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佐伯さんはにっこりと微笑んで言った。
「そんなことはありません。ただ、別の部署に移ってもらう場合があります。解雇は余程の理由がない限り、致しません」
確かに契約書にも、そのような文言が付されていた。
「そう言えば、真中さんは化粧品会社にお勤めでしたね。わたしは門外漢なのでわかりませんが、メイクの勉強もなさるのでしょう?」
「はい」
「なら、萎れた表情のメイクなどもお手のものではないですか?」
佐伯さんは試すように訊いた。
「まあ、いろいろなメイクを勉強しました」
「なら、培ってきたメイク術を使って、萎れた表情でうそ泣きできれば、申し分ないです。ご自身に自信を持ってください」
佐伯さんは琴子の不安と緊張をほぐしてくれた。まさに、佐伯さんがいれば鬼に金棒である。
「それではリラックスしてくださいね」
カメラを設置し終えた佐伯さんは次に一枚のA4用紙を琴子に手渡した。
「真中さんはある患者に薬液の投与を過剰に行い、患者を死なせてしまった看護師になりきってもらいます」
その紙には謝罪の台詞が書かれていた。
なんだか、劇団の稽古場みたいな感じがして、おかしな気分にもなる。
「当惑なさるのも無理はありません。わたしも入社したての頃、真中さんと同じ気持ちになりましたから。ふつうの派遣会社では、決してこのようなテストはしませんからね」
そうか。佐伯さんも人事課に移る前は派遣社員だったのだ。考えてみれば、同族会社以外は社長も始めは皆、平社員からだ。
「さあ、気を取り直して、泣きましょう」
この台詞には、琴子も笑ってしまった。
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