remember~冬の甲子園~

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 ――北潮高校、ノックを行って下さい。時間は五分です。  阪神甲子園球場にサイレンとアナウンスが響き渡った。「うわぁ」とか「すげぇ」とか。あるいは「うほー」とか「ひゃっほー」だとか。歓声を上げた選手達がグラウンド内の守備位置へ跳ぶように駆け広がって行く。  毎年に年二回、三月と八月――春と夏の甲子園の試合前に行われるシートノックの光景。だが今、季節は春でもなければ夏でもなく、守備位置に散った選手達も厳密に言うなら、高校球児ではなかった。  北潮高校野球部背番号十番、三沢浩介もまた久しぶりにグラブを手に持って、甲子園球場の土の上を走った。浩介の二年上の先輩達は実際に甲子園に出場しており、甲子園の土や芝生の感触を――当時ライトのレギュラーだった先輩はこっそり芝をむしって食べことがあるそうで、彼に可愛がってもらっていた浩介は口に入れた時の食感や味までもを――話に聞いてはいたけれど、実際にスパイクを履いた己の脚で、この場所に立ったのは生まれて初めてのことだった。 甲子園にやってきたのは人生二度目だが、高一の夏は、スタンドから先輩の応援をしただけだった。初めて球場の中から憧れの甲子園の空を仰ぎ見る。吐く息が白い。頭上に広がるのは春の澄んだ空ではなく、真夏の灼熱の太陽でもなかった。それもそのはずで、今日は十一月三十日。世間的見て立派な冬であり――北潮高校のある北海道なんて、浩介が昨日、新千歳空港発神戸行きのスカイマークに乗った時には、地面には真っ白な雪が降り積もっていた。  雪景色の北海道ほどではないにしろ、もうすぐ十二月の兵庫県西宮市を吹く風も結構寒い。バックスクリーンには白い画面に「あの夏を取り戻せ」の八文字。他の七文字は黒文字で「夏」だけが赤く色づいているのがなかなか洒落ている。春の選抜大会でもなければ夏の選手権でもない。それは新型コロナウィルスの影響で中止になった二〇二〇年夏の甲子園を取り戻そうと元高校球児が発案した、元高校球児による元高校球児の為の独自プロジェクトだった。  ――あの夏を取り戻せ。  甲子園のバックスクリーンに浮かんだ八文字を見つめながら、北潮高校野球部監督・松原保はノックを打っていた。  北潮高校は高校野球界ではいわずと知れた南北海道の超名門校であり、夏の甲子園全国最多出場回数を誇る。二〇一六年の夏の大会では準優勝し、昨年、二〇二二年の夏もベスト十六に勝ち進んでいる。札幌ドームで行われた今秋の全道大会でも優勝したから、不祥事でも起こさない限り、来春の選抜出場はほぼ確定だ。現役の高校野球部監督の中で、松原は甲子園に多く出ている方だろう。だけど今、甲子園でノックを打つのがものすごく久しぶりだと感じる。何故ならノックを打つ相手がものすごく久しぶりの相手――三年前の夏、南北海道独自大会で優勝しながら甲子園へ行くことできず、不完全燃焼のまま引退させてしまったあの夏の三年生達だったからだ。  背番号一番の佐藤隆志と背番号二番・山本瑞樹の幼馴染バッテリーは今も仲が良いようで、昨年夏の南北海道大会決勝戦にも二人そろって応援に来てくれた。他にも、野球強豪大学に進学した選手や、社会人チームに進んだ選手達とは卒業後も交流が続いていたのだが、背番号十番・当時キャプテンだった三沢浩介とだけは、あの夏の翌年、二〇二一年以降、まったく音信が途絶えていた。  ――よかった、三沢。お前も来てくれたんだな。  北潮高校を卒業後、推薦で関東の大学に入学した三沢は翌年の夏、大学を中退して北海道に帰って来た。北海道から本州の大学に進学して、どうしても馴染めずに帰ってきてしまう生徒は、それほど珍しくはない。元キャプテンの為、入り直しのできる大学や、社会人野球のチームを見繕っていた松原を三沢は頼らなかった。厳格な両親に中退を責められ罵られ、スポーツバッグ一つ持って実家を出たまま音信不通となってしまった……という話を聞いた時には、こちらから行動すべきだったと後悔したが、その時には既に、連絡の取りようがなくなってしまっていた。  今日、あの夏の三年生十七人が高校時代のユニフォームを着て、北潮高校のプラカードを持って行進し、甲子園球場で整列した。今日この日は、彼らの多くとって最初で最後の甲子園のグラウンドである。二〇二〇年夏の代替大会優勝校を集めた独自プロジェクトが開催されると聞いて、松原は一も二もなく、自らも甲子園に向かうことを決めた。松原だけでなく、他に何人もの監督が球場にやって来て、かつての選手達に向けて三年ぶりのノックを打っている。甲子園の消えた夏を知るすべての監督にとって、あの年の三年生はどうしても忘れられない特別な世代なのだ。 「――やべぇ、すげぇ、マジ、甲子園、サイコー!」  ノックを打つ松原のすぐ側で、背番号二番、三年前の正捕手であった山本瑞樹が奇声を発している。マスク越しでも目が爛々と輝いて、顔全体が締まりなく緩んでいるのがわかる。高校時代の山本はどちらかと言えば寡黙で、闘志を内に秘めるタイプだったはずだが、性格が豹変している。 「うるさいぞ、瑞樹、少し黙れ。……なあ、お前、そういうキャラだったか?」 「監督、知らなかったんすか?人って変わるんすよ。ナイスボール!ナイスバックホーム、いいよ、セカン!」 「……いや、変わるのは別に構わないんだが、悪い方には変わらないでくれよ」  高校卒業後、岩見沢の教育大に進学した山本は準硬式野球部に所属する現役選手なので、身体つきは逞しく引き締まっている。だが髪は茶色に染めているし、今は外しているが耳たぶにはピアスの穴が空いているし――北潮高校野球部員の面影はすっかり消えてなくなってしまった。  各校に割り当てられたノックの時間は五分間で、通常の試合前のノックの七分間より二分も短い。ものすごく名残惜しい気はするのだが、ベンチ前では次の高校の元球児達が、自分達の順番を今か今かと待ちわびている。それにこの後は甲子園のグラウンドで、代替大会優勝校同士の交流試合が予定されている。松原はベンチに入って三年ぶりに、彼らと野球の試合に挑むのだ。  シートノックの締めは、キャッチャーフライである。白い息を弾ませて内野に集まった元選手達に見守られながら、背番号二番が右手の拳でグラブを叩いた。ぱしりと小気味のよい音がする。すっかりチャラくなった二十一歳の大学生の相貌に、かつての寡黙な高校球児の面影が過る。 「――監督、最高のキャッチャーフライ、頼みます!」 「おう!」  凍てつく冬の青空に、ボールがほとんど垂直に打ちあがった。 高校野球の監督に就任して十三年。甲子園に春三回、夏五回出場し、最高成績は夏の甲子園準優勝。これまで数限りなく打った甲子園ノックの中で、我ながら最高のキャッキャーフライだと松原は思った。
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