4 推し(仮)との邂逅

1/1
前へ
/120ページ
次へ

4 推し(仮)との邂逅

 不意に、どこからか漂ってくる食欲をそそる匂いに目を覚ます。  くつくつと鍋で何かを煮込んでいる音。体温を返しぬくい空間を作り出す柔らかな毛布の感触。身動ぎをすると、自分の体から何故か薬草っぽさのある花の匂いがする事に気が付いた。  ややあって意識が覚醒してきた私は、毛布がいつも使っているものとは違う感触であること、そして他人の匂いがすることに気が付いて、ようやく重い瞼を開いた。 「あれ……」  まず目に入ったのは、見知らぬ天井。私が借りている賃貸は白い天井だったが、今見上げている天井は、木造建築らしい暖かみのある茶色をしていた。  電灯は簡素なシャンデリアのような形状で、ランプ部分が三つに、蛍光灯のスイッチ紐のようなものが中央から垂れ下がっていて、端に付いている持ち手らしき円柱状の部分には大玉飴玉サイズのガラス石のようなものが付いていた。  どうやら私はソファーに寝かされていたようで、毛布はやはり自分が使っているものでは無かった。無地で彩度の低い緑色で、フリースのような手触りだ。  ソファーの前にはテーブルがあり、何となくリビングような印象があった。 「ここどこ?」  そう呟いて体を起こす。妙に思考が霞がかって、いまいち状況が把握できない。  私は確か、自分の部屋に居て……そう、夢だと思うけれど、異世界召喚されて、神を自称するミルクティー色のチンチラモドキと出会って。  駄目だ、細かいところまで思い出そうとしてもどこか意識がぼんやりしてしまって集中できない。ブレインフォグというやつだろうか。  無意識に気を紛らわそうとしたのか、周囲を見渡して――私は、驚くべきものを目にした。 「あっ、気がつきましたか?」  人だ。カウンターキッチンの向こうで、何か料理をしていた。  彼女は起き上がった私の視線に気付くと、料理をしていた手を止め、軽く手を洗ってから、穏やかな微笑みを浮かべて私の元へと来た。  彼女は腰の辺りまでの長さの明るい茶髪を低い位置で二つ結いにしている。  ぱっちりと大きい目は黒く、黒曜石のような美しさ。顔つき自体はファンタジー系の世界観でよく居る町娘のような雰囲気で、ディアンドルに近い服装も相まって美人なタイプでは無いが可愛い系の、その「可愛い」という分類の中でも「愛らしい」「可愛らしいお嬢さん」と表現するべき童顔さと垢抜けない感じがあった。  更に言うなら、きゅるんとしたあざとさは無く、純朴そうな印象を受ける外見だ。例えるなら、中学生時代に居た図書委員をしている隣のクラスの子で、大人しくて地味なこともあって滅多に注目を浴びることがないものの、時折男子生徒の中で「あいつってよく見ると結構可愛いよな」と言われている子といった感じだろうか。  それでいてすっぴんの状態でPhotoshopの加工編集の入った読者モデルに見劣りしない器量好しで、化粧をすれば化ける、しなくても充分可愛いと言える素材の良さであることは素人目にもハッキリと分かるだろう。  何より目を引くのは、本来人間には無いはずの、その背から生えた翼だ。茶色と黒と白のカラーリングは、スズメを彷彿とさせる。  彼女の姿は、それこそファンタジー系の世界観でよく居る、人ベースの鳥系獣人のそれであった。  そして。 「近くの川辺で倒れていたのを、ここまで連れてきたんです。どこか痛いとかありませんか?」 「……ぁ、え? 推し? ……えっ?」 「あの……もしかして、どこか具合が悪かったりしますか?」 「いや、えっと、その、いや……ダイジョブ、デス」 「本当に? 見つけた時は血まみれでしたし……外傷は見当たらなかったんですけれど、治癒呪文を使った後だとすれば魔力の過剰消費が原因で身体に異常が出ている可能性もありますから、どこか変だなって思ったら遠慮なく言って下さいね」 「ホント、ダイジョブ。ワタシゲンキ」 「そうですか? そっか、それならよかったです!」  私の最推しである、ルイというキャラクターそのものの見た目をしていた。  頭の中の靄が一瞬で吹き飛んだ瞬間であった。  いやまさかそんな、徹夜明けだし寝落ちして夢でも見ているんだろう。  私がそう思った矢先に、彼女は親の声より聞いた声優の声で話し始める。 「自己紹介がまだでしたね。私、ルイって言います。