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その小屋は川の隣に建てられており、水車もあったから村人がよく立ち寄った。水車小屋は村の共有財産ということになっていたが、ある一人の老婆はいつでもそこにいてあれこれと仕事をしていた。まるで家主のように振る舞いもした。けれど煙たがられているわけでもなく、クルマ婆(ばあ)などと呼ばれ、親しまれていた。クルマ婆の元には不思議と村人が寄ってきた。どんな話でもにこにこと聞いてくれるからだ。
石段をかたかた鳴らし、坊やが駆けてくる。開いたままの引き戸から顔をのぞかせると、クルマ婆は、今日は粉ひきをしていた。水車を動力にして歯車やひき臼を回しているのだ。坊には石臼から粉が湧き出ているように見えた。
「今日は小麦さ、明日も小麦さ」
坊に気がついた婆が歌うようにつぶやいた。
「何してるのさ、入っておいで」
「うん」
小屋は婆と脱穀した小麦とで、すでにいっぱいだったが、坊やの一人くらい、何とか入り込めた。坊は婆の隣に座り込み、壁一面の歯車を見上げた。川に面した壁から軸が伸びてきて、ひと際大きな歯車につながっている。中心の歯車は周囲の大小さまざまな歯車を回し、そのしかけは坊の心をひきつけていた。ぐるぐると、ぐるぐると、いつまでも続く緩慢な回転。木製の歯車のきしむ音。外の水音。小屋は穀物の香りで満ちている。
クルマ婆はわきに寄せていた風呂敷をといて、大きな葉に包まれたおにぎりを坊に差し出した。
「食べっかい?」
「食べる。ははっ、あいかわらず大きいや」
ぎいきりり、ぎいきりり、回る歯車がきしんでいる。
「これって、どうやってつくるの」おにぎりを頬張りながら、坊がたずねる。
「菜っ葉の漬け物をさ、大きく広げるんさ、して、つやつやと光る白米をくるむんだよねえ」
刻んだ茎の食感もする。噛みしめると耳元でさきさきと鳴って、舌に塩気がじんと触れる。
「して、あの子の話でないの?」婆がにこりとする。頭に巻いていたほっかぶりをほどくと坊の隣に腰を下ろした。
坊はあの子の話を始める。気になるあの子、つい、目で追ってしまうあの子、大好きなあの子のことだ。照れくさくもあって、坊は丁寧に種をまくように、ぽつぽつと話す。
婆は急かすこともなく、いつまでもうなづきを繰り返している。坊がすっかり話し終えるとようやく口を開いた。
「誰かと仲良くなるってさあ」
婆の視線が壁の歯車に行き当たる。
「ぐるぐると回る歯車がうまくかみ合うように、一度すんなりと動き始めれば、後はいつまでもいつまでも、二人は回り続けるものさ。今日できたこと、これまでできたこと、さあ、明日は何ができようか」
昨日は途中まで一緒に帰った。今日は微笑みかけたら、笑い返してくれた。なるほど、明日は何ができようか。坊は勇気がわいてきた。
「今日の婆は珍しくおしゃべりだね」
「さあね、どうしてかね」
婆は立ち上がり、仕事の続きにかかろうとする。坊は何となく手伝いたくなって、婆の隣に立つと、またふわり、穀物が香った。
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