度は少し笑ってしまう。  完全反射とは、単純にいえば透けないことだ。  それぞれ別の方向から光線同士をぶつけて、何もない空間に映像を浮かび上がらせる空中投影(ホログラフィ)も、今ではそれほど珍しくはない。だが、まだ完成された技術とは言い切れない一面のひとつが、反射問題だ。  自分の作業や、映像の確認に使うモニターのように、目で見るぶんに不自由はないが、ちょっと意識すれば、かならず空中投影の向こうは透けて見えているのが分かる。  服が透けて見えては、確かに困るだろう。 「お前にはつけてもいいけど、商品化まで考えたら、ちょっとコストオーバーかもなあ」  そうかもしれません、と頷きが返されるのに、髪を掻きかき首をひねって。 「まあ、取り敢えずはこのままいってみるか。排熱効率の低下で、なにかプロジェクトの障害になりそうか?」  移動しようかと少し目だけで寝室の扉を振り返り、考え直した。
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