月の存在意義

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出ないかもしれないな。 勘のいいアイツだから、俺がこうやって先生といるのも分かってるかもしれないし。 しかし女二人でコソコソと、人をモノ扱いしやがって。本当に腹が立つ。 ガキじゃねえんだから、てめえの面倒くらい自分でみれるんだよ。 高校を出てから、俺はずっと一人暮らしだったのだ。 アイツと暮らす前は一人だった。それに戻るだけなんだから。 ベランダに出て電話を掛けると、数回のコールの後に元妻へ繋がった。 『……もしもし』 「俺。切るなよ?」 『なんだよ? ストーカー野郎』 アイツの声だ。 馬鹿にしたみたいに笑う言葉なのに、涙が溢れそうになる。 「うるせえ。聞きたい事があるからかけたんだよ」 『なんだよ?』 落ち着く為に、ポケットからラッキーストライクの箱を取り出し、煙草に火を点けた。 「……お前、何のつもりだよ。あの金」 少し前に、俺の口座にまとまった額の振込があった。 彼女がずっと預かってくれていた俺の給料と合わせたら、それは結構な額になる。 なんでこんな情けを掛けるんだ? お前は俺が要らなくなったんだろ? 『慰謝料』 「……立場的には俺が払うヤツだろ? それ」 外から見たら、俺は有責配偶者もいいところだ。 浮気したくてした事なんかは、勿論一度もないが。 『アンタを散々苦しめたからさ。そのお詫びだよ』 「……苦しくない。今の方がずっと辛い。俺はまたお前と一緒に暮らしたい」 情けないけど、これが本音なのだ。 コイツの側にいられる事が、長い間、俺の全てだったから。 『近くにいても、遠くにいても苦しめる。だったら、アタシはアンタの手を振り払う方を選ぶよ。どちらにしろ苦しめる事に変わりはないんだって、やっと気が付いたから』 コイツはいつもこうやって、人の事ばかり心配する。 てめえの事、心配しろよ。 亭主と手を切るために住み慣れた家まで手放して、わざわざ海外にまで飛んで。 俺のことがそんなに負担だったのかよ。 「……ウソでもいいよ。俺を好きか? 愛してるって言ってくれよ」 彼女の口から、一度も聞いた事がない言葉。 いつだって、死ぬほど聞きたかった言葉。 『ウソ吐いたって仕方ねえだろ。ウソは何処までいったってウソなんだよ。馬鹿が』 「相変わらず、口が悪りいな……。お前はよ」 『お互い様だよ。よく社会生活回してられるもんだ』 電話の向こうで笑う声。 飛んで行って会いたい。 『本当にごめん。……アンタを幸せにできなくて』 「お前といられれば、それが幸せだったんだ。なんで信じないんだよ。ウソなんか一個も吐いてねえぞ、俺は」 『知ってるよ。このイカレ野郎。超ウゼエ』 なんでこんな残酷な女を、俺はいつまでも好きなんだろう。 コイツの引力に、今も取り込まれてるんだろうか? 「クソ女……」 『ああ……知ってる』 違う。これはウソだ。そんな事思ってない。 『ありがとう』 その言葉と共に彼女がほう、と息を吐くのが聞こえた。 「何が? 俺は何もしてない」 何もしてやれなかった。お前を暗闇から引きずり出してやれなかった。 泣いてるお前を抱きしめる事も出来ず、ただ見ているしかなかった。 俺は自分の非力さに、いつだって絶望していた。 反吐が出そうだ、本当に。 『死ぬほど愛してくれてありがとう。もううんざり。アタシの人生に男は……アンタ一人で沢山』 ……これが、愛してる、に聞こえるのは、俺の穿ち過ぎなんだろうか。 目頭がカッと熱くなる。涙が溢れて止まらない。 「…………っ!」 『幸せになってくれってのは無理ならさ。不幸せにはならないでよ。アンタでもどうにかなるだろ? そんくらいならさ』 「……お前がたまにこうやって話してくれりゃ、俺は不幸せじゃないよ。死ぬほど好きな女と……繋がってられるなら」 コイツは信じないだろうけど、側にいて他愛ない話をし、二人きりで過ごす時間は、俺には掛け値なしの幸福だった。 こんな風に放り出さないで欲しかったから、ずっと好きでもない女共と寝てたのに。 どうせこういう結末になるなら、そんな事一度だってしたくなかったよ。 『離婚届まだ出してないくせに。バレてんだよ。繋がってんじゃん。役所のたった一枚の紙切れが、アタシ達をちゃんと繋いでるよ』 諭す様な優しい言い方。 コイツの言いたい事はわかった。 時折こうやって話すか、書類の上だけでも夫婦で居続けるかを選べ、と言いたいんだ。 俺は愛されてるのかな? あの変わり者の先生が、いつも言う通りに。 「届は出さない。……お前は永久に俺の女なんだから」 『わかった。アンタの好きにしな。またね』 「……ああ」 電話は呆気なく切れた。 本当に残酷な女だ。 『また』なんてないって今、俺に選ばせたクセによ。 「好きだ……」 お前が好きだ。 お前だけが好きなんだ。 俺の声は届かなかった。 いつだってアイツに届いた事なんてなかった。 苦しくて内臓が捩れそうで、ベランダに蹲る。 俺はそのままの姿勢で、気が済むまで泣いた。
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