5 蝶族は蜜のみを食む

1/1
前へ
/164ページ
次へ

5 蝶族は蜜のみを食む

                 このノージェスの東からさらに東へ、東へ、ひたすら東へ向かい…――そして、山桜咲き誇る大きな山を三つほど越えた先に、その“五蝶(ごちょう)の国”はある。    五蝶の国――国、とはいえどもかなり小規模な、集落というほうがよほど相応しいか。…およそ百人程度の国民しかいないというその国は、つい最近まで鎖国しており、()()とされていた場所だ。  五蝶一族率いる彼ら蝶族は、大変閉鎖的な部落にひっそりと隠れて暮らし、自分たち純血の蝶族のみで築きあげたその小さな国で、静かに、厳かに暮らしていた。    薄桃色の高い山に囲まれ――むしろ、山に守られ――たその五蝶の国は、これまではおよそ誰も踏み込むことのできない秘境。…――では、あったが。    俺の主人である、ジャスル・ヌン・モンス様がついに、その五蝶の国へと着手し――ノージェスの国王から借りた軍隊を引き連れ、高山を越えてその集落へ、いよいよ踏み込んだのだ。    ジャスル様のお目当ては、その国の豊富な資源――いわく、五蝶の国には山ほどの金銀財宝が眠っているという。…鉱山には山ほどの宝石が、山に囲まれていながらも豊かな土壌が、そして。    およそ、この世の者とは思えぬほどに美しい――優美な()()たちが。    俺が少ないなりに、聞くところの蝶族とは――。  見目麗しき男のみが生まれ――三十歳になる前に、みな儚く死んでゆく。  いや、男というといささか違うかもわからぬ。――蝶族の者はみな、両性具有なのだそうだ。…しかし胸は膨らまず、一見は容姿端麗な男そのもの…男性器を持ちつつ、そうでありながら女性器をも持ち合わせている…とか。    すなわち彼ら蝶族は、男とも女ともつがうことができ、女を孕ませることも、また己が孕むこともできるそうなのだ。    また蝶族は、その肌から(そそ)るような甘やかな匂いを放ち、そして体液に至るまでもが甘く、その味もまた、果汁を思わせるような風味であるという。  それがなぜかといえば――彼らが口にするものは、果実の果汁、あるいは花の蜜のみであるから、だといわれている。    そして、あのユンファ殿のように蝶族はみな、口元を布などで隠している。…ただそれも、かの人のように、()()着けているわけではないとか。  では、蝶族はいつその口布で口元を隠しているのか、それは、食事中のみであるという。…というのも、彼らは固形物を消化できないために、食事の際の汚い一面を隠すため――食物を咀嚼し、その蜜のみを飲み込んでは、口内に残った固形物を吐き出すにおいて、その瞬間を口布で隠すため――だそうだ。    しかしなぜ俺が、秘境に住まうその蝶族のことを、こうして少ないながらも知っているのか。……それは、――俺の種族である――狼族と、その蝶族は本来、かなり(ゆかり)深い関係性であったらしく、彼ら蝶族のことを少ないながら記した文献と、過去の、両種族の関係性を象徴するようなお伽噺(とぎばなし)が、俺の生まれ故郷である狼の里に残っていたため。    それともう一つ、以前は彼ら蝶族もまたこのノージェスに住まい、狼族のみならず他種族とも交流があったらしく、この国にも少ないながら彼らのことが記録されていたほか、噂程度には、ノージェスの人々の記憶にも彼ら蝶族が残っているためである。    蝶族も以前はさまざまな種族とつがいあって、()()()になっていたとのことだ。…ノージェスにも、蝶族の両性具有という特性があるからか、彼らが遠い先祖にいる者もあるようだが…――しかし、ノージェスにいるその者たちとて、今やその蝶族の血は薄くなり、堂々蝶族と胸を張っていえるのは、その閉鎖的な小国に住んでいる蝶族たちのみだ。    昔は普通にノージェスでも暮らし、さまざまな種族とつがいあって、メオトになっていたという蝶族。  ただ、そうした記録が残っているその一方で――今や歴史が隠蔽されつつあるために、真偽不明ともなってはいるが――他種族が蝶族のことをどこぞから攫ってきて、まるで道具のように(あるいは金貨のように)扱い、性奴隷や男娼として利用していた過去がある、ともいわれている。――なんせ風の噂では、蝶族は“極上の体”である、とのことだ。  しかも、際立って彼らは淫靡(いんび)な色狂いの種族であり、淫魔のごとく淫蕩(いんとう)な誘惑をする者も多いとされて、その美貌、その(とろ)けるような体、その甘い匂いと肌の味、もっぱら男娼やら性奴隷にはもってこいの種族だと、しばしば揶揄(やゆ)されていた、と…――しかし、いまやノージェスでは物珍しい種族となったからこそ、その噂に尾びれ背びれが付いている可能性もある。    ただノージェスで暮らしていた蝶族は戦前、ノージェスが領地取りの戦争に乗り出した時期に、平和主義者の自分らは戦争に協力できない、また、戦争に巻き込まれてはたまらない、と――みな揃って、ノージェスを始めとした国々、全国にいる蝶族たちへ集合するよう大々的な号令をかけ、その結果…ほとんど全員の蝶族が、各所国々から出て行ったそうだ。    そして、そうして避難していった彼ら蝶族の、行き着いた先は――もともと五蝶一族と、それに付き従う蝶族たちが隠れ暮らしていた秘境、あの桜の山に囲まれた集落、そこであった。    またその後蝶族は、そのまま五蝶の国を築き上げて鎖国し、もう何十年もその秘境からは出てきていない。  というのも――ノージェスはそのとき、正式にその五蝶の国と、不可侵条約を取り交わしていたからである。      ――が…しかし。      しかしその不可侵条約、つい先日期限が切れたのだ。    そもそもがその不可侵条約、戦時中から、戦後三十年の期限付きであったそうだ。――そして、それを知っていたジャスル様は、今か今かとその条約の期限切れを、首を長くして待っていた。    いまだ誰も着手していないその五蝶の国――立地的な計算によれば資源も豊富、何よりも幻とされている美しい蝶族たちが住まい、しかし鎖国しているその国と友好関係を築ければ、ジャスル様の偉業はまた一つ増える。    いまやノージェス一の大富豪となり、英雄となってもまだまだジャスル様は、もっともっと名誉と金が欲しいらしい――。  そして、そうした貪欲なジャスル様にしてみればやっと先日、その不可侵条約の期限が切れたわけである。――そのためその人は、その不可侵領域とされていた五蝶の国へと意気揚々、軍隊を引き連れ、ぞろぞろ堂々と、もはや何の恐れもなく踏み込んだのだ。          
/164ページ

最初のコメントを投稿しよう!

48人が本棚に入れています
本棚に追加