第2話.

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第2話.

「ねえ、隆。どうするの?」 「ヘヴンに行くなんて言わないわよね?」 「結婚した時、ずっと一緒にいると誓ってくれたじゃない!」  美沙は書斎の入口に立ったまま、何故か責めるような口調で続けて言った。 「そうだけど、非国民になるようで何だか気が引けるなぁ…」  隆がデスクで開いたリーフレットを見つめて遠慮がちに言うと 「私を1人にはしないと約束したじゃない!」と大きな声で言い、隣まで飛ぶようにしてやって来る。 「お金のある人はみんなやってるし、捕まる人もいないから許されているのと同じよ」  美沙は冷静に説得しようと思ったのか、別の椅子を引き寄せながら静かな声になって続けた。  隆はとなりに座った美沙の顔を見て、 「結婚した時は誰でも100歳以上まで生きるのが当り前だったのに、その命を60歳で終えないとならないなんて…」と残念そうに呟く。 「私は…、どんな姿でもいいからずっとそばにいて欲しいの…。」  今にも泣きだしそうな表情の美沙がそう言って下を向いた。 「………、君を1人にはしないという約束を破る訳にはいかないな!」  何かを考えるようにしていた隆が笑顔になってそう応えると美沙がすぐに嬉しそうな顔を上げ、 「だったら…、かわいいネコに変身して!」と少し遠慮しながら言った。 「そうだね。僕も変身するならネコがイイと思っていたんだ。大好きだしね」隆はリーフレットにあるネコの写真を指差して微笑んだ。 「良かった…。ヘヴンへ行きたいなんて言ったらどうしようかと心配していたの…。ネコになっても人の言葉は理解できるようだし、隆が言いたいことは鳴き声翻訳機を通じて理解出来ると書いてあるわ。これなら今までと同じように暮らせるわね!」  美沙は隆の顔を覗き込むようにして言い、「困った時は何でも相談もできるし、2人でいれば寂しくない。きっと、楽しみだって分かち合えるわ!」ようやくいつもの笑みを取り戻した。  自分なしではいつ食料が尽きるかわからないこの大変な世界を美沙はヘヴン行きの年齢まで1人で生き抜かなくてはならず、その事がとても気掛かりだった隆にとって『どんな姿でもいいからずっとそばにいて欲しい』という言葉は変身を決心させるのに十分だった。  しかしそう覚悟を決めたと同時に想像することすら難しい、ネコとして生きることへの大きな不安が隆の心の内で芽生えていた。  1ヶ月後、リーフレットに書かれた変身術の申し込みをするため、隆と美沙はオーストラリアへ向かう飛行機の中にいた。  機内に日本人が沢山乗り合わせているのか、2人の周りは日本語で会話をしている家族連れやカップルがいて隆の隣にも夫が50代後半くらいに見える、仲の良さそうな日本人の夫婦が座席に着いていた。  2人の会話をしばらく聞いている、というか聞こえてしまうのだがそれによると今時珍しくドローンタクシーにも乗った事がないようだ。  飛行機に乗るのも初めてらしく出発までまだ時間があるにも関わらず、2人共シートベルトをしっかり締め、緊張した面持ちで前方の大きな窓から見える離陸場を見つめている。  現代の旅客機はコンプリートプレーンと呼ばれ、パイロットがルートを入力するだけで離陸から着陸までの全てを人口知能が行なうタイプになった。  だからどんな悪天候の中を飛んでも揺れを感じることは一切なく、垂直に行われる離着陸は上昇か下降か判らないほど滑らかな為、ベルト着用のアナウンスもない。  隆は何の為にシートベルトがあるのかずっと疑問だったが隣の光景を目の当たりにして、ようやくその答えがわかった気がしていた。  面白い話題を探しては冗談を言い、妻をリラックスさせようとしていた夫も緊張しているからかその声が大きく、他の乗客も自分と同じように彼らの話を理解できるだろうと隆は思った。  そうして耳に入ってくる会話からわかったのは、この旅行がもうすぐヘヴンに行く夫との思い出作りなのだということだった。  その仲睦まじいやり取りを見ているうちに2人に子供はなく、夫亡き後は1人で寂しい毎日を過ごさなねばならないのだと隆には思えてきた。  ヘヴン行きを迎えるまでの数年間をこの旅行の楽しい記憶だけを支えに生きていく、そんな姿を想像して自分がこれから実行しようとしている事に罪の意識を感じずにはいられなかった。  後ろめたさからその顔を背けると、反対側の座席では美沙がこちらの複雑な心境などお構いなしに備え付けのスクリーンで遊べる、昔流行ったテレビゲームに夢中になっている。  