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求愛
東急東横線沿線。十畳のワンルームにロフトの付いた部屋。
それがあの頃のアイツの住まいだった。
「なんか飲む? 発泡酒と缶チューハイ。あとは焼酎とジンとウイスキー」
「酒ばっかじゃねえかよ」
「飲まないでやってられっかよ。こんなクソみたいな世の中でさ」
「それな」
初めて入った彼女の部屋。
天気予報が外れてゲリラ豪雨に遭ったせいで、美耶子は俺を部屋にあげてくれたのだ。
片付けが苦手なのか、散らかってて服だらけ。
でもアイツの匂いがするこの空間は、俺には何よりも安らげる場所な気がした。
渡されたタオルでびしょ濡れになった髪や身体を拭く。
彼女の使ってる柔軟剤か何かの匂いは、いつも近くに寄るとするものと同じ。
着替えがないって事は、そこまで深い付き合いの男は出入りしてなかったんだな、と柄にもなく安堵した。
「炭酸あったらハイボール欲しい」
「あるよ。強炭酸。氷も」
「なんかツマミ買ってくりゃよかった」
勝手にローテーブルの前に腰掛ける。
服の雑誌だらけで、物置くとこねえぞと苦笑いした。
「雨止んだら帰れよ? アンタ明日も学校でしょ」
彼女は廊下にある小さなキッチンから、俺に向かってそう言った。
硬い声は警戒していることを示していた。
「……何もしないよ。分かってる」
「アタシといてもさ……時間の無駄だよ。アンタまだ若いんだから、大学でちゃんとした彼女作んなよ」
レモンの薄切りの入ったハイボールのグラスを俺に渡しつつ、彼女はそんな事を言う。
聞いた瞬間、腹がたった。
俺を舐めるな。
「俺はお前しか好きじゃない。俺が欲しいのはお前だけだ」
正面から彼女の瞳を見据えた。
この世の何よりも、愛しくて堪らない瞳。
「……それをあげらんないから言ってるんだよ。ヤれもしない女といてどうすんの? そこまで大層な身体だとも思ってないけど、ないとあるとじゃ全然違う。アンタが我慢するだけなんてアンフェアだろ? こんな付き合いじゃバランス悪すぎるよ」
ローテーブルの向かいに腰掛けた彼女は、涙の滲んだ目で真剣にそんな事を言う。
生まれて初めて好きになった女は、こうやって俺を自分の世界から追い出そうとする。
「もしああいう事になってなかったら……俺と付き合ってた?」
「……うん」
目を逸らした彼女は、滅多に見せない照れた顔をしていた。
俺にはそれだけで十分だった。
「あんなもん別に無くていいよ。俺、元々からして女嫌いだし」
「…………」
本気で言ってるし事実なのに、美耶子はこちらがでまかせを言ってる、と思ってるらしい。
オレンジブラウンのカラコンを入れた瞳が、訝しげにこっちを見る。
「マジで言ってる。一生守る」
「…………」
「なんか言えよ」
「……そういうの……嫌なんだよ。断った途端に手のひら返してくる野郎は、何人もいた。アタシが思い通りにならないからって……」
聞いていて益々腹がたった。
そんなクソ野郎共と一緒にするな。
「これから一生掛けて証明してやるよ。俺が大学出たら結婚してくれ。本気で言ってる」
「はあ? バカじゃね?」
「何とでも言えよ。俺は本気だ。お前は俺のもんだ。あの日初めて会った時にそう決めた」
イカれた男の言葉に、彼女は悲しげに顔を曇らせた。
「……じゃあもう好きにしなよ。アンタの気が済む様にすれば? 飽きたら……別の女の子と付き合えばいいし」
「じゃあ、交渉成立だな。乾杯しようぜ」
そう言ってグラスを掲げて笑ってみせると、彼女もさすがに苦笑する。
「アンタって本気で頭おかしいよね? 前から思ってたけど」
「褒めてくれてんだろ? それ。 知ってる」
「変な男。イカレ野郎」
「……何でもいいよ。俺、床で寝るから泊まってっていいよな? 明日の朝、駅前行って朝マック買ってくるから一緒に食おう」
俺の言葉に呆れたみたいな顔の美耶子は、額にグラスをコツリとぶつけてきた。
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