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「ん…ぅ…。」
瞼の裏にまで差し込む明かりにアミスは目をゆっくりと開いた。
パチパチと薪の燃える音に数人の話し声。眠気が覚めていくうちに、それらが鮮明に聞こえるようになった。
ようやく目が慣れ始め、初めに飛び込んできたのは真っ赤に燃え上がる炎だった。
「っ…?」
アミスは体を起こそうと動かすがなかなか上手く動かせずにいた。
そしてその原因に気付いた時、彼女は思わず小さな悲鳴を上げた。
「ひっ…!」
「あっ、起きた。」
アミスは両手足を頑丈な縄で縛られていた。
必死に身を捩るもそれらはびくともせず、彼女はどうすることもできない。
するとそこへとんがり帽子を被った魔法使いたちが覗き込むように彼女の元へやって来た。
その中心にはヴァルプスが立っている。
「っ…ヴァルプス!?これどういうこと!?」
「あっはははは…!人間って単純で騙されやすいのね!」
ヴァルプスは右手に持っている物をアミスに見せる。
それは大きな肉切り包丁だった。炎に照らされ鈍い光を放っているそれは所々に赤い何かが付着している。
「そっ…それ…」
「久しぶりのお肉だもの…。まずは手足を削ぎ落として…数日かけてゆっくり食べましょう。」
「良いねヴァルプス!管を刺して生き血を出そう!」
「ねぇ、爪はアクセサリーに使っても良いでしょ?」
悍ましいことを楽しそうに話している魔法使いたちを、アミスは絶望の眼差しで見ていた。
ヴァルプスはそんな彼女を見下ろしながら嘲笑している。何もかもが恐ろしい光景だった。
アミスは死に物狂いで体を動かすが立ち上がれず、ただ地面でもがくだけだった。
「ねぇアミス、人間が全員そうなのかはわからないけど。あなたって本当ダサいのね。
バカで友達も家族もいない。助けてくれる人間なんて誰もいない。独りぼっちで死んでゆく…。」
ヴァルプスはアミスの前にしゃがむと、彼女の足首を強く掴んだ。
魔法使いたちの笑い声が四方八方から飛び交い、皆が彼女を見下ろし指を差している。
「つまらない人生だったわね、あなた。」
そして大きな肉切り包丁を足首目掛け、思いきり振り下ろした。
「っ…!!」
アミスは勢いよく飛び起きた。額には汗が滲み、呼吸は酷く乱れていた。
しかし手足は縛られておらず、目の前にあったのは可愛い黒猫のぬいぐるみだった。
起きたのはベッドの上であり、先ほどの酷く恐ろしい光景などどこにもなかったのだ。
「はぁ…っ、はぁ…。……ゆ、め……か……。」
額に滲む汗を拭い、アミスはベッドから立ち上がった。
丸い窓の外には薄い紫色の空が広がっていた。あまりにも現実離れした空の色に、アミスは眠気も忘れ目を見開いた。
そしてすぐさま反対側にある中二階の手すりに身を乗り出し、一階を見下ろした。
そこにはフライパンで卵のようなものを焼いているヴァルプスの姿があった。
「あっ…ヴァ、ヴァルプス…!そら…空が!空が紫だよ!」
「あ、アミス!起きたのね!」
階段を駆け下り、アミスはヴァルプスのもとへ駆け寄った。
「そ、空が…紫…。」
「…そうだけど、それがどうかしたの?」
ヴァルプスはキョトンとしながら首を傾げている。
その様子にアミスは慌てふためいたことが恥ずかしくなったのか、そっと開いていた口を閉じた。
沈黙の中、彼女はヴァルプスが持っているフライパンの上の卵へと視線を移す。
「……焦げてる。」
「え?…あ!あ゛あぁぁぁ!!!」
火が消されたと同時に、早朝には似合わない情けない悲鳴が家中に響き渡った。
「えぇ~っ!?人間の世界の空って青いの!?」
ヴァルプスは驚愕の表情で甘いジャムの乗ったトーストを頬張った。
「それはこっちのセリフだよ、魔界の空って紫なの…?」
アミスはグラスに注がれた白いミルクのような液体を一口飲んだ。
程よい甘さと濃厚さが口の中に広がった気がした。
「基本は紫よ。場所によっては異なるけど…。でも青い空なんて見たことないわ。」
「異なるって…それ本当に空?」
「明るいのが嫌いな種族もいるものよ。例えば吸血鬼の国ね、あそこはずっと空が黒いの。」
空の皿を重ねながらヴァルプスは立ち上がった。
アミスも慌てて自身の食器を重ねると、彼女に続いてキッチンへ駆けて行く。
「私がやるよヴァルプス、昨日から沢山お世話になったし…。」
「あらいいのよ、あなたはお客さんなんだから。」
「でも少しは手伝わせて、ささやかなお礼として。」
「じゃあ…お願いしようかな。」
アミスはスポンジを片手に食器を洗い始めた。手際よく丁寧に、次々と洗ってゆく。
「わぁ…早いわね…。」
「昔よく手伝ってたの、もうこれが特技みたいなもんよ。」
全ての食器を洗った後、二人は服を着替え外へでた。
薄紫の空の下、優しいそよ風が吹いている。暖かくも寒くもない不思議な空気だった。
ヴァルプスは柵を出て、朝霧に包まれた町の中心部の方を眺めていた。
「ねぇ…本当に良いの?服借りちゃって…。」
後から出てきたアミスはチェリー色のワンピースを靡かせていた。
襟元には黒いリボンが巻かれ、金のボタンがキラキラと輝いていた。
「良いのよ服なんて沢山あるから。サイズもピッタリ、それにすごく似合ってるわよ。」
「ありがと…。」
ヴァルプスは持っていた帽子をしっかりと頭に被る。
そして懐を漁り、中から小さなバッジを取り出した。
「ねぇ、それは何?」
「校章よ、この町の学校のね。」
ヴァルプスはアミスの眼前まで手を伸ばし、彼女にバッジを見せた。
バッジは金の星を白い羽と風のような模様が囲っているようなデザインだった。
アミスは光沢のあるその模様をまじまじと見つめる。
「えっと…どうして校章なんかを…?」
「人間について詳しい人があの学校にいるからよ。」
ヴァルプスは遠くに見える鐘の塔を指差した。
「人間に…詳しい人?」
「ええ、だから色々聞けると思うの。特にあなたがこの世界に来た方法…。これには私もものすごく興味があるわ…。」
ヴァルプスは校章バッジを懐に仕舞うと、前へ一歩踏み出した。
なんだか興奮しているかのような息遣いに、彼女の後ろにいたアミスは不安になっていた。
「えっ、でもそれ…本当に会って大丈夫な人?」
前へ前へと進むヴァルプスをアミスは慌てて引き止めた。
しかし彼女の表情は自信満々そのものであった。
「安心して、そこはぜっっっったい保証する!」
「ほ、本当にぃ…?」
白い太陽のようなものが薄紫の空へ昇っている。
遠くに見えた朝霧はいつの間にか晴れ、町は徐々にその光に照らされ始めていた。
「さぁ行きましょうアミス。この町の学校、『マギア総合魔法学園』へ!」
そう叫びながらヴァルプスは吹っ切れたかのように走り出した。
その姿はまるでこれから旅にでも出るかのような冒険家である。
「ま、待ってよヴァルプス!」
アミスは彼女の背中を慌てて追いかける。
そうして二人は早朝の町中へと突っ走っていった。
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