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レンガの家が並ぶ町中は昨夜より多くの魔法使いや魔女で溢れかえっていた。
小さな子供が大きなとんがり帽子を深々と被り、猫のぬいぐるみを抱き抱え走って行った。
看板の掛けられた家では若い魔女が沢山のパンを棚に並べている。
遠くからは陽気な音楽が聞こえ、華やかな衣装を纏った魔女たちが踊っている。
老若男女の魔法使いたちが集う町に、アミスは昨夜よりも遥かに魅了されていた。
「杖はね、あの時計塔に沢山保管されてるの。」
ヴァルプスは遠くに見える大きな時計塔を指差した。
アミスは静かに時を刻む時計をじっと見つめる。
魔界も人間界と同じ、朝があり夜もある。時計には一から十二までの数字が刻まれ、三本の針がそれぞれ数字を指している。
次にアミスは町行く者たちを観察した。本に書かれていた魔法使いとはまるで真逆だ。容姿は人間とほぼ同じ、骨など身につけてはいない。
とても恐ろしい種族には見えなかった。
「ねぇヴァルプス。私も使えるようになる?…魔法。」
「んーどうだろう…。でも現にアミスはこの世界に魔法を使って来たわけだし…きっと使えるようになるわ。」
複雑な路地を歩き大通りに出れば、時計塔はすぐ目の前だった。
紫の空の下、時を刻む大きな時計塔は幻想的なものだった。アミスは真下から塔のてっぺんを見上げた。
「おっきい…。」
「この中に何万本もの杖があるの。」
ヴァルプスは時計塔の入り口を軽くノックし、扉を開けた。
中は暗く、一寸先は何も見えなかった。かろうじて外の明かりで見える床には埃が舞い上がっている。
上空から歯車の音や時計の針が動く音が聞こえ、アミスは上を覗き込んだ。
ヴァルプスは埃を手で払い退けながら、暗闇の奥の方へ呼びかけた。
「どうも、ツァイトさん…!います?」
ヴァルプスの声は暗闇に響き渡った。
しかし一向に返事はなく、あるのは舞い上がる埃のみ。アミスは彼女の後ろから暗闇の奥に目を凝らしてみた。
「…誰もいない?」
「いいえ絶対いるはず、確かここに…。」
ヴァルプスは手探りで壁に触れ何かを探り始めた。
その間もカチ…カチ…と時を刻む音が規則正しく響いている。
「あった…!」
ヴァルプスは手探りで壁にかかった紐を見つけると、それを思い切り引っ張った。
するとそこらじゅうからベルのけたたましい音が鳴り始め、アミスは思わず耳を塞いだ。
やがてその音に混ざってバタバタと何かが動く音が上の方から聞こえ始め、辺りを舞う埃の量も増えていった。
「な…何が起きてるの…っ?」
「もうすぐ来るわよ!」
アミスは耳を塞ぎながら上を向いた。
暗闇だった空間にぼんやりとオレンジの明かりが灯り始める。
「待っていたよヴァルプス、それからアミス。」
人影は低いが透き通った声が上から聞こえた。
やがて天井から丸い板のようなものが降りてくるのが見え始め、その上には人影らしきものも見えた。
次第にはっきりと見えるようになったその人影は、若い魔法使いの姿をしていた。
つばの広いとんがり帽子に、チェーンのついた丸眼鏡。まるで仙人が持っているかのような長い杖を持ち、司祭のような黒い服を身に纏っている。
「…どうして私の名前を知ってるの?」
アミスは先ほど、彼が自分の名を呼んだことを疑問に思っていた。彼とは全くの初対面である。
「学園長から連絡があったんだ。だから君が人間だということも既に知っているさ。」
「だったら呼ぶ前に出てきてくれたって良いのに…。」
ヴァルプスが不満げにそう言うと、彼は照れるように笑った。
「ははは…ごめん、ちょっとトイレ行ってたんだ…。頻尿でね。」
「ちょっと!わざわざそんなことまで言わなくて良いです…!」
暗闇だった塔の中はいつの間にか数多のランプに照らされていた。
天井に届きそうなくらい背が高く大きな棚が部屋を囲み、それらには何百もの引き出しがつけられていた。
その引き出しを見ているだけでアミスは頭が痛くなりそうだった。
「…気になるかい?」
部屋中の引き出しを見回しているアミスを見兼ね、彼は近くにあった引き出しを開けた。
そして中から一本の杖を取り出すと、それを彼女に差し出した。
「自己紹介が遅れてしまったね。僕はツァイト、時計塔の管理人でもあり杖の管理人でもある。」
