魔界

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「魔界、この世界はそう呼ばれているの。」  ヴァルプスは神妙な面持ちで話し始めた。 「遥か昔、私たちの先祖は人間の世界で暮らしていたらしいの。でも些細なことがきっかけで戦争が起こってね…。 それでこの別世界が創られたの、大悪魔の手によってね…。」 「…大悪魔?」  アミスがそう呟いたと同時に強風が窓をガタガタと揺らした。 先程までの空気は一変し、重い空気が二人の間に流れた。 「大悪魔っていうのはね…。えっと、簡単に説明すると…この世界のリーダー…みたいな方たちで…。 この魔界よりももっと下にある“悪魔界”ってとこに住んでるの。でも時々こっちの世界に来ることがあって…。 その時は町の雰囲気もなんだか暗くなって…。まぁとにかく、この世界では彼らが一番偉いの。」 「じゃあ…あの時私たちを追いかけてきたのも大悪魔?」 「いいえ、あれは悪魔よ。大悪魔の手下みたいなものね。大悪魔がいない時はあいつらがこの世界を支配してるも同然よ。」  そう言うヴァルプスの表情は不満げで暗いものだった。 アミスはあの悪魔の真っ赤な眼を思い出し、思わず身震いする。 「………人間が敵って…言ってたよね、さっき……。」 「……そう、ね。大半の魔族は人間のことを良く思っていないわ。特に悪魔は。 この世界の掟の一つに『人間を見つけたら必ず生け捕りにし、悪魔へ献上する』ってのがあって…」  その言葉にアミスは勢いよく椅子から立ち上がった。 ガタッと椅子が倒れ、机に置かれた花瓶の水が揺れる。 「待って!私はあなたを生け捕りになんてしないわ!」 「で、でも…それってつまり…この世界の人たちはみんな私を狙ってるの?」  アミスの背筋を冷や汗が伝う。 「まさか…!そんなことないわ!悪魔を良く思ってない魔族だって多いの。 人間は本当は良い人たちなんじゃないかって思い始めてる人もいるくらいだもん。」  ヴァルプスは椅子から立ち上がると、箪笥へ向かい引き出しから丸まった羊皮紙を取り出した。そして机の上にそれを大きく広げてみせた。 羊皮紙には地図が描かれていた。大きな大陸や海、森林地帯や砂漠もあった。 「うわぁ…これすっご…」 「魔法の地図よ。見てて…」  ヴァルプスが海の上に手をかざすと、空中にモニターのようなものが浮き上がった。 そこには月の浮かんだ黒い空の下、ネイビーブルーの澄み渡った広大な大海原が映し出されている。 時折波紋が広がり、遠くの方で大きな何かが飛び跳ねていた。 「何これ…!動いてる!」 「かざした場所の景色を見ることができるの!ここは海のど真ん中だから…マーマンとかマーメイドとか、ウィンディーネが住んでるとこね。」  ヴァルプスは続けて深緑の森の上に手をかざす。すると今度は暗い森林が映し出された。 そこは先ほどまでアミスが迷い込んでいた森の中だった。 「ここは私たちの町の近くよ。もっと奥にはエルフとか、フェアリーが住んでるとこがあるの。」  それからヴァルプスはアミスに向き直ると、「本題なんだけど…」と話を続ける。 「ここら辺に住んでる魔族はね、人間擁護派っていうか…悪魔が大っ嫌いな人たちばかりなの。…っていうのも、住んでる魔族の身分が低いってのもあるんだけど…。」 「…そうなの?」 「ええ。ここが私たちの町で…ここまでの範囲ね。ここら辺の決まり事で、『悪魔を見かけたら必ず死神や大人の魔法使いに報告すること。』っていうのがあってね。もし悪魔が攻撃してきたら必ず戦わずに逃げるようにしないといけないの。悪魔は凶暴だから…。」  地図を指差しながら真剣眼差しで説明するヴァルプスに、アミスは相槌を打つ。 魔界は人間の世界よりも上下関係がはっきりとしていた。身分や支配など、一般的な人間の世界では通用しない。 しかしこの世界には未だにカーストが存在し、それに苦しむ者がいるのだ。 「…なんだか、暗い話しちゃってごめんなさい。」 