棒々鶏(1)

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棒々鶏(1)

 木でできたまな板を調理台に()え、食材に包丁を入れていく。  最先端技術の従事者なのに、木のまな板とはアンティークだと、友人には笑われるが。  鶏の胸肉、といっても、さすがにこちらは生き物を殺したものではなく、名のあるメーカーできちんと育てられた培養(ばいよう)肉をまな板に広げ。  棒ならぬ肉叩きで充分に穴を空けてから、塩胡椒を揉み込んで下味をつけ、パッキングする。調理器にセットして、蒸しメニューから必要な項目を選んでパネルに入力すると、調理台に戻った。  薬味と調味料、ねり胡麻を混ぜ合わせ、キュウリを細切りに、トマトをスライス、ネギをみじん切りに。  刃の鋭さが野菜の繊維を断ち切って、トンとまな板を叩く心地良い音。ささやかな悦にひたる耳に、ポン、と軽く弾むような電子音が届いて、目を上げた。 「はいよ?」 『プロジェクト“H型003”の修正が終わりました。ご確認ください』 「おっ、さすが早いな。今何時だ?」 『17時13分です』  男でも女でもない、この時代には誰もが聞き慣れた、無個性な合成音声が答える。同時に、調理を続ける樋口の目線の高さに、板状のホログラフィ(空間投影)が浮かび上がった。  ホログラフィといえば、人物のミニチュアのような3D映像が挙げられることが多いが、空間に投影されたのは、お馴染みのテレビやディスプレイに似た平らな長方形だ。  くたびれた草むらを影絵に変える秋の夕暮れが画面に映り、その左肩の位置には、合成音声が告げた通りの時刻も表示されている。  私設研究所を兼ねる自宅の建物の外、西側の外部カメラが捉える落日と、時刻の表示に目を滑らせて、頷いた。 「俺が自分でちまちまやってたら、100倍はかかるところだな」 『お役に立てて光栄です』  色なく答える合成音声に、出してくれと指示しながら、再び調理の手元に目を落とした。 『はい。モニターを出します。作業中でしたら、読み上げを実行しますか?』 「いや、」  薬味をまな板の隅に寄せ、調味料を混ぜて手早くタレを作ってしまうと、手元に皿を用意する。 「大体終わりだ。やりながら見るよ」 『わかりました』  外の景色を写したものの隣に、また別のホログラフィ画面が現れた。  そこに流れる文字を見ながら、トマトとキュウリを並べていく。  目をやるのに合わせて、表示された文字がスクロールし、調理器から胸肉を取り出すために視線が外れると止まる。 『左側が前回のプロジェクトです。与えられた修正指示をご確認ください。ご指示に従い、表示の箇所を修正しました』 「うん。うん、うん、はい、はいはい……」  蒸し上がって湯気を立てる胸肉をスライスし、トマトとキュウリで鮮やかに飾られた皿の上に並べる。  二股がけよろしく調理の片手間に目をやれば、二分割した画面に並ぶそれぞれの文字列と、隅の小窓を割り当てられた簡素な画像が、目線の移動にしたがってスクロールする。  プロジェクトの修正についての報告と、それを示す画像をザッと確認しては、また目を離し。  野菜の上に行儀良く並べた蒸し鶏に、ごまのタレを流し掛けると、空の胃を刺激する香ばしい匂いが広がった。 「んッ? おッ、」  タレを流す器を危うく取り落としかけ、あわてて取り留める。  完璧な軌跡を描くはずだったごまだれが、最後でわずかに歪んだ。  だが、取り留めた器を目もやらず放り出し、ホログラフィの画面に手を伸ばす。  光の屈折と交差だけで作られたホログラフィは、調理中の指でも汚すことはない。それでも、指先に吸いついてでもいるよう、節張った指の動きに合わせて滑らかに動き。  ピンチアウトする指に従って画面いっぱいに広がった画像に、樋口は眉間を詰めた。  進行中のプロジェクトである、ヒューマノイド(人型)ロボットの躯体(くたい)、つまり人間の身体の形を表現したモデリング画像。その、半分より少し下。  脚の付け根に、どう見ても見覚えのあるその形。 「えっ……なんだこれ……」 『性器です』 「おっ、おう……」  合成音声の主は、ここにはないコンピュータ内の人工知能だ。  