アミスは恐る恐るツァイトから杖を受け取った。
赤みのある木製の杖。滑らかな肌触りで、短いものだった。
「…これ全部…杖なんですか…?」
アミスはもう一度周りに並ぶ棚を見回す。
「ああ、そうだとも。この時計塔には何千本もの杖が保管されている。彼らは皆持ち主が取りに来るのを待っているんだ…。」
「彼ら…?」
「そう、彼らさ…。君も持ってるだろう?」
ツァイトの言葉にアミスは持っている杖を見た。
しかしそれはなんの変哲もないただの杖だった。少し振ってみても何も起こらない。
「アミス。杖はね、決まった持ち主にしか本来の力を見せないの。」
ヴァルプスは自身の杖を取り出すと軽く振ってみせた。
すると仄かに杖が光り、小さな光の粒を周りに撒いた。
「そゆことさ。説明ありがとうヴァルプス。」
調子が良さそうに笑うツァイトに、ヴァルプスは冷ややかな視線を送った。
「それを説明するのがあなたの役目でしょ…。」
ヴァルプスは腕を組みながらため息をつく。
ツァイトはヘラヘラと笑いながら頭を掻くような仕草をした。
「はは…すまないね。そうだな…とりあえず、上に行こうか。」
ツァイトは杖でコツンと床を小突いた。
するとグラグラと床が揺れ始め、次第に三人の立っている場所が宙に浮き始めた。
アミスは驚き、思わずヴァルプスにしがみつく。
床はそのままエレベーターのように上昇し続け、天井を越えたところで停止した。
時計塔の二階は小さな部屋だった。
ベッドにソファ、机に小さなキッチン。何の変哲もない生活空間が広がっている。
ただ一つ違うのは、歯車の音が上から聞こえてくることだけ。
「ささ、座って!今とっても美味しいツァイトブレンドの紅茶を…!」
「良いから早く杖を!」
上機嫌でキッチンに向かうツァイトに、ヴァルプスはそう言い放った。
「えぇ~良いじゃないかヴァルプス。そうカリカリしないでさぁ。」
「あなたが紅茶作ると最低でも三十分かかるじゃないですか…!」
「だってツァイトブレンドはとっても複雑…」
「複雑だから時間がかかるんでしょ!大体ツァイトさんは…!」
何やら言い合っている二人を、アミスはソファに座り眺めていた。
先ほどよりも元気なヴァルプスの姿に、彼女は内心ホッとしていたのだ。
その視線に気付いたのか、ヴァルプスは我に返ったようにアミスと目を合わせる。
その顔は次第に紅潮し始め、彼女はツァイトを半ば強引にソファへと引っ張った。
「っ…ほ、ほら早く!早くしなさいこの頻尿ジジイ!」
「いってて…全く…」
ツァイトは髪を掻きながらソファに座った。
「じゃあまず杖について説明しよう!僕たち魔法使いは生まれたその瞬間に杖が決まると言われているんだ。
十歳になると自分の杖を持つことができるようになって、呪文も習得できるようになるんだ。」
「生まれた瞬間に…杖が決まる?」
アミスはツァイトの言葉を復唱するかのように呟いた。
「そうさ。杖はいわば第二の自分。そして自分がなるべき姿や、学ぶべきものの具現化…。」
ツァイトは対面に座る二人に見せるように、自身の杖を机に置いた。
一見何の変哲もない、でこぼことした木の杖だった。しかし所々にひび割れがあったりと、かなり使い古しているようだった。
「杖が自分に何を伝えようとしているのか理解した時、僕は見える世界が変わった気がしたんだ。」
アミスは彼が何を言っているのかさっぱりわからなかった。
それはヴァルプスも同様であり、彼女の隣でキョトンとした顔になっていた。
「…とりあえずツァイトさん、アミスの杖はどこに…?」
長々と何かを喋り続けているツァイトに、ヴァルプスは横槍を入れた。
「あぁ~…それならもう用意してあるさ。杖が教えてくれたんだ、持ち主が来るってことをね…。」
ツァイトは机の引き出しを開けると、中から長方形の小箱を取り出した。
金の装飾は所々剥がれ、全体的に古びた小箱だった。
「…これが、私の?」
「そうさ、開けてごらん?」
アミスは目の前に置かれた小箱の蓋を恐る恐る開いた。
古びた蓋はスッと簡単に開き、その下には白い布が敷き詰められている。
アミスは息を飲み込み、その布をゆっくり捲った。
そこには薄茶色の杖が一本、柔らかな布の上に置かれていた。
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