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運命の輪
アイツに出会った日の事を、俺はきっと生涯忘れないだろう。
騒がしいのは嫌いだけど、ツレは俺をよくクラブに引っ張っていった。
お前がいてくれるとナンパがしやすいんだよ、とハッキリ言われた事もある。
黙って居てくれりゃいいよ。
無愛想でも女には関係ないんだ。
お前、面がいいからさ。
馬鹿にされてるのは、俺だったのか女共だったのか。
俺はただ気の合う男連中と、馬鹿話がしたかっただけだったのに。
何もかもが退屈だった。
俺にとって多少なりともやり甲斐のある事は、大学での勉強だけだった。
死んだ叔父さんの会社を、デカくしてやりたかった。
あの人が完成させたかった医療機器を、ちゃんとこの世に送り出したい。
そう思ってたのに……。
あの日、いつも通り友達にクラブへと連行されると、見慣れない背のでかい女がいた。
170は軽く越えているだろう。
切れ長の瞳は蠱惑的で、形のいい唇にはキレイに口紅が塗られていた。
長身だけど、痩せぎすではなかった。
胸にも尻にも肉がのっていて、長い脚の腿が張っている。
EGOISTのオフショルダーのカットソーはオーバーサイズで身体の線を隠しているのに、アイツがどんな身体をしてるのかはすぐにわかってしまった。
下腹に熱が籠った。
生まれて初めて、自分から女を抱きたいと思った。
そんな内心の動揺を隠して、彼女に近づく。
「アンタ初めて見るな。よく来るの?」
彼女は、つまらなそうな顔をこちらに向けた。
オレンジブラウンに染めた長い髪は艶やかで、いい香りがする。
「付き合いだよ。ぶっちゃけ早く帰りたい」
そう言って笑う顔は、本当に疲れてるみたいに見えた。
「それ言っちゃうのかよ」
「マジで疲れてんだよ。明後日からセール期間だから早出しないと行けないし。名ばかり管理職はしんどいわ」
「学生じゃないの?」
さりげなく近づいても、彼女は特に動じない。
だから、とりあえず話せるだけは話そうと思ったのだ。
俺は彼女のことなら何でも知りたかったから。
「〇〇って服屋の店長なんだ、アタシ。マルイの中の」
「社会人なんだ。いくつ?」
「二十歳過ぎた女に歳聞くか? フツー。アンタもてないでしょ」
彼女は細い煙草を吸いつつ、呆れたみたいに俺に向かって笑う。
大人びた容姿に似合わない可愛い笑顔。
「うん」
「認めちゃった?」
「モテないよ、俺。何でもハッキリ言うから」
ウソだ。女とろくに話さないから、向こうは勝手に俺の事を解釈する。
ヤツらは勝手に近づいて来て、勝手に去っていく。
「それは単に無神経なだけだろ。ウケる。変な奴」
長い指が掴んでるグラスには、琥珀色のカクテルが入っている。
味見させてくれと言ってみるか、とぼんやり考えた。
「何飲んでんの?」
「ロングアイランドアイスティー」
「それ実は紅茶入ってないんだぞ。知ってた?」
これは本当の話だ。バーでバイトしてる友達が言ってたから。
「え? マジ? 味するよ?」
切れ長の目が丸くなるのを見て、可愛いな、と感じた。
彼女は不思議そうにグラスを眺めている。
「一口飲ませてよ」
「いいよ。はい」
……警戒心のない女だな、と思った。
男にどう見られてるか、本人はまるで自覚がない。
現に今話してても、野郎どもが彼女をチラチラ見てるのがわかる。
こんないい女がいりゃ、あわよくばと考えるのが普通の男だ。
「間接キス」
一口飲んで返すと、ふざけて反応を見た。
「は? キモ。バカじゃね」
口ではそう言うけど、彼女は再びそれを飲む。
本気で嫌なら新しいのを頼むだろう。
「アンタ学生? 若いよね、まだ」
「うん。〇〇学院大。三年」
「おぼっちゃまじゃん」
「別に普通だよ」
冷静に考えたら、俺は自分から女を口説いた事がなかった。
そんな必要がなかったからだ。
労力を割いてまで欲しい女なんて、今までただの一人も居なかった。
「今着てる服の店? アンタの勤めてるのって」
「ううん。うちはそういうのはユルいから、好きなの着てる」
「買わされたりしないんだ。ツレの彼女がそう言ってた」
俺はいざとなると、どうでもいい事しか話せないもんなんだな、と気づきがあった。
そもそも女と会話を続けようと努力した事がないんだから、当然ではあったけど。
「そういう店はね、大変。まあ何年かしたら辞めるんだ。自分で自分の好きなモン扱いたいからさ。このまま雇われててもすり減るだけだってやっと最近分かったよ」
そう言う顔は真剣で、見蕩れる程に綺麗だ。
ふいにオフショルダーなんか着てやがって、と変な苛立ちを覚える。
ヤりたくなるだろうが。
「大人だな」
「大人なんだよ。ガキ」
ガキか……。なんのかんの言っても、俺はまだ親に食わせて貰ってる学生だ。
早く就職したい、と思った。
彼女みたいに自分の力で生きられる様にならないと、おそらく真剣な相手として扱って貰えない。
「友達が帰って来ない。アタシもトイレ行ってくる。じゃあね」
彼女はテーブルに飲み物を置くと、立ち上がってそんな事を言う。
内心は結構動揺してたけど、それをなんとか隠した。
「まだいる? もう少し話したいんだけど」
「うーん。アタシはいいけど、友達に聞いてくるよ。人すごいから見つけられなかったら、ゴメン」
ここは割と小規模なクラブだけど、それなりに人はいる。
週末じゃなくて助かったけど。
「待ってる」
「いや。待たれても困るって。じゃあね」
彼女はそう言って、手を振ると人混みの中に消えていく。
手に指輪の類はしてなかったから、男は居ないんだろうと考えた。
そして、仮にいたとしても関係ない。
アイツは『俺の女』だ、という確信があった。
名前すら聞いていなかったのに。
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