あの男

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 『俺、そんなに分かりやすい?』  自分の声が、妙に幼く聞こえて戸惑う。それは、自分の性癖に気が付き始めた小学校高学年くらいの時みたいに。  男は俺の頬を両手ではさみ、かわいいね、あんた、と言った。かわいい、なんて言われるのは、物心ついてはじめてだった。俺はそこそこごつい、28歳の男で、かわいいと言われる要素なんてどこにもないはずだった。  『分かりやすかったよ。あんた、嘘が下手みたいだね。』  怖かった。これまで俺の人生で知り合ってきた幾人もの人たちの内、誰が俺の性癖に気が付いているのだろうか。もしかしたら、全員? みんな分かっているのだろうか。  怖い、怖い、と、俺はもがくように目の前の男の胸板にしがみついていた。縋れるものが他になくて、そのことがさらに恐怖を助長させた。  『怖い?』  男は、ボタンが半分はまったままの俺のシャツを、強引に引っ張って脱がせると、首筋に噛みついてきた。それは、甘噛みと言うには強すぎるレベルで。  俺は、痛い、と反射的に身を引いたのだけれど、男の腕が身体に回されていてかなわなかった。  『処女なんだ、あんた。』  男がからかうように言った。俺はその言葉を聞いて、顔が燃えるように熱くなったのをよく覚えている。この年まで同性とも異性とも関係を持たなかったこと、いや、持てなかったこと。その異質さを俺は多分、ずっと恥じていたし、誰かにばれるのを恐れてもいた。  『かわいい。』  繰り返し言って、男は俺を抱いた。怖れていたような痛みはなかった。なんなら、はじめての身体が逃がし方を分からずに怯えるくらいの快感があった。怯えながら俺は、この男は、こういうことにひどく慣れているのだろうと思った。そう念じることで、男の背中にしがみつきたくなる自分を制御していた。  セックスが終わると、男は煙草を一本吸った。俺のスーツのポケットから勝手に引っ張り出した煙草を。紫煙を吐き出すその姿が、さもうまそうに見えたので、俺も煙草に手を伸ばした。  『案外落ち着いてるな。』  煙草に火をつけた俺を見て、男は目を細めるみたいにして笑った。俺は、手が震えて上手く煙草の先に火がつかないことを自覚していたので、ただ自意識を守るためだけに平然としたふうを装った。  『かわいかった。』  男はそう言って、俺の唇をじわりと噛んだ。馴染んだ煙草の匂いがした。  男はその日から俺の家で暮らし始めた。当たり前みたいな顔をして。同棲していた彼女に家を追い出され、行き場がなかったせいだったのだと、俺はあの男が死んでから知った。
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