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(……っ)
不意に足を止めた凪が、篤人の手をクンと引く。
それに気がついて振り向いた篤人が様子を窺うと、何故かくすくすと思い出し笑いをしていた。
凪はゆっくりとアパートの方に視線を向けて、最後の姿を目に焼き付ける。
(……ありがとう。篤人と出会わせてくれて)
思い出のアパートは取り壊されてしまうけれど、凪はずっと忘れないことを誓った。
その時、春の訪れを知らせるほどに暖かいそよ風が、優しく二人の髪を撫でていく。
「ところで篤人。やっぱりあのマンション家賃高いよ」
「え⁉︎ 今日からあのマンションが俺たちの家なのに」
「そうなんだけど、贅沢だな〜って思って」
「確かに、毎日凪が家にいるなんて贅沢」
「違くて」
たわいもない会話を繰り広げながら、凪と篤人はより一層手を強く握り合って再び歩き出した。
向かう先は、今日から新居としてお世話になる例のマンション。
「家賃は気にしなくていいし、それにセキュリティがしっかりしているから俺も安心だよ」
「もう、みんなそればっか気にして」
「凪はすぐ玄関ドア開けるから」
「そのおかげで私に出会えたんですけど」
「今思えば俺で良かったよ、ほんと」
「あ、開き直ったな?」
当時は深々と頭を下げて謝罪していた篤人が、今となっては他の男じゃなくて本当に良かったと心から思っている。
それは凪も同じ考えだったから、自然と当時の怒りが薄れていった。
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