主人の問いに、正しい間で正しく答える声に、むろん躊躇も動揺もあるはずがない。  完成した棒々鶏(バンバンジー)を頬張りながら、ホログラフィの画面を眺める。  とろみのあるゴマだれの香ばしい甘さが、しっとりと蒸し上がった鶏肉に絡んで、頬の内だけは、勝手にほころんだ。  移動するのを面倒くさがり、テーブル代わりにそのまま食事をとる調理台の前。スツールに座った目の高さに合わせて、画面は低い位置へと移動していた。  うーん、と、何度目か唸ってから、顔を上げ。 「HGB023……」 『はい』  HGB023という、この人工知能の名――正確にはこれもプロジェクト名だが――を呼び、その本体が実際に設置されている方を、目だけでチラと振り返った。  HGB023の本体は、扉の向こうに廊下を挟んだ機械室にある。このキッチンからでは、もちろん姿が見えるわけではないが。  目線を戻し、再びホログラフィの画面に据えた。 「面白いことが起きたな、とは、思うんだけどな……」 『ありがとうございます』  褒められたという文脈の理解は正しい。だが、眉間を揉んでしまう。 「どーうすっ、かな……」 『男性器の搭載が不適当とのご判断であれば、削除します』 「まあ、そう、……。そうするのは簡単なんだが」 『はい』  進まない箸を置いて、行儀悪く頬杖をつき、調理台の下で脚を組み上げた。 「人工知能のHGB023が、ヒューマノイドの頭脳である人工知能からボディまで、全てをデザインする、っつうのが、このプロジェクトのキモなんだよな。それを、俺がこの程度のことでデザインの変更させてもなあ」 『はい。確かに、人工知能がすべてをデザインするヒューマノイドロボットというのが今回のプロジェクトです。ですが、人工知能によるすべてのプロジェクトは、人間のためのものであり、現在の人工知能技術は、社会規範などにおいてまだ未完成であることを考慮すれば、人間の監督によって細部の変更をすることは、当然であるともいえます』  ごもっとも、と声には出さず頷きながら、少し額をこすった。  人工知能特有の、丁寧すぎてまだるこしい言い分の通り、ここで自分が「ロボットにチンコはいりません。チンコなしでやりなさい」と指示することは、おかしいことではない。  商品化段階であれば、迷う必要もなかっただろう。  だが今回のプロジェクトは、どちらかといえば研究の意味合いが強い。人工知能技術の研究者として、自分が想定する根幹部分をなすものになるはずだと考えている。  ひとつ大きく息をついて、再び顔を上げた。 「挙がってきた可能性を、結果が出る前に潰してたら、どの(ルート)が間違いで、どの道が正解にもっとも近いのか、曖昧になるからな」 『はい。その通りですね』  やれやれ、と、鼻から息を抜いて、再び箸を手に取った。  HGB023が今“その通り”だと指したのは、自分の意図や決断ではなく、言葉の意味そのものだけだと分かるからだ。  なんだか味が分からなくなった棒々鶏を、それでも香ばしさを頼りにパクついて。  計画と設計を作成に移すべく、忙しなく流れているモニターの文字に目をやる。 「HGB023」 『はい』 「そもそも、ヒューマノイド(人型)デバイス(端末)の家庭用執事(バトラー)プロジェクトに、なんでチンコが要ることになった?」 『はい。計画とシミュレーションの結果、いくつか、性交が必要になる可能性があったためです』  ぶほっ、と、頬張っていた棒々鶏を思わず噴き出した。遅ればせに押さえた手が自分の咀嚼したもので汚れたのを、うへえと見つめ。 「ちょっと待てお前、誰と誰が?」 『はい。樋口(ひぐち)万理(ばんり)博士と、私、正確にはプロジェクトで使用するヒューマノイドロボットです』  これが十年前でなくてよかった。  目の前にあるのがホログラフィでなく物理モニターだったら、相当に悲惨な状況になっていたことだろう。  立ち上がって手を洗い、調理台の上を拭いた布巾(ふきん)を放り出すと、再び腰を下ろして髪を掻き回す。 「……どっ……からツッコむべきかなあ……」 『はい。ご質問、または追加のご指示がありましたら、おっしゃってください』
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