その無邪気な横顔が美沙を支える為に変身するのだという事を隆に思い出させ、罪悪感で重さを増していたその心を軽くした。  隆は古風なタブレット端末を取り出し、ある旅行会社のサイトにアクセスする。  ゴーグル式か網膜投影式の眼鏡型コンピューターが一般的となった今、タブレット型を殆ど目にしなくなったが絵を描くことが趣味だという理由などで未だにその古いスタイルを好む人もいて、隆はその内の1人だった。  サイトが開き、記入欄が表示されるとデジタルペンを使って日付や滞在するホテル名、それぞれの場所に到着する時刻を書き込んでいく。  全て記入し終え、送信前にその内容を確認していると、 「向こうに着いたら何か美味しいものを食べたいわね!」と、いつの間にかゲームを終えていた美沙に突然肩を叩かれた。  不意を突かれ少し驚きながらも笑顔を返し、送信ボタンを押した隆は 「今、すべての予定を送ったからどこかでコンタクトしてくる筈だ」他人に聞かれないよう小さな声で言い、美沙にウインクする。  『60歳のメタモルフォーゼ(=変身)』と題されたリーフレットを読めば誰でも先ず、変身術がGCNL株式会社という世界各地に支店を持つ外国の企業によって提供されていることと、アジア地域では日本とオーストラリアにその支店があることがわかるようになっている。  変身したと誰にも疑われないようにしたかった隆はそれを見て日本以外の場所で申し込もうと考え、その地をオーストラリアに選んでいたのだ。  その後、変身する動物はネコで種類はアメリカン・ショートヘアにしようと決めた所までは良かったが変身自体が違法だからか、いくらリーフレットを読み進んでも会社の所在地などはどこにもなく、申し込み方法についても一切書かれていなかった。  どうすれば変身に辿り着けるのかわからなくなり一度はそこで行き詰ってしまったが手掛かりを探して各ページを丹念に見直すと、最後のページに辛うじて読める位の大きさでメールアドレスだけが印刷されているのを見つけた。  それが何の為のものなのかは書かれておらず、迂闊な内容のメールを送れないと思った隆は数日間考えた末に「オーストラリアでの申し込み希望」とだけ書いたメールを送信してみることにした。  すると次の日、2つの条件のようなものを書いたメールが送られてきた。  その条件は7日以上の日程でオーストラリア内を旅行する事、そしてその予定を到着前にある旅行会社のサイトから送信するという事だけで、メールの最後には『条件さえ満たせばどこかでコンタクトします』という一文も付け加えられていた。  7日以上というあまりに簡単な条件だけでオーストラリア内なら何時、何処を旅しても良く、それが秘密裏に行われている変身術に繋がるとはすぐには信じられなかった。  そのメールに返信して確認しようかとも考えたが取り返しがつかない事になっては困るので止め、メールアドレスがリーフレットにあるという事だけを頼りにオーストラリアへ出掛けてみることにしたのだった。    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「当機は間もなく、メルボルン国際空港へ到着致します。現地の天候は快晴、気温は32度、湿度は40パーセントです。尚、降下の際の気圧変化に敏感な方や耳鼻科で治療中の方はお近くのアテンダントにお知らせください」 機内アナウンスが終わると、 「私、降下の後はしばらく耳が変になるのよ…」美沙が呟いて眉をひそめる。  隣の夫婦はといえば離陸後もしばらくの間は緊張していたようだったがそのスムーズな乗り心地に安心して窓から景色を眺めたり、宿泊予定のホテルについてあれこれ話し合っていた。  その後1時間程して静かになると昨晩は初めて飛行機に乗る緊張で眠れなかったのか、備え付けの毛布を掛けて眠ってしまい先ほどのアナウンスでも起きる気配はない。  飛行機は5分後に垂直降下を始め、ターミナルビルの脇に音もなく着陸した。  20ほどあるドアが同時に開くと乗客が一斉に降り始め、隆と美沙も荷物を手に立ち上がる。  隣の夫婦はまだ夢の中だったが、キャビンアテンダントに優しく起こされた方が良いだろうと声を掛けずに座席を離れた隆はドアへ急ぎながらその夫婦へ振り返り、この旅行が2人にとって良い思い出となるように祈った。  機内から出るとそこは両側に免税店が並ぶ広いコンコースになっていて、天井に吊られたサインボードの光る文字と大きな矢印が真っすぐ行けば「ドローンタクシー乗り場」、左へ進めば「トラムの国際空港駅」だと示している。  