「ううん、大丈夫。色々知れたから…。」  ヴァルプスは重い空気を断ち切るかのように立ち上がった。 そして上を指差しながらアミスに向けて微笑んだ。 「続きは上で話しましょ!今度はあなたのこと聞かせてよ!」  中二階に続く階段を上ると、そこには大きな丸い窓があった。 月が照らし出す二階は寝室だった。大きな木製のベッドには黒猫のぬいぐるみが転がっている。 大きな本棚には分厚い本が並び、月光に照らされた机の上には沢山の本が積み重なっていた。 「素敵な家だね、ここ…。」  天井からぶら下がるシャンデリアを眺めながらアミスは呟いた。 「ふふっ、ただのボロ屋よ。」 「でもこんな家、人間の世界では見たことないよ。」  ヴァルプスはシャンデリアに杖を向けた。すると明かりが消え、部屋の中は真っ暗になる。 代わりにナイトテーブルの小さなランプを灯し、彼女はベッドに座った。 そして隣を手で叩き、アミスにベッドに座るように促した。 「でも一体、アミスはどうやってこっちの世界に来たの?」 「あぁ…そのことなんだけど…。」  アミスはヴァルプスの隣に座った。 ふかふかの布団が彼女の体を支えるようにゆっくりと沈んだ。 「自分でもあんまり覚えてなくて…。何か呪文?と紋章みたいなのを描いたんだ…たしか…。」 「呪文?うーん…この世界には呪文なんて数えきれないくらいあるからなぁ…。」  ランプの微かな光がヴァルプスの横顔を照らす。 彼女は何かを考えるかのように眉を顰めていた。 「やっぱ私一人じゃわかんないな…この質問はやめ。」  そして急にパッと明るい表情になったかと思うと、輝かせた瞳をアミスに向けた。 「じゃあじゃあ…!人間の世界ってどんなところなの?」 「………うーん…そんなに良いところじゃないかな。」  アミスは悩むように腕を組んだ。 彼女にとって人間の世界はあまり良いものではなかった。友達と呼べる存在もおらず、家族もいない。 家は狭く、学校はつまらない。楽しいことは何もなく、ただ毎日を空虚のように過ごしていた。 「…人間の世界は、つまらないとこだよ。退屈だし、楽しくない。」 「……そうなの?」  ヴァルプスはキョトンとした顔でアミスを見た。 アミスは少し俯きながら、人間の世界のことを思い出していた。 たった数時間前までいた世界。自分とは違い着飾った同級生たち。狭い部屋、たった独りの空間。 やはり良いことは何も思い出せなかった。 「…うん。」  浮かない表情でアミスは頷いた。 「…あ、ごめん…。変なこと言って…。」 「ううん、いいの。気にしないで。聞いちゃったのはこっちだし…。」  ヴァルプスは靴を脱ぎ、ベッドに横になった。 そして黒猫のぬいぐるみを退かすと、布団を捲る。 「今日は色々大変だったから疲れたよね、もう寝よっか。」  ヴァルプスはベッドの端に寄ると、空いた横に枕を寄せた。 「よかったらここで寝て。ベッドが大きいからなんとか二人で寝れそう。」 「え、でも…悪いよ。枕はひとつしかないし…。」 「大丈夫よ。私、枕なしで寝れるのが自慢なの。」  ヴァルプスは楽しそうに笑うと、「ほら早く」と隣をポンポンと叩いた。 「じゃ…じゃあ…。」  アミスがヴァルプスの隣に横たわると、彼女は布団を上から被せた。ふかふかで分厚い布団だった。 薄く使い古した自身の布団とは違う、心地良い肌触りにアミスは顔が綻んだ。 窮屈だったが決して嫌ではなかった。むしろ一人ぼっちのベッドは広く虚しい物だったのかもしれない。 森を歩き続け、空を飛び、不思議な町を歩く。そんな非日常を一気に味わいすぎた彼女の体は疲れきっていた。 (まだ信じられないや…本当にこれが現実なのか…。)  体がベッドに沈むような感覚と共に襲いかかる眠気に、アミスは目を閉じる。  そしていつの間にか安心したかのように寝息をたて始めた。
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