98 孕めと呪う

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98 孕めと呪う

                 浴槽の中の床に手を着き、おもむろに身を起こしたユンファ様は――キッと、俺を睨みつけるように振り返った。 「…君だって僕を、…あんな僕を汚らわしいと、…淫売のようだと、君も、僕を浅ましいと思っていたんだろ、?」  涙を堪え、震えているその声に、俺は顔を横に振った。 「…まさか。まさか(つゆ)ほども…先にしろ今にしろ、俺は少しもそのようには思っておりませぬ、ユンファ様……」  まるで見せ物であった。  恥辱の姿を晒され、汚辱の憂き目にあい、犯され、卑猥な言葉を言わされ――ジャスル様のみならばまだしも、幾人もの男の精に身を汚されたユンファ様の心中たるや、…殺してくれ、と言ったその人の今の心持ちを、俺は考えるだけでも胸が痛んで仕方がない。――今に、俺こそが死んでしまいたいほどだ。  何もできなかった俺こそが、死ぬべきであるとすら思う――この自責の念、身勝手ながらも俺の本音だ。   「…申し訳ありません、不甲斐なくも、何もできず……」    俺はうなだれるようにしてユンファ様へ頭を下げた。  …すると彼は、黙り込んだ。   「…………」   「…………」    ややあってユンファ様は、萎んだ声で「ごめんね…」と俺に謝り、見れば――彼はうなだれて、それでいて自嘲したようにうっすらと笑っていた。 「……ただの、八つ当たりだ…。昨日も言ったとおり、僕は、止めてほしいなんて少しも思っていなかったよ…。どうか自分を責めないでほしい…――むしろソンジュが止めてくれなくてよかった…、ジャスル様に、君が殺されなくて、本当によかった……」    ユンファ様は俯いたまま、自らの腹をそっと撫でた。  そこにたっぷりと溜まっているだろうジャスル様の精が、彼の体の中で命を宿すか――あるいは、その身の一部となるか。  ――とても憎らしく、悍ましい話だ。   「…ここにある精が全部、…全部…ソンジュのものだったら、どれほど嬉しかったろうか…、そうしたら本当の意味で、赤子を願えたのにな…――僕、ちゃんと孕めるだろうか…? 孕みたいな、もう…、孕みたい…孕め、孕め……」   「……ユンファ様…」    念じるように口の中でそう繰り返すユンファ様に、俺は死にたいほどの心痛を覚えている。――俺が名を呼ぶと、彼はぎゅっと顔を顰めた。   「っこれで子を孕めたら少しは楽になる、…もうあんな恥をかかなくて済むのだ、…っ蝶は――蝶は、想い人の子しか孕めぬと言ったろ、…しかし聞くに、心から服従していれば、それでも孕めるそうだ、…孕め。…孕め孕め孕め。孕め、孕め…、孕めよ……」  泣きながら、孕め、孕め、孕め、と繰り返すユンファ様に、俺は何も言う言葉が見つらず――ただ目を潤ませながら、…その人の下腹部にある手の甲に、手のひらを重ねた。   「俺の子が…もうここにいるかもしれませぬ」   「……、…、…」    するとハッとして言葉を失うユンファ様は、はらりと涙をこぼした。――虚ろな無表情、そして不明瞭な小声が。   「…きっと…いないよ…。どうしてソンジュの子が産めるだろう、こんな…――こんな僕に……」 「…………」    そう呟くように言ったユンファ様な険しく顔を歪め、小さくも声を荒げた。   「…なんて穢らわしいんだ…っ僕はなんて醜い、なんて浅ましい、――見ていただろ、僕何度も気を遣ってしまった、…あんな恥をかかされたのに、何度も何度も何度も気を遣った、…穢らわしい…! 淫売だ、僕の体は淫売の体だ、…もう殺してくれ…っ」 「ユンファ様、決してそのようなことはありませぬ。」  ユンファ様は、涙を頬に伝わせてはまぶたを閉ざし。  ぐっと下唇を噛み締めると、――うっすらと開いたその切れ長のまぶた、薄紫色をした瞳は、今にも涙が溢れそうなほど潤んで――下方を鋭く睨み付けている。 「愛があればこそ、満たされるのだと…信じていた…――僕は、ソンジュだから…ああして昨夜、気を遣ったのだと、思っていたのに……」  つー…と、一筋の涙をその頬に伝わせたユンファ様は、自嘲するように小さく笑った。 「…でも、そんなことはなかったよ…、…ふ、――この体は、確かにいやらしくて浅ましい淫売のようだ、本質は…僕の本質は、淫蕩だ…。やっぱり、生まれ持った淫蕩な魂には抗えない、僕は本当に淫売そのものなんだ…、だから僕は、淫蕩の罪で、閉じ込められていたんだ……」   「…そのようなことは、ありませぬ。ユンファ様」  俺は――泣きながら自嘲するユンファ様の、震えている体を、抱き締めた。        
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