トラムに乗り市内を観光しながらホテルへ向かう人も多いが、古めかしい乗り物が好きではない隆と美沙は寄り道をせずにドローンタクシーで直行する事にしていた。  そのドローンタクシーは自動運転で人件費が掛からないことから市内の移動は無料とされその上、何処にいてもアプリで呼べばすぐに来てくれるらしく、観光客にとって非常に有難い存在だとデジタルガイドに書かれている通りだった。  一方、地上を走るトラムは一律の料金だが有料となっているようだ。  トラムも自動運転化されており無料でも構わないのだろうが運転手と車掌が乗ってコインを徴収していた昔のスタイルを再現する為に形式上、有料とせざる負えないのだった。  もちろん、スマートウォッチで支払う事も可能だが料金を支払う際の車掌とのやりとりが面白いらしく、それを楽しむためにトラムの駅へ向かう観光客の殆どが空港でデジタル通過をコインに両替していく。  2人が乗ったドローンタクシーは3分程でオープンしたての「ロイヤル・オージーホテル」に到着した。  隆が選んだ海岸沿いに建つそのホテルは3階建てと小さいがゴルフコースやテニスコートなどのスポーツ施設が充実している上、プライベートビーチがある。  市内の中心地からは少し離れていて観光には不便かもしれないがその分、静かな環境でくつろげる所だった。  ドローンタクシーを降りて正面エントランスからロビーに入ると、すぐに自動のラゲッジカートが近づいてきて2人の横で止まった。  持っていた荷物をそこに乗せ、スマートチェックインへ向かうと2人の後をカートが静かに付いていく。  チェックイン用のスキャナーへ隆が自分のスマートウォッチを翳すと横の壁に埋め込まれたスピーカーから、「ようこそロイヤル・オージーホテルへ」と日本語でアナウンスが流れ「ライトの示す方へお進みください」と告げる。  点灯しないとそこにある事が分からない仕掛けのライトが床と壁で点滅を始め、それが示す通りに行けば自分の部屋に辿り着けるという仕組みだ。  ここメルボルンは世界的に有名な観光地だがホテルのチェックインは東京と同じように殆どが無人のスマートチェックイン方式のようだった。  点滅するライトに導かれるまま、エレベーターで3階へ上がり部屋の手前まで来ると後をついてきたカートが2人を追い越し、ドアを開けて入っていった。  2人ともラゲッジカートは使い慣れていたがどれも部屋の入り口まで荷物を運んでくれるだけのもので中まで入るカートは初めてだった。  驚いて顔を見合わせ、何が起こるのか見ようと急いで後を追うと、そのカートがクローゼットの棚に荷物を置いていた。  美沙はクローゼットから出てきた空のカートをまじまじと見て 「へぇー、最新式ね!」と感心したように言う。  一緒にそれを見ていたハイテク好きの隆は 「昨年オープンしたばかりのホテルだからね!」と少し自慢げに答えた。  普通の飛行機でオーストラリアまでは3時間、今日は早起きして7時半の飛行機に乗ってきたのでまだ11時前だった。  食糧危機になってからは昼食を取らない人が多くなり、隆と美沙もその生活スタイルだったから食事に縛られずに夕方までたっぷり時間がある。  ソファに腰掛けた隆はしばらく思いを巡らせた後、何か思い付いたようにして部屋に備え付けてある筈のゴーグル式端末を探し始める。 「何を探してるの?」と、その音を聞きつけた美沙がクローゼットから顔を出した。 「ゴルフコースの空き状況が知りたくてね。今からでも1ラウンドする時間は十分にあるからね」  チェストの引出で見つけたゴーグル式端末を装着しながら答えると美沙は何も言わずにクローゼットへ戻っていった。  端末に映し出されたメニューの『ゴルフ』と書かれた部分に視線を合わせて瞬きするとそこがクリックされ、コースの映像が流れ始める。  隆は1番ホールから順に映し出されていく空撮映像を見ながらここへ来た本当の目的について考え始めた。  日本で受け取ったメールの指示通りにオーストラリアまでやって来たがそれが本当に変身術の申し込みなのかどうか、未だににわかっていなかった。  それが違法だからか相手に全てを委ねる方法しかなく、隆が出来る事と言えば旅行を楽しみながらコンタクトしてくるのを待つ、という簡単すぎることだけだった。  だが、指示通りにただ待つだけではその機会を逃しかねないと思った隆は自らコンタクトしやすい状況を作ろうと考えていたのだった。  どんな状況を作れば良いのか分からなかった隆はとりあえず人が少ない場所としてゴルフ場を選んだが、その映像の中に『ロイヤル・オージー・メンバーシップ・クラブ&リゾーツ』の文字を見つけてゴーグルの中の目を細めた。  