8 貪欲な思惑

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8 貪欲な思惑

                   彼ら五蝶は、ユンファ殿お一人を差し出すことによって、あくまでもジャスル様…ひいてはノージェスと五蝶が協力関係であることを示し、武力行使による侵略を免れた、というわけだ。    しかしもちろんジャスル様が、ユンファ殿を娶られたいと考えたのには、訳がある。  何も、ユンファ殿のその美貌がただ好みであったから…というばかりの婚姻ではないのだ。――政略結婚であるのだから、もちろんそうである。    理由の一つはそのまま、その人の言うとおりのことだ。  ノージェスと長らく国交を断っていた五蝶の国、その両国の和親の証である。――もはやそれを取り交わせただけでも、ジャスル様は大変な功績を得られるのだが。    その上、その五蝶の国の御子に、我が子を産ませようというのだ。…子というのは表面上でも、仲睦まじくつがいあってできるものであればこそ、わかりやすく両国の友好関係の証となる。    おまけに、蝶族の子孫はみな、大変な美形として生まれるという。  いや、もちろん主人の容姿を貶すつもりなど俺にはないが…――しかしありていに言えば、誰が見てもジャスル様はでっぷりと肥えた、黒髪も山が寂しくなったような、脂ぎった肌が浅黒く醜い容姿の、そういった不潔そうな中年男性である。  がしかし、そんな醜男(しこお)の遺伝子をもってしても、この蝶族と子を成せば、たちまち美しい子が生まれるそうなのだ。    そして、この結婚によって子が生まれれば、現在に至るまでに閉鎖的であった五蝶蝶族と、ノージェスの者との間に生まれた子となる。――すなわち、ジャスル様は今世紀初めて、五蝶との関係を良好にした存在、となるだろう。  しかも、由緒正しい家柄の美しい伴侶、そしてその人と、国の英雄ジャスル様との間に生まれた美しい子ども、両国の美しい和親関係の象徴となるそれらの存在は、ノージェスの民の目に美談として映るに違いない。  そして…――ノージェスの民は、珍しくもひと際由緒正しく、ひと際美しいユンファ殿の存在によってより蝶族、五蝶の国に関心を寄せることだろう。  ただ一見すれば、ノージェスたるジャスル様が五蝶の国に要求したもの、それはユンファ殿ただお一人を娶ること以外に、有事の際の支援物資のみ。  ノージェスと五蝶との貿易関係は諦め、むしろ五蝶の国が侵略された際には、ノージェスの軍を貸すという。…これはいうなれば…ただ見初めたユンファ殿のみを娶りたい、欲よりも平和的に、ただ五蝶の国と仲良くしたい、ただ両国の信頼関係を築きたいだけ、と、いわばそれのみのようにも見える格好だ――表面上は――。  それもまた一つ、国内では美談にされることだろう。    もちろんジャスル様の一存で、五蝶の国が有事の際には軍を貸す、というのは、政治家でも王でもないわりに勝手なようだが、しかし…国王に重用されているジャスル様ならば訳ないこと、それどころか――この五蝶の国への遠征、あるいは、ノージェスの国王も関わっているような気がしてならぬ。    仮に、本当にその不可侵条約延長の旨の手紙を、五蝶側がノージェスの国王に送っていたとしても――遠い国であるから致し方なし、どこかで紛失した、というような理由付けをもってして、たとえ本当は王の手元に届いていたとしても、()()()()()()()()ことにしている…その可能性、大いにあり得ることだろう。    ましてや結局、おそらくはこれまで侵略行為をされてこなかったのだろう五蝶を、ノージェス以外の国が今更侵略するとも思えぬ。…なんなら他国が、五蝶の国の位置を認知しているかどうかさえ怪しい(ノージェスは不可侵条約を交わしていた都合上、国の位置を把握していたのだが)。――つまり、ノージェスの権威を貸しているだけでは所詮お印程度のこと、その点ではほとんど無条件で、この和親を受け入れさせたようなものなのだ。  更にいって、支援物資の協力など、ジャスル様はそれらしいことを言っただけに違いない。いわば、五蝶の国をいずれ騙し取るためだ。――いまや大国となり、どの方角に向かおうがノージェスの領地、そのような国が、この小国五蝶からわざわざ物資支援などされずとも、それこそ国内で全てまかなうことが叶う。  しかも、ノージェスは戦争も近頃国内紛争ばかりで、他国との戦争はしなくなって久しい。――すなわち()()()()()、など、そうノージェスに来るものではない。    また…一方の五蝶だが、侵略行為からの自衛には、ノージェスの軍隊を借りることができる。…大国ノージェスの後ろ盾があれば、彼らはいよいよ国の安泰だとでも見ていることだろう。…もちろん、ジャスル様の言葉にも真実はある。――強国ノージェスの軍事力が後ろにある、それも立地的に戦争のしにくい、小国とはいえ、五蝶の民の協力なしにはまともに戦えぬその国を侵略しよう、などと他国が考えたならば、それはたしかに、まさに愚の骨頂といえる。    しかし…五蝶の国は、いまだ事実上の不可侵条約の延長状態である。いや、むしろだからこそリベッグヤ殿は、()()()()と判断したのやもしれぬが――つまり、かの国の鎖国状態は事実上、解かれていないのだ。    そして、それは――その五蝶の国の鎖国状態は…すなわち、ノージェスの民の目にはおそらく、()()()()()()()()()()()と見られるにまず相違ない。    ユンファ殿の存在により、あるいはその人と、ジャスル様との子どもの存在によって、多くの民の関心が集まればいよいよに、五蝶の国はどんどん立場が悪くなってゆく。…いうなれば――これほどノージェスは両国の和親を望んでいるというのに、五蝶の御子が子を生んでもなお、お前たちはいまだ国を開かず、我が国との有益な国交をしないつもりなのか。と。    お前たちの子孫でもある子がこの国にいるというのに、これほど親切にしてやっているというのに、五蝶の国との国交がほとんどないのはおかしいだろう。――こうした不条理な国交関係ではなく、平等な国交関係を締結するべきだ。    そうして結局――五蝶の国は、蝶族たちは、ノージェスという国の表舞台へと炙り出されるに違いない。  たとえこの婚姻で、始めこそ不可侵条約を延長したような生活がしばらくあろうとも、大国ノージェスの国民の不満の声が高まれば、それは当然、王の声となって五蝶に伝えられる。――そして五蝶の国は、結局遅かれ早かれ開国を迫られるのだ。  それも、この軍事力に雲泥の差がある…武力ではまず勝ち目のない、ほとんど丸腰の小国五蝶が、領地取りの戦争を繰り返した果て、いまに大国となったノージェスに――開国を、迫られるのだ。      つまりこの婚姻…美しい五蝶の御子の存在によって国民の心が動き、国民の心が動けば王の心が動き、王の心が動けば、ノージェスという大国が丸ごと動く――簡単にいえばジャスル様は、いずれ五蝶の国を丸ごと手に入れる算段をした上で、この()()()()()()()()()を提案したのだと思われる、ということだ。        あるいは――ノージェスの国王の、命によって…か。      
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