ここで薬屋をやっているんです」 「ホアッ、へっ? あ、え、えっと、ご丁寧にどうも?」 「そうだ、ご飯は食べられそうですか? 今、麦粥を作っていたんですよ」 「食べます」 「わかりました、少し待っていて下さいね!」  腹は減っているが、それ以上に推し(仮)の手作りご飯が食べたいという下心からの即答であった。  そんな私の欲望なんて露知らず、ルイと名乗った彼女は、再びキッチンに立ち料理の続きを始めた。  キッチンに立つ彼女の姿をまじまじと見つめて、ついぽつりと言葉を漏らす。 「推しが生きてる?」  ルイという名前、スズメの翼を持つ亜人。薬屋。  彼女がした自己紹介は、ARK TALE内の推しと同じ設定のものだ。  そんなことは有り得ない。よくできたコスプレが関の山だ。  しかし、時々翼が動いているし、何より、声帯が同じにしか思えないのだ。声真似までは出来ても、声や発音までまるっと同じには出来るはずがない。  ゲームのキャラがそのまま現実に、とはよく言ったもので、イラストのキャラクターを非常に高いクオリティで三次元に落とし込み、声優の声帯を移植して喋っているような、そんなリアリティがあった。  これで舞台やミュージカル、実写映像を作るなら、文句無しで100点満点中100億満点だろう。可愛いが過ぎる。可愛いが息をして動いている。可愛い。 「幻覚?」  そう思うのも無理はない。  だが、普段オタクが使う二次創作妄想の事を指す意味でも、突然公式から推しの供給を受けた時の「俺達の妄想が現実になった?」「公式からの推し供給に見えたんだけどこれ現実?」という意味で使う「幻覚」とも訳が違う。  本当に頭がおかしくなって、本来の意味での幻覚を見たのではないかという疑問と不安による呟きであった。  どちらかと言うならば、夢と表現した方が感じている概念的には近いのだろうが、これはあまりにも現実味がありすぎる。  本来ならあり得ない光景に思考が停止してしまい、料理が出来上がるまで、私はただただルイちゃん(仮)の姿を眺めるしか出来なかった。  彼女が持ってきたトレイには、ほかほかと温かそうな湯気を立てている雑炊のようなものと、薄茶色の液体が入ったマグカップが載っていた。 「随分体が冷えていましたから、体が温まるようにミルクティーも用意しましたよ。お口に合えば良いんですが……」  彼女は少し自信なさげにそう言うと、トレイをテーブルに置く。  下がり眉になってるのが可愛すぎるが? 何? 尊死(とうとし)させるつもりか?  私は「いただきます」と呟くように言って、木製の椀とスプーンを手に取った。  これが先程言っていた麦粥なのだろう。具材は、豆にしては大粒だけど空豆よりは小さい豆と、よく分からないけど野菜らしき鮮やかな緑色の細切りにしたもの、それに人参っぽいものをみじん切りにしたものと、キノコを薄切りにしたもの。それと溶き卵だ。  スプーンで掬って、ふうふうと息を吹きかけて熱を冷まし、一口。柔らかく煮込まれたそれを咀嚼して、嚥下して。 「沁みるわぁ……」  無意識に、そう呟いていた。  優しい味。その一言に尽きる。塩ベースの味付けだが、恐らく干しキノコのものだろう出汁がたっぷり出ていて、塩味より滋味が強い。  麦はオートミールタイプのものではなく大麦系のもので、プチプチとした食感を残しつつも雑炊の米程度に柔らかく、ほんのり甘い。豆は見た目から空豆の味をイメージしていたが、枝豆に近い。甘みと旨味がぎゅっと詰まっている。  緑色の野菜はインゲン豆のような味がしたが、あれよりは主張が控えめで青臭さも少ない。私はインゲン豆が苦手な食べ物の部類に入るのだが、不味いなんて一切思わずに食べられた。ザクザク食感もアクセントになって良い。  人参っぽいのはまんま人参の食感と風味だが、甘みが少ない。あまり糖度が高くないおかげか、この麦粥に丁度良く馴染んでいる。  干しキノコなのだろうものは、ぐにぐにした食感がフリーズドライ食品のものと似ている。しかし、出汁をとった後だというのに尚残る旨味がある。  そして、卵の優しい味わいがそれらを一つにまとめ上げている。  素朴な薄味だからこそ際立つ、素材の旨味がぎゅっと詰め込まれた一品だ。  美味い、美味すぎる。最近はコンテストの締め切りデッドレースに追われていたせいで、カップ麵やブロックタイプのバランス栄養食品、菓子パン等ばかり食べていたから、温度的な意味だけではない、心のこもった温かい手料理が酷く嬉しい。  