9 蝶と狼、見つめあう。

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9 蝶と狼、見つめあう。

                 ひと際由緒正しく、またひと際美しい者を…そう条件したジャスル様に見初められたのが、そう…五蝶一族、十二番目のご子息の、ユンファ殿である。  しかし…ユンファ殿は、他の蝶族たちとは違って何か、お一人だけ()()であった。――いや、それは彼ご本人が異質であったというよりも、…()()()()()()()、というべきだろうか。    ひと際由緒正しく、ひと際に美しい者を娶りたい、というジャスル様の要求を呑んだ、蝶族の長リベッグヤ殿は、「ならばちょうど、うってつけな者が一人おります」とおもむろに立ち上がり――昼の、春のような陽気のなか、ジャスル様を()()()()()へと案内した。  また俺も――ジャスル様の護衛であるため――、その人らのあとを着いて行ったのだ。      そしてジャスル様、と…おまけ程度の俺が、リベッグヤ殿に案内されたのは――。      あの本家と思われる平屋からは隔離された、やや陰って石畳も苔むした裏庭の、そこの隅のほうに建つ、一軒の小さな小屋であった。――その独立している小屋は縁側に囲われ、広さは八畳ほどしかなく一部屋、ただその部屋とは別におそらく、風呂場や(かわや)なんかは付属していた(木板に囲われた部分があった)。    そして、何より()()であったのは――その小屋の縁側の内側、四方に木製の()()()()()()()()のだ。  またちなみに、どうやら格子の内側からその四方、(ふすま)を閉めることができるようだった。    つまり、まるで囚人のように――ユンファ殿は、その格子付きの小屋に閉じ込められていた、らしいのである。    ただ、だからといって、なぜか、そうして腫れ物扱いを受けていたユンファ殿を(てい)よく押し付けられ、ちょうどよいからと厄介払いされたのかというと、そればかりでもなかったように俺は思う。  確かにリベッグヤ殿には、その思惑も一部あったような気はしているが、しかしその人――五蝶一族の血統であるユンファ殿は、事実、ひと際に美しい人であった。    よくよく見れば男らしい鋭利さを持ってはいたのだ、しかし、パッと見は怜悧そうな女人にも見えなくはない、そうした艶っぽい魅力のあるお方である。――いや、しげしげと見ればそう女人と見紛うことなどまずないが、どこか女人めいた、しっとりとしたところもあるお人なのだ。  ほっそりと痩せたお体、雪のように白い肌を持ち、ふっくらとした形の良い唇は赤く、絹のように艶美な黒髪は、腰までまっすぐに伸ばされていた。――ユンファ殿は俺たちが来るまで、格子に囲われたその小屋の中央の床に座り、何か本を読まれていたようだ。  ちなみに、このとき彼は白に、紺の蝶が舞う模様の浴衣を着ていた。…口布もしていなかったが、俺たち来客があったと見るなり慌てて、ユンファ殿は近くに置いていた、あの薄紫色の口布を着けた。   「…ユンファ…こちらへ」    リベッグヤ殿にそう手招かれるとユンファ殿は、「はい、兄上」と何か状況が飲み込めていない様子で目を白黒させながらも、格子のすぐ側までやってきた。――とても美しい顔に、雪白の肌をしていながら、意外にも背はすっと高い人である。…それに、その声も軽やかながらしっかりと低い、男の声をしていた。  ただ彼は、縁側に立つ俺たちの前、格子越しその場に正座し、チラリ、チラリとジャスル様と俺をそれぞれ、その薄紫色の瞳で一瞥してから、…目の前に立つリベッグヤ殿を見るでもなく、その小さな顔を俯かせた。   「…お前に縁談の申し出が来たぞ。」   「………、…」    しかし、そうリベッグヤ殿に言われた瞬間――ユンファ殿は、え、と驚いたように目を開き、顔を上げ…それから…チラリと俺のことを見上げた。  そうして、俺をじっと見上げてくるユンファ殿の、その透き通った薄紫色の瞳は、なかば不安げでありながら――なかば、なぜか…期待したようでもあった。   「…………」   「…………」    すると俺たちは自然、見つめ合うような格好となってしまった。  しかし本当なら、俺はジャスル様の護衛という身分をよくよくわきまえ、それとなくその人から目を逸らすべきであった。