会員制のゴルフ場なら1人でやって来た会員が他の人と共にプレーするのは当たり前で、それがコンタクトだとしても不自然には見えないと考えたのだ。  メニューの中から『プレーの予約』を選び予約状況を表示すると1時間後からはかなり空いていたのでクローゼットから出てきた美沙を誘うと、外の暑さと日差しの強さを気にして困った顔になる。  その気にさせたかった隆が 「ここは林間コースで木陰が多い筈だよ。湿度が低いこの気候ならそう暑くは感じない筈だよ」慌てて付け加えると、 「チェックインの時、窓越しに見えていたコースなら目と鼻の先ね。終わったら直ぐにシャワーを浴びられるわね!」美沙は嬉しそうに言い、ゴルフウエアへ着替えるために再びクローゼットに消えた。  ホッとしながらプレーの予約を済ませた隆はレンタルクラブを2人分頼むとその予約番号をスマートウォッチに転送し、そのままベッドの脇でゴルフウエアに着替え始めた。  支度を終えた2人が1階まで下りると、チェックインの時にラウンジだと思っていた部分の半分はゴルフ場のクラブハウスになっていた。  自動販売機だけが置かれただけのクラブハウスを覗いたが誰もおらず受付機もないのでとりあえず外に出てみると、正面にある大きな練習用グリーンの縁に沿うようにして白っぽい大理石の小道がカーブしながら遠くへ続いている。  勘を頼りに2人でその小道を行くと、やがて1番ホールに辿り着いた。  ティーグランドに設置された受付機にスマートウォッチの予約番号を読み込ませた隆が隣の自動販売機でアイスラテを買っていると、目の前をでこぼこした石畳に揺れながらレンタルクラブを載せた自動カートが通り過ぎ、ティーグラウンドの脇で静かに停止した。  2人でラテを味わいながら遠くまで広がる景色を眺めていると、クラブハウスから続く小道を男性がこちらへやって来るのが見える。  細身で背が高く、地元にいそうなその男性は隆と美沙に気付くと口元に着けたインタープリターと呼ばれる言語変換機を通して、 「お待たせしました。いつでもスタートできますよ」と流暢な日本語と爽やかな笑顔を投げかけた。  このクラブは個人用の全自動カートでプレーする事も可能だがこのコースが初めてだった隆は予約の際、キャディーの同伴を頼んでいたのだった。  その男性が2人の所まで来ると、 「私はスティーブと申します。今日はキャディーとして同伴させて頂きますので、よろしくお願いします」変換機を通じて丁寧な日本語とお辞儀で挨拶した。 「斎藤隆です、こちらこそよろしくお願いします」隆がその丁寧さにつられて頭を下げると、 「美沙でーす!」美沙は片手を挙げてわざと軽い挨拶をする。  するとキャディーは変換機を外して、 「スティーブさんでぇーすぅ!」と片言の日本語でふざけて返し、その場の雰囲気を一気に和ませた。  プレーするのが2人だけで会員に扮したコンタクトはないと分かった隆は少しがっかりしたが、ショットの度に笑わせてくれるスティーブの冗談ですぐにそんなことは忘れていった。   5ホール目、3人はショートホールにやってくる。  隆がクラブを取ろうとカートへ歩み寄るとそれを押してきたスティーブが突然、名刺のようなものを差し出して、 「私はGCNL株式会社のエージェントです。このままプレーを続けながら、当社のサービスについて説明していきます」と変換機を通じて小さな声で言う。  それが変身術の事だとすぐに理解したがコンタクトはないと思い込んでいた隆は不意を突かれたようになって何も応えられなかった。  唖然として少しの間、渡された名刺をただ見つめていたがふと我に返り、とっさにその手をポケットにしまう。  誰かに見られていないかと辺りを見回す隆の姿に 「大丈夫、我々の後にはプレーする人はいません」とスティーブは笑みを見せた。  その言葉に安心してポケットに入れた手を出し、名刺を見ると深いグリーン地に金色の文字でスティーブ・クラークとだけ書かれている。  その名前を見つめながら、あれだけ意識していた自分にこれがそのコンタクトであることを全く気付かせなかったその人物の凄さを隆はまざまざと感じていた。  2人の様子をティーグラウンドから見ていた美沙が不思議そうに近づき、 「もしかして、コンタクトなの?」隆の耳元で囁くように言い、不安な表情を隣のスティーブへ向けた。  するとスティーブは真剣な顔で小さく頷いた後、笑顔になって 「グリーンの向こう側にはバンカーちゃんが隠れてますからねー。お砂遊びが好きな人以外は奥を狙っちゃダメよぉ〜」と先ほどからのジョークを飛ばす。  