約束の場所で待ってて

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約束の場所で待ってて

「久しぶり」  約束した場所で佇んでいる黒い影に正晴(まさはる)が笑顔で手を振ると、正晴に気付いたらしい彼が、不機嫌な顔でこちらを見やった。 「あれ……待たせ過ぎた?」  特に時間の約束はしていなかったのだけれど、お互いに『このくらいだろう』なんて予測していたはずだ。正晴としてはちょうどいい頃合いだと思っていたのだが、もしかしたら遅かったのかもしれない。 「むぎ?」  彼の名前は『こむぎ』という。久しぶりに会えて、もっと喜んでくれるかと思ったら、傍に来た今もやっぱり少し難しい顔をしている。 「……早い」 「え、いや、早くて怒るとか!」  こむぎの一言に正晴が笑う。こむぎは待っていてくれたのだから、早く会えて嬉しいのではないか。 「ぼくは、もっと遅くていいって、思ってた!  待ってる間も、正晴のこと考えるだけで幸せだったし……」  こむぎの手が、もじもじとすり合わせられている。そういえば昔から嬉しい時にそんな仕草をしていた。口ではこんなことを言っているが喜んでくれていることが分かって、正晴はこむぎの頭を撫でた。 「待っててくれてありがとう、こむぎ」  正晴がじっとこむぎの真っ黒な目を見つめると、こむぎは堰を切った様に正晴の胸に飛び込んだ。正晴がそれを抱き止める。 「五十年ぶりのむぎの重み……懐かしい。これからはずっと一緒だよ」 「ホントに?」  こむぎが疑いの目を向ける。正晴は、当然だよ、と笑った。 「毎日一生懸命働いたし、困ってる人を見捨てなかったし、掃除もサボらなかったし……大分徳を積んだと思うんだよ」 「……正晴、来世は飼い猫になりたいって口癖だったよな」 「そう。こむぎみたいな、愛される猫になりたいってね。ちゃんと天寿ってやつを全うしたんだから、むぎが怒ることないんだよ」  正晴が微笑むとこむぎは、ふん、と鼻を鳴らしてから正晴の腕からするりと降りた。 「ちゃんと……幸せだった?」 「当然だよ。むぎと居た時もその後も、ずっと幸せで、今もむぎに会えて幸せ」  正晴が笑うと、こむぎは、つん、とそっぽを向いた。嬉しい時ほどそっけない、その態度が変わってなくて正晴は懐かしさに胸が温かくなった。 「むぎ、神様にさ、次は双子の猫で生まれ変わりたいって、一緒に頼もうよ」  先に歩き出したこむぎの隣に並ぶように、次の場所へと歩きながら、正晴が笑む。 「……正晴が弟なら考えないでもない」 「いやいや、俺の方が今は年上だから。大往生って言われたんだからな。むぎは、たった十七年しか一緒に居てくれなかっただろ」  こむぎが『虹の橋』を渡った日は今でも覚えている。たくさん泣いたし、しばらく何も考えられなかった。  隣を歩く小さな黒い背中を見ると、少し肩を落としているように見えた。こむぎもあの時のことを覚えているのだろう。 「でも、俺が『いつか行くから虹の橋のたもとで待ってて』なんて言ったから、むぎは自分が生きた倍以上の時間、俺を待っててくれたんだよね。ありがとう」  とてつもなく長い時間だったと思う。次のステージへ向かう魂をどれだけ見送ったのだろうと考えると、胸が痛かった。 「別に……ぼくはぼくのしたいようにしてただけで、そうしたら正晴が来ただけで」 「でも一緒に転生してくれるんだ」  ふふ、と笑うと、こむぎが立ち止まってこちらを見上げた。 「これからは一緒って、正晴が言った」  丸い瞳がこちらを見つめている。その中に映る自分の顔が段々と歪んでいって、頬から雫が零れ落ちた。 「うん……あ、ねえ、抱っこさせてよ、むぎ」  涙を拭って歩き出した正晴がこむぎに向かって両腕を伸ばす。けれどこむぎは歩みを止めずに、いや、と答えた。 「ぼく、正晴の抱っこ、しつこくて嫌いだったんだよね」 「なにそれ……五十年目に知った事実」  正晴の言葉を聞いて、楽しそうにこむぎの尻尾が揺れる。正晴はそれを見ながら、まあいいか、と笑った。 「これからは一緒、だもんな」
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