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「ねぇ。桜の色って何色だと想う?」
「ピンク? 桃色?」
「ブーー。桜色」
「何かずるいな、それは」
「だって、花の名前で色が伝わるのは世界に二つしかないんだよ薔薇色と桜色 」
「すみれ色は?」
「すみれの色は一つじゃないし」
花の命は短くて
苦しいことのみ
多かりき
桜の下にはシタイが埋まっている
願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃
この世のものとも思えない美しさを纏う桜の花は人にはどうも扱いにくいものらしい
咲き乱れ舞い散るその尋常ならざる景色を前にすると人はネガティブな言葉ばかりを口にする。
命ははかないだの死体がどうの死にたいだの。
「で、イメージカラーはピンク、いや、その桜色でいいの?」
「うん。まぁほんとは朱色というか血の色が薄っすら滲んだような桜色がいいんだけどね」
「それは流石に桜色とは言わないだろ」
「ううん、京の桜の下には数えられへんくらいの命が散ってるから京都の人間にはそう見えるんや」
一二三琴音三十一歳。
見上げる古都の青い空はあの日あの時となにもかわらないようだ
ただこの街でひとつだけその青さが異なる街があるのを琴音は知っている。
その青は青ではなく蒼だ。
今日の日もその蒼い空を見上げるあの子を琴音は想った
(祇音。。。)
私はここで何をしてるんだろう
この街には決して帰ってこないと誓ったはずなのに
「ふぅーっ」
思わず出た吐息が肩を揺らす。
今しがた終わった最終確認のミーティング。会議室にはまだ人いきれの残り香が漂っていた。
テーブルに残されたペットボトルのお茶や余った資料を片付ける若い女子のスタッフが二人。
午前中で終わるところが延びに延びて気がつけば窓からは西陽が差し込む程の時間になっていた。
「もうお昼食べてきていいよ、後は俺らがやるから」
彼が一声かけるとペコリと頭を下げその声を待ち兼ねたようにそそくさと出ていく二人。
「お腹よっぽど空いてたんだろうな」
その背中を見送りながらポツリと彼が呟く
残されたのはその彼、添野龍平と琴音の二人。
琴音は何かを思い巡らすように東山の空を見上げたまま。
そんな彼女の黄昏を見て取ったのか彼がその手を抱くように琴音の肩に絡めてくる
「何よ、慰めてくれるつもり?」
「おーこわ」
あわててホールドアップで手を離す龍平。
いつもの彼女なら小首をその胸に傾け、気の利いた言葉のひとつも囁いてみるところだけど、
今、琴音の瞳に映っているのは東山を背にした鴨川の流れ。
その流れゆく瀬音は幼い頃から慣れ親しんだ彼女の何かを呼び起こしていた。
「ここでオーディションをやりたいと言ったのはお前なんだからな」
ここは祇園木屋町通りにある鴨川辺りに面したゲストハウス。幕末の頃から続く呉服屋の町家にリフォームを施して一階は宿泊施設に二階は会議やちょっとしたイベントを開けるホールになっている。
「だから..何?。。」と琴音が言い返そうと口を開いた時、遠くでお寺の鐘がゴーンと鳴った。続けざまに一つまた一つ。そしてまたひとつ。近づいたり遠ざかったり。そんな鐘の音の連弾が京の町の時を止めるようにしばらく続く。
午後三時。各社寺のおもいおもいの時に合わせての乱れ打たれる鐘の音。
「時間みんな合わせりゃあいいのに」
言い返す言葉も忘れて琴音が笑う。
「そう言えばお寺の同級生も何人かいたっけ。まだいるのかな結婚しないで」
と琴音。
「一人娘なら大変だよな、婿どのだろ。嫁にいけないんだから」
「駆け落ちした子はいたらしいよ。同窓会で聞いたんだけど」
「よっぽど坊主するのが嫌だったんだな、彼は」
「ふふっ、それだけじゃないと思うよ。髪の毛普通に伸ばしてるお坊さんもいるし」
「でも決まってしまうんだろ坊さんになることが。ガチガチに見えてしまうもんな自分の人生が」
「私も決まってたんだけどね。ガチガチの人生・・・」
「そのガチガチの人生を変えたのが俺ってことか」
添野龍平、38歳。北欧はフィンランド系のクォーターで淡いブルーの瞳を持ち、少しブロンドがかった長髪をいつも後ろに束ねてる。
Sosweet ミュージックエンターテイメント、プロデューサー。
10代の頃にアイドルとしてデビューしてその後ミュージシャンとして活躍。
今では数々のアーティストに楽曲を提供する音楽家で様々なミュージックシーンを彩る邦楽界有数のクリエイターである。
そして彼は琴音の初めての男でもある。それもただ一回こっきりの。
今でも彼は祇音が自分の娘だと信じて止まない。
彼女が何度否定しようが彼にはどうにも聞こえないらしい。
「聞いて良いかな?」
「うん?」
「怒らない?」
「質問による」
「だよね・・。まぁ言いにくいんだけど」
「じゃあ黙って。言わなくていいから」
「・・・。彼女の瞳ってやっぱりブルーなのかな」
「・・・・・」
そんな訳はない。
確かに私は同じ時期に二人の男に抱かれはした。
15で何も持たず何もわからず飛び出した世界は冷たくて寂しくてせつなくて
そして何よりひもじくて。粉雪舞い散る鴨川辺りで唇を噛みながら寒さと空腹に震えた。
気がつけばなけなしのお金で飛び乗った新幹線は何故か東京を目指してた。
それは財布の中のポイントカード類に紛れてその存在を主張していた
鈍く光る純銀製の名刺を見つけたから。
Ryuhei 。
と表には浮かび上がるようにキラキラと光るその文字だけがあった。
裏には電話番号と見られる数字が並んでる。
(まっ、僕にできることがあったら電話して)
マネージャーも伴わずお忍びで一二三に来た彼は母の目を盗んでその名刺をそっと私の襟元に挟んだ、耳元にそんな囁く言葉を残して。
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