家出少女とクリスマス

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 静かにベルの音を聞いていると、おじさんサンタがふと視線を流した。意味深な視線の流れに、おじさんサンタの目線の先を辿ると――。 「鞠っ!」  華やかな喧騒の中にお母さんの声が聞こえた気がして、私は弾かれたように立ち上がる。見ると、マーケットの入口のほうから人混みをかき分けて走ってくるお母さんの姿があった。 「お母さん……っ!」  泣き声のようなか細い声で、私はお母さんを呼ぶ。  お母さんは眉間に皺を寄せて、私に気がつくなりまっすぐこちらへ向かってきた。 「鞠! あんたって子は……!!」  その声は、確実にいつも私を叱るときの色を含んでいて。その目に、叩かれる、と咄嗟に私は目を瞑った。  しかし、待てど暮らせど思っていた衝撃が来ることはなく、代わりに優しいぬくもりが私を包んだ。 「もうっ……バカ!!」   恐る恐る目を開けると、私は――お母さんに、強く抱き締められていた。 「お母さん……ずっと、探してくれてたって本当?」 「当たり前でしょうが! まったくもう、どれだけ心配したと思ってるの! このバカ娘!」 「……うん。ごめんなさい……」  涙を流しながら、お母さんにすがりつきながら、私は震える声で何度も謝った。 「ひどいこと言ってごめんなさい。心配かけてごめんなさい。ご飯残して、わがままばっかり言って……」 「……もういいから。まったくこんなに身体冷やしちゃって……ほら、帰るわよ。早くお風呂入ってあたたまりましょ」  お母さんに手を引かれ、私はおずおずと問いかける。 「私……帰っていいの?」  私の問いかけに、お母さんは驚いたように目を丸くして、すぐに震えた声で言った。 「なにばかなこと言ってるのよ! 当たり前でしょ! 引きずってでも連れ帰りますからね!」 「……うん」  いつも、お母さんを前にしたら絶対素直になんてなれなかった。  でも、今は。  素直にお母さんに甘えたいと思うじぶんがいる。たぶん、おじさんサンタのおかげだ。  あ、そうだ。すっかりおじさんサンタの存在を忘れていた。あらためてお礼を言おうと、周囲を見る。 「……って、あれ?」 「鞠? どうしたの?」 「いや……さっきまでここにサンタのコスプレしたおじさんがいたんだけど……」  クリスマスマーケットは相変わらず私たちを置き去りにしてにぎわっている。けれど、そのどこにもおじさんサンタの姿は見当たらない。 「おじさん?」と、お母さんが首を傾げる。 「仕事に戻ったんじゃないの?」 「……そうなのかな」  お礼、言いそびれちゃったなと思いながら私はマーケットの人混みを眺めた。 「鞠。行くわよ」  お母さんに呼ばれ、慌ててお母さんに駆け寄る。となりに並んで、お母さんを見上げた。 「……ねえお母さん、迎えに来てくれてありがとう」  改めて礼を呟く私に、お母さんが驚いた顔をする。 「……もういいわよ。子供の世話をするのは、親の務めなんだから。私こそ、いろいろ我慢させてごめんね。お母さん、これからもきっと、鞠に我慢させちゃうと思うけど……鞠がもっとわがまま言えるように、頑張って強くなるから」 「お母さん……」  申し訳なさそうな顔をするお母さんを見た瞬間、胸が潰れそうになった。ぶんぶんと首を振って、私はお母さんに抱きつく。 「……私も、強くなる。もうわがまま言わない」 「あら、いいのよ。鞠はもっと甘えて。子供はわがままな生き物なんだから」 「……私、お母さんの子でよかったって思ったよ」  お母さんが恥ずかしそうに笑った。 「あらあら。どういう心境の変化かしら? 今まで散々文句垂れてたくせに」 「そっ……それはそうだけど! 今はそう思ってること伝えたかったの!」 「はいはい、ありがとね」  呆れたように笑うお母さんを見ていたら、不安でいっぱいだった私の心はいつの間にかすっかり軽くなっていた。 「夜ご飯、なに食べたい?」 「夜ご飯かぁ……」  実はさっき、世話焼きのおじさんサンタから好物をもらってしまったけれど。それは内緒にしておこう。 「……焼きそば。目玉焼きと、青のりたっぷりのやつがいい」  私のリクエストに、お母さんはくすっと笑った。 「言うと思ったわ」 「それからホットココアも飲みたい。お湯じゃなくて、ミルクで溶かしたやつ」 「はいはい」  手を繋いで家路を歩いていると、どこからかベルの音が聴こえてきた。クリスマスマーケットの通りは出てもうしばらく経つのに、ほかの場所でもイベントが行われているのだろうか。  そんなことを思って空を見上げる。  その、見上げた先の空になにかを見つけた気がして、私は歩みを止めた。  目を凝らす。  立ち止まった私に気付いたお母さんが、怪訝そうに振り返る。 「鞠、どうしたの?」 「あれ……!」  空の彼方を指さす。  藍色の帳を下ろした空に浮かぶまんまるの月の前を、なにかが横切っている。  立派なツノが生えた生き物に引かれて進む、ソリのような乗り物。  その乗り物に、人影が見えた。ナイトキャップと立派なあごひげをたくわえた、おじさんのシルエットが……。
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