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「こんなじゃれ合いばかりじゃなくて喧嘩もあったね」
「そうだねー。あの時の貴方はひどかった」
「付き合って二年目の時のこと? まだそんなの覚えてるの?」
僕だって彼女の言うことの心当たりはある。それは当たっているみたいで、彼女は普段穏やかな瞳をギラリと僕に向ける。
「あの告白の日から丸っと二年の記念日だったんだよ。そんな日に二人揃って仕事が休みで一緒に居るってことはロマンチックなことを考えても良いでしょ?」
「そんな日付まで覚えてる男は居ないって」
横で彼女は深いため息をついている。ボソッと「これだから男って」と言うのは聞こえてる。
あの日彼女はいつもより良く笑っていた。もちろん普段から笑顔の絶えない人だったけど、一段と。
そしてやっと仕事も順調に進んでいた僕は背伸びをして高級なレストランを予約していた。その店が僕たちの前に現れる。
「こんなお店で食事なんて夢みたいだったんだよ」
僕も彼女だって一般家庭、より下の生活だったからこんな店は知らない。それに彼女は浮かれているのだと思ってた。記念日だとは思わないで。
「君に美味しいものを食べさせたいって僕だって頑張ったんだ」
「仕事で頑張ってたのは知ってるよ。だけど、あたしのことを疎かにするなんて」
僕たちは食事を続けてる。メニューはあの時と同じ。味まで全く一緒。
食事を楽しく続けていた僕たちのもとに店員が近付く。
「お電話なのですが」
僕はこんな時だからと連絡手段を全て無くしていた。それなのにこの店のことを同僚に自慢していたのが仇となったのだ。
電話で伝えられたのは仕事のトラブル。彼女ならわかってくれると思ってた。
「ごめん。職場に戻らないとならなくなった」
「まだ前菜が終わったところだよ」
「悪い。お金は払っとくから食事は続けて構わないよ」
あの時の僕は彼女の言い分も聞かないで店を出ると走って仕事に戻った。そこまで重要なトラブルでもない。僕が居なくてもどうにかなっただろう。一時間程度で解決して同僚と反省会と言い訳に居酒屋に向かった。これが間違い。でも、それは同僚のやっかみからの作戦でもあったんだろう。
「残りの料理を食べ終わって帰ろうと思ったんだ。仕事だから仕方ないって。だけど駅の近くで貴方を見つけた。友達と仲良く飲んでるのを」
もう僕たちはあの修羅場の居酒屋に居る。僕は同僚と乾杯をした時だった。
「あたしとの約束を反故にして友達と飲んでるなんて」
彼女はまたあの時の言葉を繰り返してる。
「友達じゃない。同僚だ。仕事が思わず簡単に片付いたからだな」
「そんなのだったらあたしのところに戻ってくれたも良かったんじゃない?」
全くあの時の喧嘩を再現している。彼女は本当に怒って。
「また今度でも良いじゃないか。って言うのが一番の引き金だったんだよな」
僕は一言今なら知っている事情を含めて話す。
「そう! 簡単に特別じゃないって言われた。あたしは記念日を楽しみたかったのに!」
あの時は綺麗なビンタをお見舞いされた。今は頬に手を当てるくらい。
それから彼女は走った。記念日という意味が分からなくて呆気に取られている同僚を残して僕は追う。
現代では埋め立てで無くなった海辺の公園に辿り着く。
「記念日ってなんなんだよ」
あの頃の僕はそれが火に油を注ぐと言うのをわかってなかった。
「二人が付き合い始めた日だったんだよ。今だから言うと世界で一番嬉しい言葉もあるのかもしれないって思ってたのに!」
涙を流して怒っている彼女の表情は今見ても心が痛む。
「なら教えてくれたら良かったじゃないか!」
若気の至りとはこれのことだろう。今なら素直にあやまれるのに反発してしまう僕。
「憶えてくれてたって思ったのに」
「知らないよ。そんなの!」
再び叩かれた。今度は反対側の頬。今は彼女の手で暖かいけど、あの時は痛みで熱かったのを覚えてる。
「そんなのなんて言わないで。あたしたちの思い出を」
涙と海に浮かぶ船の明かりが閃いている。
「覚えてないよ」
冷く恐れさえも知らない言葉を語る。僕だって意地を張りたくなっていただけ。売り言葉とはこれのことを言うのだろうけど間違いと気付くまでには時間が居らなかった。
彼女は健気に涙を流して俯く、なんてことはなかった。僕の顔をキッと睨むと綺麗なフォームで横蹴りを放つ。僕の鳩尾にヒットした足刀は強烈。僕はあの時パタリと倒れてしまった。
今も彼女のその鋭い瞳がある。流石に僕も身構えてしまっている。
「まさか、蹴りまで再現しようとしてる?」
「あの時の怒りはまだ消えてないんだよ」
明るくとてもニコッとしている彼女の表情がとても怖い。
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