108 この愛の証しに

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108 この愛の証しに

                 あの小鳥たちには負けていられぬ。  俺にだってあるいは――ユンファ様にささやかな喜びを、そっと贈ることはできるんじゃないか。    俺がそう思い立ったのは、一体いつのことだったか。  なかばやきもちに近かったのか、はたまたあの小鳥たちに奮起させられたのか――しかし結果から言って、あの小鳥のつがいのほかにもう一つ、ユンファ様が少しだけ、微笑んでくださるときがある。    それは――俺が、朝から昼過ぎまでの暇の時間から、またユンファ様のお側に…すなわち、彼の部屋へと戻るとき。――俺はその前に、ユンファ様の部屋へと戻る前に近頃、せめてもの慰めに――彼へ、花なんかを持って帰るのだ。    しかしその花は、決して大したものではない。  道端に咲いている小さな花だ。…花屋に行って、立派な花を贈ってやりたいとも思うのだが――それをしてしまえば、ユンファ様がジャスル様に、また何を言われるか。  ましてや、あれほど身を呈して俺とのことを否定し、俺のことを守ってくださったユンファ様のそのお心を、無碍にすることはできぬ。    であるから、俺がいつも持ち帰る花というのは――ただ道端に、雑草のように咲いている花か、あるいは綺麗に色付いた木の葉、落ちていた赤い実、どんぐり…――そんな、子どものような些細な贈り物だ。    そして、ユンファ様が眠りから覚め、ぼんやりと寝台に座っているとき…――俺は意を決して、彼に歩み寄る。   「…………」   「…ユンファ様、今日もちょっとした贈り物がございます」    俺が微笑んで、その人の足下に片膝を着いて座れども、ユンファ様は俺のことを見るでもなく、ただ虚ろな無表情で俯いている。――いつもそうだが――性懲りもなく俺が、「どうぞ、お納めくださいませ」…そっと摘んできたその花を差し出すと、ユンファ様は。   「……、…」    ちらりとその小さな花を見て――何も言わず、おずおずと震えている白い手の指先でちょんと、その小花を受け取ってくださる。…そして彼は、   「………ふ…」    その花を愛おしそうに見下ろして、ほんの少し、ほんのわずかばかりだけでも、微笑んでくださるのだ。   「……これは…何という花…?」   「……これは……」    またこうして、極まれに俺と言葉を交わすときもある。  あまりにも小さな声だが、そうしてユンファ様に話しかけられると、俺は舞い上がりそうなほど嬉しくなる。…が、と、同時に――摘んでくる花やらの種類は、ときどきに違うので、困ってしまうときもある。  俺は、そう花には詳しくないのだ。…もっと花に詳しければ、もっとユンファ様と話す機会もあったかと思うと非常に悔しいのだが、…しかし嘘を言うわけにもゆかず、わからない、と言うときもあれば。   「これは…シロツメクサという花です」――というように、こう答えられるときもある。   「……、そう、シロツメクサ…? 凄く可愛いね…、ありがとう……」    するとユンファ様は、少しだけ目を輝かせてくれる。  あの夜に俺と語らったときと、同じ無垢な目をしてくださるのだ。――ユンファ様はきっと、ただ道端によく咲いているシロツメクサすらも見たことがなかったのだろう。…どこにでも咲いているような、その小花たった一輪に、彼は喜んでくださるのだ。  ただ、俺と話をしてくださるのも、そうして目をきらりとさせてくださるのも、この瞬間だけなのだ。    それに、やっぱり俺と目を合わせてはくれぬ。  しかしユンファ様は、大事そうにその花の匂いを嗅いでみたり、花びらを指先で撫でてみたり――無表情も、どこかやわらかな表情になっているような気もする――そのときのユンファ様の表情は、神聖なる慈しみの表情であり、…とても、本当にとてもお美しい。    俺は、そうしているユンファ様の足下に跪いたままで、毎回こう彼に言う。   「…この愛の(しる)しに、貴方様が微笑む花々を、俺はいくらでも摘んできてあげよう…。少しだけでも笑っておくれ、俺のてふてふ…。綺麗で可愛い貴方様の声、どうか少しでも笑っておくれ…、そうしたら俺は、幸いだ」   「…………」    ユンファ様はやはり、それでも何も言わず、それでも俺のことを見てはくださらない。――ただじわりと、花を見つめているその薄紫色の瞳を少しばかり、潤ませるだけだ。    だが…俺は知っている。ユンファ様は、俺が贈った小花たちを捨てられないでいるのだ。――彼はおそらく、こっそり、俺に隠れてそれをやっているつもりなのだろうが。    ユンファ様は、俺が贈った花はすべて本の間に挟んで押し花にしてから、すべて大切そうに、寝台横の机の引き出しにしまっている。――また、ときおりその引き出しを開けて、ただそれをしげしげと眺めているときがあるのだ。      そして俺は――その人の、その愛おしい姿を、この部屋の扉の前で、ただ眺めているだけだ。   「…………」   「…………」    すると俺はいつも、もういいだろう、と言いたくなる。        俺に、自分を連れ去ってくれと言ってほしい。        もう疲れたと――もう、限界だと。        もうよいのだと、どうか彼に言ってほしい。        なあ、俺のユンファよ…――そろそろ本当に、もう二人で逃げ出さないか。…もう俺たち、どうせなら自由にならないか。      あと残り幾ばくかの命――貴方様は本当に、こんな狭苦しく陰湿な籠の中で、息絶えたいというのか。        
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