ヒロイン、貴族になる

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 ザバン!!と水が勢いよく跳ねる音がした。  私の手を引く年長の子どもたちは呆れたように視線を投げた。  それにつられて私も水音の方へ視線を流す。  井戸の周りに男の子が数人と、中心に犬……のように見えたが、ずぶぬれの子どもが丸くうずくまっていた。  何が起きているのかわからず、呆然と立ち止まると急かすように手を引かれた。 「あの子はこの間入ってきた新入りなの。どんくさいからあいつらに絡まれるのよ、関わると面倒だからあっちに行こう」  そんなことを言われても行けるわけがない。  つい数日前まで暮らしていた村の皆は喧嘩することがあっても、こんな一方的な暴力なんて無縁だったのだ。  だから、何が起きているのか理解が追いつかなかったのかもしれない。  早く立ち去ろうと言われるが、どうして置いて行けると言うのだろうか。  かと言って、かばいに行けるほどの勇気もなく、呆けたように眺めるしか出来なかった。  呆然と立ちすくむ私の視線の先で、ずぶぬれの子どもがゆらりと顔を上げた。  濡れた白い顔がこちらを見て、湖面のような青い目と視線がぶつかった。一瞬、村の近くにある湖とそっくりだと思い、やっぱりそれより前にどこかで見たことがある色だとそんな気がした。  しかしその色を思い出す前に、青はすぐに下された。諦めたように、力なく、地面に落ちて。額が地にこすり付けられる。  ────ぐわりと頭に血が上る。  『なに諦めてるのよ!』そう、頭の中に別の人間の声が流れる。    何この声、そう一瞬意識が逸れて次に気付けばうずくまった子どもに覆いかぶさっていた。背中からかかる水の冷たさが腕の下の温もりを引き立たせた。  父さんや母さんや村のみんなが着せてくれた一張羅がびちゃびちゃだ。身体の下で諦めたような目をしていた子どもが小さく跳ねた。 「なんだお前!」  顔に張り付いた髪を避けながら、水をかけていた悪ガキたちを睨み上げる。 「はっ……はあ!?女にかばわれてやんの!」 「どけよ!水をかけられたいのか!?」  キャンキャンと騒がしい悪ガキたちなんて放っておいて、ずぶぬれの子を起こそうとするがパシンと手を弾かれた。 「迷惑だ。どこかに行けよ」   細く、高い声だった。  冬の冷えた水をいつからかけられていたのか、近くで見れば唇は紫色になってカタカタと震えている。  どうやら男の子のようだが、その顔は人形のように整っている。血の気が引いていて本当に作り物のようだ。身体も細く、恐らく私と同い年ぐらいだろう。  弾かれた手なんて気にならないほど、食い入るようにこの少年から目が離せなかった。 「そうだぞ、あっち行け!」 「お前も新入りか?だったら覚えとけよ。使用人見習いのボスはオレだ。そこの生意気な新入りに、どっちが上か叩きこんでるところだから邪魔すんな」  キャンキャンと騒がしい悪ガキたちの声がどこか遠く聞こえていた。  私に無視されたのが気に食わなかったのか、焦れた悪ガキの不躾な手が私に触れる瞬間のことだった。  ────指の先からクシャミが出たような感覚だった。  そして次の瞬間にどっと身体が重くなり、自分の身体を支えきれずずぶ濡れの少年の方へと傾く。何もしていないのに息が切れたように空気が足りなかった。  荒い息をそのままに、ゆっくりと顔をあげれば。悪ガキが自分の顔を必死に引っ掻いている。周囲にいた子どもたちが何事かと固まって動けないでいた。  そして子どもたちの悲鳴。  なんだこれ、と口から出る前に思い出す。 「───あぁ、これがいわゆる転生ってやつね」  頭の中を整理している傍ら、悪ガキは未だ苦しそうに顔を引っ掻いてもがいている。  ”魔術”を使って、悪ガキの顔面に水を薄く貼り付けているのだ。感覚的には息も吸えず溺れているようだろう。  思ったよりも早く自然と水が流れ落ち、舌打ちが出る。  その音に背中を預けていた少年がビクリと身体を揺らした。  のそりと立ち上がったつもりだったが、ずぶ濡れの少年が立たせてくれたようだ。  新鮮な空気に勢いよくむせ、息を吸ったりまだ顔を引っ掻いている悪ガキを見下ろし 「どっちが上か、わかった?」  ヒッとまるで魔獣でも見たかのように怯える悪ガキに向かって、勝利宣言をする。  まるで前世の天才魔術師だった頃のように、不敵に笑った。
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