そうやってふざけるスティーブを見て、隆は先程コンタクトだと言ったのも冗談のように思えた。  ショットを終え、グリーンに向って歩きながら、 「我々のサービス、『60歳のメタモルフォーゼ』をここでは『変身術』と短く呼ばせてもらいます」スティーブがそう断りを入れ、「変身術は元々、諜報活動や戦闘を有利に運ぶ目的で研究・開発されたと聞いています」と変身術の最初の目的から話し始め、「実際に変身したスパイをペットとして敵国に送り込んだり、イルカに変身させた兵士で洋上の戦闘を行うなど様々な場面で成果を得られたようです。しかし、世界が宇宙空間での戦争に目を向けるようになると変身術は時代遅れとなり国家機密のまま、軍が管理を続けることになったのです」と実例を交えて説明する。 「ヘヴン・プロジェクト・ロー施行の3年後、我々はある国からその技術を入手し、60歳以降も生きる方法として提供を開始しました。当時、変身術は違法とされていませんでしたが人間の姿で生き長らえたいと思う人が多く、動物への変身は受け入れられませんでした。しかしそのまま数年経ち、人の姿で生き続ける方法の全てが失敗に終わるとようやく最後のものとして注目され始めます。我々の技術を真似て一儲けしようと考える組織が人々を誘拐して実験台にした為、変身術が悪者とされたこともありますがなんとか最後まで生き残り、今では唯一のものになりました」スティーブは小さいがはっきりと聞こえる声で話を続ける。 「変身術は大変高度な2つの技術で支えられており、人間の脳を動物に移植するというハード面に加え、共に埋め込むマイクロコンピューターのプログラム開発というソフト面においても高度なものが必要とされています。人間の記憶と感情を保ちながら動物本来の能力で生きられるのはそのマイコンが移植した人間の脳と動物の脳を繋いでいるからで、そこが最も重要な部分なのです」  スティーブはそこまで話すと質問を待つように2人を見た。 「変身と言っても人間の身体が動物になるのではなく、動物の身体に人間の脳が移植されるという感じですね」  自分の想像とは逆だと思った隆が訊くと、 「まさにその通りです。マイクロコンピューターが隆さんの記憶や考え方を動物の脳に追加してくれる、というのが正しいイメージと言えるでしょう。その難しい変身術をこなせる医師がオーストラリアには40人おり、全世界では1200人ほどが活躍しています。皆、同レベルの技術を取得しているので世界中どこでも安心して変身術が受けられますよ。日本での手術をお望みならそれも可能です」スティーブはそう応えて笑みを見せた。  そしてその後もショットの合間に歩きながら説明は続く。 「当社、表向きは『ヘヴン・プロジェクト・ロー』の執行場を世界各地で運営する会社で執行に立ち会う医師や弁護士も多く在籍しています。法律上の提出書類は全て正式なものを発行できますのでその点についても安心して私どもにお任せください」  ショットの度に中断し、歩き始めると再開するという途切れ途切れのものだったにも関わらず、スティーブの説明は要点をついた明解なもので2人はその内容を完全に理解することが出来た。その上、日本で疑問に思っていた点や心配していた事の全てに対してその回答と解決策が含まれていた為、あれこれ質問する必要もなかった。  『ヘヴン・プロジェクト・ロー』における『命の相続』は認可されたヘヴン執行場で行うと世界法で定められいるが、病気や事故で死亡した場合、また災害などで行方不明になった場合など執行場へ行かれない場合を想定した細かい規定もあり、変身術後の遺体を使って病死や事故死を偽装しようとしても徹底的に調査されて罪に問われるのは確実だった。  また、『命の相続』を行った際に執行場が発行する執行済証と死亡診断書を10日以内にヘヴン・プロジェクト庁へ提出しなくてはならないという日本独自の規定もあったから書類の方は精巧に偽造出来たとしても、ヘヴンへ行ったという事実を作るのは認可された執行場では不可能だった。  そんな殆ど不可能なことをどう偽装するのか隆はずっと疑問に思っていたが認可されたヘヴン執行場を運営しているという予想だにしなかったシンプルな答えであっさり解消されてしまう。  執行済証と死亡診断書は正規のものが発行でき、執行の偽装まで可能ならこの方法で変身がバレる事はないだろうと隆は心から安堵した。  そして、この変身術を教えてくれた知人に感謝していた。
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