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116 一夜の夢の、その続き
ユンファ様は、俺のことを見てはくださらぬ。
ただどこか下方を、ぼんやりと虚ろに眺めている。
「…せめてソンジュだけでも、自由にしてやれたらよいのに……」
「…………」
彼は口の中で「ごめんね」と俺へ謝り、そっとその切れ長のまぶたを閉ざした。
「…いつも心苦しかったんだ…。僕は、小さなころからあの部屋に閉じ込められていたから、こんな生活には慣れているが…――ソンジュは、何も此処に縛られる必要なんかないだろうに、と…せめて君だけでも、自由になれる方法はないんだろうか、と……」
「…………」
ユンファ様はす…と薄く切れ長のまぶたを開く。
「…此処に縛られているということは、僕に縛られているということでもある…――あるいは冷たくしたら、ソンジュも僕のことを見限り、諦めて…君はこの場を去るんじゃないか…。残った情すらも尽き果てれば、僕に愛想が尽きてくれれば、僕の呪縛から、君を開放できるんじゃないか……」
「…………」
俺はユンファ様の手の甲に手のひらを重ねたまま、その人の肩をそっと抱いた。――彼はやはり伏し目がちなまま、小さな声で言葉を継ぐ。
「そのように、考えていた…、僕の側にいても、ソンジュはきっと幸せにはなれない…、それに……」
俺へと振り返ったユンファ様、じゅわりとその薄紫色の瞳の真ん中、黒い瞳孔の奥に、熱い同情を滲ませる。
「…僕はもう、あといくらも生きられない…。ならば、ソンジュだけでも自由になるべきだ。――だって…共に逃げたところで、仮に逃げ切れたとしても、僕が君と過ごせる時間は、もう……」
「…そうだとしても…俺は、ならばせめて、残りの時間は二人きり、共に過ごしたいと考えております。――ユンファ様のお命が尽き果てるその瞬間まで、俺は絶対に、貴方様のお側に居たいのです」
俺はユンファ様の瞳を見つめながら、真剣に言葉を紡いでゆく。
「…逃げ出すならば、ユンファ様…――どうか、共に。もう貴方様のことを、まさか見捨てることなどできませぬ。俺は貴方様を、唯一無二のつがいとして、認めてしまったのですから……俺はいつでも、お望みならば貴方様をいつでも、この籠から攫いましょう。」
「………、…」
じゅわり…瑞々しく、ユンファ様の白い頬に血が透けて、ほんのりと桃色に色付いた。――しかしその人の目は、やはり…逃げよう、という俺の言葉を肯定的には捉えておらず、ふっと伏せられた。
「…僕はこんな身じゃ、ソンジュのものには、もうなれないとはやはり思うんだ…――まだ君の中に、僕が居たことは本当に幸いだけれど……きっと、僕とでは本当の意味で、ソンジュを幸せにすることはできない…、しかし……」
ユンファ様はそこで、ふっと笑みを浮かべながら俺に振り返り、俺のふかふかと金の毛にまみれた手の甲に、片手を重ねてくる。
「…今宵は、このまま誰も、来ないだろうか?」
「…わかりませぬが、…きっと。……」
あるいはジャスル様が、ふらりと来るやもしれぬが…きっと来ないだろう。――そう思っていればいい。…今はそう、夢を見ていればいい。きっと神は、そのことを許したからこそ、この満月の夜に俺たちが寄り添うことをこうして許し、図らったのだ。
するとユンファ様は、ふんわりと久しく、やわらかく微笑み――秘めやかな声で、こう続けた。
「…そう、だね…。来なければいいな…、この夢が、続いてほしいから……」
「…ええ。大丈夫、必ずこの夢、今宵はなんの邪魔も入らず、必ず続いてゆきまする…――。」
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