――だが…彼の、そのあまりにも美しい薄紫色の瞳にじっと見つめられてしまうと…魅入り、その瞳から目を逸らすことさえ、俺は、このときすっかり失念していたのだ。    正直――確かにお美しい方だ、と一目で思った。  黒々としたまつ毛の長い、切れ長のすっきりとした白いまぶた、透き通ったあわい紫色の瞳はどこか儚げに見え、しかしその凛とした、凛々しくも繊細な眉は、何となし高潔そうな印象もあった。――鼻の中央から口元を覆う、その薄紫色の半透明の布、その下にある鼻は高く、鼻筋がすっと眉間から通り、ふくよかな唇は赤く、ぷっくりと妖艶だ。  すっきりとした輪郭に、艶めかしいうりざね顔――たおやかな長い髪は真っ黒で、その雪白の肌を際立たせ、とても艶っぽく見せていた。    長めの華奢な首、白い浴衣の(えり)元から覗く、くっきりとした白い鎖骨――平たい胸、しゃんと伸びたまっすぐな背、脚も長かった。正座をしていても、まるで牡丹のように優美な佇まいである。   「…………」   「………、…」    なぜか、このユンファ殿のお姿を見ていると、いや、彼の透き通った薄紫色の、その美しい瞳を見つめていると、俺の頭の中にふっと浮かんできた――狼の里に伝わるお伽噺(とぎばなし)の、この一節。     『 狼と蝶、見つめあう。  ただそれだけで、蝶と狼、つがいあう。    神が認めた蝶と狼、離れられない蝶と狼、運命(さだめ)の決まった蝶と狼、永久(とわ)のつがいの蝶と狼――強く惹かれて蝶と狼、僕らはもう、永恋(えいれん)のつがい。 』   「…………」   「…………」    馬鹿げた、話である――。  …俺の目をじっと見つめてくるユンファ殿は、その半透明の口布の下――少しばかり、その赤い唇の端を上げた。    しかし、おそらくこのときの彼は、酷い()()()をしてしまったようなのだ。――俺が、自分に縁談を持ちかけた男だ、などと。    いや、それも無理はないか。  見るからに自分より二周り以上も年上の、ハゲ頭の太った中年男と、もう一方は年若き男の俺。  その二人が並んで立っていたら、そりゃあ誰だって、ユンファ殿のみならず誰だって、中年男よりいくらも若い、もっといえば、同年代らしき俺との縁談だと思うものだろう。――そうユンファ殿が勘違いしてしまったことに関しては、正直なんら無理はない。…似てはいないが…さながらこのときのジャスル様は、俺の父だとでも思われていたに違いないのだ。    しかし事実――この中年のジャスル様こそが、このうら若きユンファ殿を娶ろうか、とこの小屋へ顔を出したお人であり、…一方の、年若き男の俺はというと、その人の側近でしかないのだ。  どれほどの時間、俺たちは見つめあってしまったのだろうか。――俺としては長いこと、その薄紫色の瞳と見つめあっていたような感覚がしたが、…実際にはそれほど長い時間ではなかったのかもしれない。  俺の目を、ただじっと見つめてくるユンファ殿の、その人の勘違いを察していたのは――リベッグヤ殿、そしてジャスル様もまた、みなが察していたようだ。    リベッグヤ殿は、そんなユンファ殿へと冷ややかに、こう言った。   「…ユンファよ。恥ずかしい勘違いするな、その方ではない。お前を見に来たのはこちら、ジャスル・ヌン・モンス殿だ。――ノージェスという、遥か遠い大国からいらしたお方で、もしこれでお前を気に入ったなら、ぜひ側室にと申されておる。」   「…ほほほ…これは()()()()といって、ワシの護衛だよ。残念ながらこれには、妻もおるのでな。」   「…はっ」    俺は主人たるジャスル様に我が名(ソンジュ)を示され、太ももの側面に両手を着けて軽く、ユンファ殿へ頭を下げて見せた。   「……、……」    そして、一方のユンファ殿はというと…そう二人に言われてはおもむろに俺から目線を転じ、虚ろに、その綺麗な薄紫色の瞳を翳らせて、ジャスル様を見やった。――その目が複雑そうに曇ったのは、リベッグヤ殿の手でも指し示されたのが俺ではなく、俺のやや前にいる、太った中年男のジャスル様であったからだろう。        
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