しみじみと味わって食べている私に、「そういえば」と推し(仮)が話しかけてくる。 「まだお名前を伺っていませんでしたね。良ければ教えてくれませんか?」 「私の名前? えっと……トワ、です」  トワ、というのは、私のハンドルネームだ。  本名より呼ばれ慣れてしまうくらい長い間使っていたものだし、西洋チックな世界観のファンタジーな世界だと浮いてしまう日本人名より馴染みやすいだろうと思ったことと、ARK TALEでは名字を持つキャラクターはある程度の地位があるという法則があるため、こちらを名乗ることにした。  とは言っても、由来は日本語の「永久(とわ)」なのだが。推しアーティストの名前を文字って「永久」という漢字にして読みを変えて名乗るという、ちょっと青臭い思い出のある、でも、気に入っている名前だ。 「トワさん、ですね。珍しいお名前ですけど、素敵な響きですね」  仰げば尊死。ここに病院を建てて下さい。  推しが自分の名前をフルボイスで呼んでいる。幸せなことこの上ない。一体前世でどれだけ徳を積んできたんだ、私。グッジョブ、前世の私。  ……いやいや、まだわからんぞ。これは夢かもしれないんだ。異世界が知ってるゲームの中の世界でした、なんてご都合展開甚だしい。悪役令嬢転生モノじゃないんだぞ。  自分を落ち着かせるために、マグカップを手に取り、香ばしい香りのミルクティーを一口啜る。 「……おいしい!」  脳内会議が一瞬で解散した。  ほうじ茶ラテに近い味わいで、渋みが少なく香ばしい。恐らく、かなり濃いめに煮出したお茶を牛乳で希釈しているのだろう。ミルクのみで作るミルクティーよりあっさり目だが、それでもミルクの味わいがしっかり出ている辺り、ミルク自体の味が濃いのだろう。  ほうじ茶より苦みは強いが、濃厚なミルクがその苦みをマイルドにしていて、そこにメープルシロップのような甘みが少し感じられる。大人の微糖、という売り文句で出すならこのくらいの甘さだろうという程度だが、甘すぎないからこそ飲みやすい味わいになっている。  暖炉の前でブランケットを膝にかけて、火の音を聞きながら飲みたい。そういう味がする。 「このミルクティー、すごく良い香りで好きだなぁ」 「シキヨウの冬茶葉を使っているんです。冬茶葉は血行を良くする効果がありますから」 「シキヨウ?」 「ご存じないってことは、トワさんは他地方出身の方なんですね。見た目もこの国の人っぽくないし……もしかして、旅人さんですか?」 「ええっと、そんな感じです。結構遠くの田舎から来たもので……」  異世界召喚モノでよくある言い訳、「遠くから来た」発動!  アレってとっさに誤魔化す時に実際に出る言葉だったんだな……。 「シキヨウはこのウィーヴェン近くの山岳地帯でしか育たない、広葉常緑樹の一種なんです。春は薄ピンク、夏は緑、秋は黄色、冬は茶色に変化する葉っぱを茂らせる、ちょっと変わった木なんですよ。薬効があるんですけど、採取する時期によって効能が変わるのも特徴ですね」  なるほど、漢字に直すと「四季様」、あるいは「色葉」か「四季葉」となるのかもしれない。四季に合わせて葉の色を変える、的な。  ゲーム内で桜っぽい木や紅葉した森が出てくる背景絵があったが、もしかしたらこのシキヨウという木がその正体なのかもしれない。 「花はどんな感じなんですかね?」 「初夏の時期に、白くて小さな花を沢山咲かせるんです。果物みたいに甘くて、でも爽やかな香りが街いっぱいに広がって……ウィーヴェン名物の一つなんですよ。花は収穫してコーディアルにするんですよ。一週間くらいしか咲かないから、早めに収穫しないと、あっという間に黒くて小さい実に変わっちゃうんです」 「コーディアル? ああ、確かハーブで作ったシロップみたいなやつですっけ」 「はい、そうですよ。ちなみに花と実、それに樹液にも薬効があって、樹液はシロップに、実はそのまま食べたりジャムにしたりするんです。甘味付けに使っているお砂糖も、シキヨウの樹液から作っているんですよ」  葉はお茶に、花はシロップ。実はジャムにして、樹液まで食用に出来る。結構な万能樹木だ。  もしかしたら木材も薪にしたり建材に出来るのかもしれない。  ファンタジー世界の植物って便利だなぁ。
/120ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加