remember~冬の甲子園~

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「……浩介、久しぶり」  シートノックを終えてベンチ前に戻ってきた時、背後からおずおずと声をかけられた。  振り返らなくとも相手が誰であるかはわかった。当然だ。小学校二年から高校三年まで同じチームでプレイをしていた幼馴染にて親友の橋下貢の声だったからだ。  高校卒業後、本州の大学に進学した浩介が心身のバランスを崩し、体重が七キロ減って寮の部屋から出られなくなった時、両親は長男を「育て方を間違えた」と断罪し、ゴールデンウィークと夏休みと正月以外は――普通の大学生が普通に帰省する時期以外は帰って来るなとのたまった。小遣いとバイト代をはたいて飛行機に乗ってやってきて、強引に北海道まで連れ帰ってくれたのは、背番号五番・あの夏サードのレギュラーだった橋下だけだった。  よほど本州の水が合わなかったのか、北海道に帰って間もなく体調は回復したものの、夫婦共に教員で、不登校も引きこもりもすべて自己責任、親の教育が悪いのだと公言してはばからない両親が、大学を中退した長男を受け入れるはずもなかった。そんなに世間の目が大事なら出ていってやる。そのうち野垂れ死にした倅が化けて出るからな……と半ば自殺気分で家を飛び出した後、農業バイトで滞在した日高の町の牧場主に気に入られて、馬を育て、野菜を育てて暮らしながら、もう二年あまりになる。我ながら随分、モラトリアムな時間を過ごしたものだと感心している。 「お前、今、日高で馬を育ててるんだって?元気そうで、ほっとしたよ」 「ああ……まあな」  人生で一番辛い時期に、ただ一人だけ味方でいてくれた幼馴染。その幼馴染に対して浩介は自から背を向けて連絡を絶った。野球推薦で入った大学から逃げ出した以上、もはや自分に野球選手としての道が残されていないことは自覚していた。あの頃の浩介は、二部とはいえ野球に力を入れている私立大学で、中心選手として活躍している友を見ているのが辛かったのだ。  公式記録には残らないし、優勝旗を学校に持って帰ることもなかったが、二〇二〇年南北海道大会の優勝校は北潮高校である。実行委員会は当初、主将であった浩介に連絡を取ろうとしたらしいのだが、消息が掴めず、副主将だった橋下に声をかけてきた。そしてその話を、橋下はそのままそっくり浩介に丸投げしてきた。独自大会優勝後に野球部を引退し、キャプテンの役割も後輩の菱田和人に引き継いでいる。それなのに気づいた時には、まるで今なお彼らのキャプテンであるかのように、運営と連絡を取り合って、集合場所や時間を調整して――交流試合の組み合わせ抽選のクジまで引いてしまった。 「キャプテン、久しぶり」 「やっぱ、お前がおれ達のキャプテンだよな」 「試合でも頼んだぞ、キャプテン!」  今日、久しぶりに――三年ぶりに再会したかつての仲間達は、一度は諦めた憧れの甲子園の土を踏んで、いささか頭のネジが緩んでいる。彼らとてかつてのキャプテンが大学を中退して行方不明になっていたことは知っているはずなのだが、そのことに触れるものは一人もいなかった。旧交を温めている元球児達の輪の中に、ユニフォームにウィンドブレーカー姿の中年男性が、ゆっくりと入ってきた。先ほどまでグラウンドでノックを打っていた北潮高校野球部監督その人である。 「三沢、さすがのクジ運だな。――やっぱり、お前をキャプテンに選んだ俺の見る目に狂いはなかった」  ――俺は悔しい。お前らだって悔しいだろう?俺たちはてっぺん取ったんだ。なのに何で俺たちが甲子園に行けないんだよ!  三年前、恨みや辛さを口に出すことさえ許されず、ただ黙って耐えることだけを押しつけられた浩介達の眼前で、監督は本気で涙を流して怒ってくれた。独自大会が開かれなかった時の為に、松原が北海道内の他の強豪校との勝ち抜き試合を画策していたと知ったのは、野球部を引退した後になってのことだった。 「――松原監督。ご無沙汰しています」  入場行進とシートノックは出場四十五校すべてが甲子園で行うが、金銭的にも日程的にも、甲子園球場を何日も借りることはできなかったらしい。本日甲子園で行われる交流試合はわずか二試合のみ。浩介は出場四十五校中、わずか四校だけの当たりクジを見事に引き当てたのだ。  