運命の輪

1/1
前へ
/15ページ
次へ

運命の輪

アイツに出会った日の事を、俺はきっと生涯忘れないだろう。 騒がしいのは嫌いだけど、ツレは俺をよくクラブに引っ張っていった。 お前がいてくれるとナンパがしやすいんだよ、とハッキリ言われた事もある。 黙って居てくれりゃいいよ。 無愛想でも女には関係ないんだ。 お前、(ツラ)がいいからさ。 馬鹿にされてるのは、俺だったのか女共だったのか。 俺はただ気の合う男連中と、馬鹿話がしたかっただけだったのに。 何もかもが退屈だった。 俺にとって多少なりともやり甲斐のある事は、大学での勉強だけだった。 死んだ叔父さんの会社を、デカくしてやりたかった。 あの人が完成させたかった医療機器を、ちゃんとこの世に送り出したい。 そう思ってたのに……。 あの日、いつも通り友達にクラブへと連行されると、見慣れない背のでかい女がいた。 170は軽く越えているだろう。 切れ長の瞳は蠱惑(こわく)的で、形のいい唇にはキレイに口紅が塗られていた。 長身だけど、痩せぎすではなかった。 胸にも尻にも肉がのっていて、長い脚の腿が張っている。 EGOISTのオフショルダーのカットソーはオーバーサイズで身体の線を隠しているのに、アイツがどんな身体をしてるのかはすぐにわかってしまった。 下腹に熱が(こも)った。 生まれて初めて、自分から女を抱きたいと思った。 そんな内心の動揺を隠して、彼女に近づく。 「アンタ初めて見るな。よく来るの?」 彼女は、つまらなそうな顔をこちらに向けた。 オレンジブラウンに染めた長い髪は艶やかで、いい香りがする。 「付き合いだよ。ぶっちゃけ早く帰りたい」 そう言って笑う顔は、本当に疲れてるみたいに見えた。 「それ言っちゃうのかよ」 「マジで疲れてんだよ。明後日からセール期間だから早出しないと行けないし。名ばかり管理職はしんどいわ」 「学生じゃないの?」 さりげなく近づいても、彼女は特に動じない。 だから、とりあえず話せるだけは話そうと思ったのだ。 俺は彼女のことなら何でも知りたかったから。 「〇〇って服屋の店長なんだ、アタシ。マルイの中の」 「社会人なんだ。いくつ?」 「二十歳過ぎた女に歳聞くか? フツー。アンタもてないでしょ」 彼女は細い煙草を吸いつつ、呆れたみたいに俺に向かって笑う。 大人びた容姿に似合わない可愛い笑顔。 「うん」 「認めちゃった?」 「モテないよ、俺。何でもハッキリ言うから」 ウソだ。女とろくに話さないから、向こうは勝手に俺の事を解釈する。 ヤツらは勝手に近づいて来て、勝手に去っていく。 「それは単に無神経なだけだろ。ウケる。変な奴」 長い指が掴んでるグラスには、琥珀色のカクテルが入っている。 味見させてくれと言ってみるか、とぼんやり考えた。 「何飲んでんの?」 「ロングアイランドアイスティー」 「それ実は紅茶入ってないんだぞ。知ってた?」 これは本当の話だ。バーでバイトしてる友達が言ってたから。 「え? マジ? 味するよ?」 切れ長の目が丸くなるのを見て、可愛いな、と感じた。 彼女は不思議そうにグラスを眺めている。 「一口飲ませてよ」 「いいよ。はい」 ……警戒心のない女だな、と思った。 男にどう見られてるか、本人はまるで自覚がない。 現に今話してても、野郎どもが彼女をチラチラ見てるのがわかる。 こんないい女がいりゃ、あわよくばと考えるのが普通の男だ。 「間接キス」 一口飲んで返すと、ふざけて反応を見た。 「は? キモ。バカじゃね」 口ではそう言うけど、彼女は再びそれを飲む。 本気で嫌なら新しいのを頼むだろう。 「アンタ学生? 若いよね、まだ」 「うん。〇〇学院大。三年」 「おぼっちゃまじゃん」 「別に普通だよ」 冷静に考えたら、俺は自分から女を口説いた事がなかった。 そんな必要がなかったからだ。 労力を割いてまで欲しい女なんて、今までただの一人も居なかった。 「今着てる服の店? アンタの勤めてるのって」 「ううん。うちはそういうのはユルいから、好きなの着てる」 「買わされたりしないんだ。ツレの彼女がそう言ってた」 俺はいざとなると、どうでもいい事しか話せないもんなんだな、と気づきがあった。 そもそも女と会話を続けようと努力した事がないんだから、当然ではあったけど。 「そういう店はね、大変。まあ何年かしたら辞めるんだ。自分で自分の好きなモン扱いたいからさ。このまま雇われててもすり減るだけだってやっと最近分かったよ」 そう言う顔は真剣で、見蕩(みと)れる程に綺麗だ。 ふいにオフショルダーなんか着てやがって、と変な苛立ちを覚える。 ヤりたくなるだろうが。 「大人だな」 「大人なんだよ。ガキ」 ガキか……。なんのかんの言っても、俺はまだ親に食わせて貰ってる学生だ。 早く就職したい、と思った。 彼女みたいに自分の力で生きられる様にならないと、おそらく真剣な相手として扱って貰えない。 「友達が帰って来ない。アタシもトイレ行ってくる。じゃあね」 彼女はテーブルに飲み物を置くと、立ち上がってそんな事を言う。 内心は結構動揺してたけど、それをなんとか隠した。 「まだいる? もう少し話したいんだけど」 「うーん。アタシはいいけど、友達に聞いてくるよ。人すごいから見つけられなかったら、ゴメン」 ここは割と小規模なクラブだけど、それなりに人はいる。 週末じゃなくて助かったけど。 「待ってる」 「いや。待たれても困るって。じゃあね」 彼女はそう言って、手を振ると人混みの中に消えていく。 手に指輪の類はしてなかったから、男は居ないんだろうと考えた。 そして、仮にいたとしても関係ない。 アイツは『俺の女』だ、という確信があった。 名前すら聞いていなかったのに。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加