確かに浩介は昔からクジ運がよく、主将になった直後の二〇一九年秋の全道大会も、そして二〇二〇年夏の独自大会も、比較的与しやすい対戦相手を引いて来た。ちなみに三年前も今も背番号は十番――野球の実力ではなく、人柄で選ばれたタイプのキャプテンである。とはいえ伝統ある北潮高校野球部でベンチ入りしていたわけだし、ちょこちょこ試合にも出ていたのでそれなりに実力も認められていると思っていたのだが、まさか全面的にクジ運のみを評価されていたとは。  ――ずっとずっと、運が悪かったのだと思っていた。  三年前、新型コロナウィルスが流行して、戦後初めて春夏の甲子園がなくなったのは、決して、浩介達の世代の努力や辛抱が足りなかったからではない。進学した大学の野球部に陰険な先輩が揃っていて、スパイクを捨てられたり、ユニフォームを焼却炉で燃やされたり――あげくの果てに複数の先輩に羽交い絞めにされて下着を下され、ライターで陰毛に火をつけられて悲鳴を上げる姿をスマホで撮影されたりしたのも――事前のリサーチが甘かった面はあったにしろ、やはり運が悪かったとしか言いようがない。  正直なところ、悲惨で陰惨な大学生活も先輩達が卒業するまでの期間限定とわかっていたので、耐えて忍べないほどではなかった。親の言う通り、大学中退と卒業では世の中の見る目がまるで違うということも知っている。だけどあの頃、努力して我慢して踏ん張って、その果てにあるはずの甲子園という夢を奪われた直後の浩介には、我慢して耐えることの意味が、どうしても見いだせなかったのだった。 「橋下、あのさ」 「うん?」 「俺が今、育ててるの、馬だけじゃないんだ」  ノックの間はスポーツバックにしまってあったスマートフォンを取り出して、ロックを解除して画面をスクロールする。型落ちのアンドロイドの待ち受け画面には綺麗な黒髪をボブカットに切りそろえた若い女性が、赤ん坊と一緒に映っている。二人とも撮影者を――浩介を全面的に信頼した満面の笑顔だ。 「妻と息子。去年結婚して、今年、子どもが生まれたんだ。今日もスタンドに来てるから――試合の後で紹介する」 「……え?えええ……えーっ?」  半分自殺気分で流れ着いた町で、牧場主夫妻の一人娘と恋に落ちて、昨年、二十歳になるのと同時に籍を入れた。今年、町立病院の産婦人科で立ち合い出産をして、無事に息子がこの世に産まれてくれた時は涙が止まらなかった。立派な親になれるなんて思っていないし、なろうとも思っていないが、この先、息子が人生の困難にぶち当たった時には、何があろうと彼の味方でいようと、固く心に決めている。  そうこうしているうちにノックが終わり、各校の元球児達による整備を終えたグラウンドに、審判達が姿を見せていた。今日の甲子園は無料で解放されていて、選手の保護者や家族だけでなく、一般の観客もまた思い思いに冬の甲子園を楽しんでいる。応援席のブランスバンドもまた、新型コロナによって舞台を奪わられた元吹奏楽部員からなる有志だそうで、開会式の行進の際には、実際の甲子園の開会式と変わらぬ素晴らしい演奏を聞かせてくれた。 「三年ぶりの試合だ。お前ら、思う存分楽しんで――今日は絶対勝つぞ!」  ベンチの中から監督が選手達に激を飛ばす。三年前、観客もブランスバンドも全校応援もない円山球場でそうしたように、おう!と勇ましい声を響かせて、元球児が全速力で甲子園のグラウンドに向けて駆けて行く。  両校挨拶を終えると同時に、北潮高校ナインはそれぞれの守備位置へと散った。背番号一番・エースの佐藤隆志がマウンドに上がり、スパイクで丹念に土を均している。投球練習が終わり、審判の手が上がってプレイボールがかかる。甲子園球場全体に、試合開始を告げるサイレンが鳴り響く。対戦相手の長野の高校の一番打者が、グラウンドと審判に一礼し、左バッターボックスに入ってバットを構えていた。  ――二〇二〇年夏の甲子園開幕ゲーム。南北海道代表・北潮高校対長野代表・長野聖長高校の一戦。マウンド上には北潮高校のエース佐藤。バッターボックスには聖長高校トップバッター川岸。ノーワインドアップモーションから佐藤の脚が上がって、投げた、スライダー、ストライク。カウントノーボール、ワンスストライク。  三年間、止まっていた時間が動き始めた。
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